現代の縄文百姓を襲った大水害 輪島・南志見

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 真脇遺跡(能登町)に再現した縄文時代の竪穴式住居は震度6強の揺れにびくともしなかった。
「縄文人は洪水や火事はおそれただろうけど、地震は災害と思っていなかったのでは」
 真脇遺跡縄文館の高田秀樹館長はかたった。
 輪島市南志見町は能登半島地震で孤立し、住民700人が「全村避難」したが、大向稔さん信子さん夫妻は、水道も電気も商店もない地区にのこった。2024年5月にたずねると、無人の里でせっせと野菜をつくりながらこう言った。
「私は縄文時代に生きてると思って百姓をしているので、不自由はかんじません。最終的には百姓が強いんです」
 だが9月には縄文人がおそれた洪水がおそった。現代の縄文百姓、大向さんはどううけとめたのだろう。24年12月に再訪した。

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町は濁流にのまれた

 海岸沿いの国道に車をおいて、南志見地区の中心である「里」の集落にはいると、風景が一変していた。
 川の護岸はくずれ、家が斜めにかたむいて川に落ちている。川から50メートルほどはなれた大向さん宅は一見無事のようだが、1階の壁には泥の跡がある。
 9月21日から22日まで観測史上最大の約500ミリの豪雨が輪島をおそった。目の前の南志見川が氾濫し、あたり一面が広大な川と化した。
 1階の玄関は水につかり、あと5ミリで台所などが水没するところだった。
 海沿いの国道に並行して水道管の鉄管があり、国道の橋のちょっと上流で川をまたいでいた。上流からおしよせてきた流木がその鉄管にぶつかって水をせきとめ、一気に増水した。
 その後、上流からながれてきた家が鉄管を破壊して水がながれだして水位が低下し、大向さん宅はぎりぎりでたすかった。
「地震の山崩れによる倒木を、全部ひっさらってながしてきたんでしょう。地震がなかったらここまでひどいことにはならなかったと思います。巨大な木がぶつかったらウチももたなかった。地震はどうってことなかったけど、水害は大変でした」

人工林の荒廃で低下した保水力

 未曾有の二重災害だったが、山の管理ができていればこれほどの被害はでなかったのではないか?
 私は輪島にすんでいたとき、奥能登中の山を自転車で走っていて、モヤシのようにヒョロヒョロのスギやヒノキにおおわれた森を目にしていた。
 大向さんによると1954年の市町村合併前の三井村(輪島市)は、森林業者が幅を利かせ、「町の連中は麻雀をするときに財布をもっていくけど、三井の人は山の権利書をもっていく」とまで言われた。
 リゾート開発が華やかなりしころ、三井地区でもゴルフ場計画がもちあがった。
「せっかく雑木が増えてきているのにゴルフ場ができたら大変なことになる。でも、就職先が増えるから反対できんし、どうしたらよかろう」
 造林会社の社長が相談してきたから、「キノコパーティーをしたら?」と大向さんは提案した。
 三井はコノミタケという高級キノコの産地で知られている。「親が死ぬとき息子にあり場所をおしえる」というほど貴重なキノコだ。コノミタケの学名Ramaria notoensis Andoには「能登」の名が冠されている。
 知事や財務省の官僚、経済界の人ら50人ほどをよんで、コノミタケと能登牛のすき焼きをふるまうパーティーを5年つづけ、高級キノコがとれる雑木林の価値をアピールした。
「森の大切さをわかってもらえたかなと思ったけど、その後、能登里山空港の建設で森がだいぶきえました。低い位置だから人工林が大半だったとは思いますけど」
 天然林を伐採し人工林におきかえる「拡大造林」によって、奥能登の森林の5割は人工林になった。人工林でも定期的に間伐をすれば雑木がのびて保水力をたもてるが、1964年に木材輸入が完全自由化されると材価が暴落して山を管理できなくなった。暗い森には下草はまばらで、雨がふれば一気に土壌が流出してしまうのだ。
 能登をまもるには、林業という生業をまもらなければならない。集落を町にあつめて「コンパクト化」し、里山の人を減らせば、山はますます荒れて災害に弱くなることに東京の政治家や官僚は気づかないのだろうか。

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コメント

コメント一覧 (1件)

  • […]  今回の地震によって過疎は加速するだろう。能登は復興できるのだろうか? 大向さんは「シェアハウス」による復興を提案する。 昔の農村の大家族では、福祉などの公的サービスがなくても、高齢者や障害者をささえ、子育てや教育もになっていた。ムラには人々の最低限の生活をささえる自治の力があった。 若い家族や老人、Iターンの若者らが、プライバシーを確保しながらともにくらすシェアハウスをつくる。現代版の大家族だ。そうしたシェアハウスが連携してコミュニティを形成して地域課題にとりくむ。 そこでは、大工仕事も野菜づくりも介護も子育ても共同の力でこなし、「百の仕事ができる人間」=「新しい百姓」がそだっていく−−。 御陣乗太鼓やキリコ祭りは、能登の人々の心をつなぎ、強い郷土愛をはぐくんできた。それが、現代版大家族であるシェアハウスづくりの基盤になりうると大向さんは考えている。「震災によるマイナスをゼロにもどすのではなく、新しい社会構造を確立できる可能性もあると私は思っているんです」【豪雨後の様子はこちら→】 […]

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