大阪のメディアを考える「大阪読売新聞 その興亡」66 安富信

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「校門に首が置かれているんです」

 おーん。今も苛まれている光景があります。皆さんも、妙にこの場所この光景を見れば、フラッシュバックする光景がありますよね? 私も、あるんです。
 それは、自宅近く、三田市つつじが丘のニュータウン内にある中央公園です。今も毎朝のようにウォーキングやジョギングしている公園。そこを歩いたり、走ったりするたびに、あの事件を思い出す。一種のトラウマだよね。で、必ず頭の中に繰り返されるフレーズがある。


「デスク、校門に首が置かれているんです」。
 平成9年(1997)5月27日朝。その日、筆者は神戸の実家から久しぶりに三田の自宅に帰った翌日。神戸総局に出勤しようとしていた朝午前7時頃だったか? うーむ、細部は覚えていない。その時、この公園でジョギングをしていた。それしか覚えていない。当時、今のようにスマホはないし、携帯電話だって持ち歩かない時代だったから多分、ポケットベルが鳴ったのでだと思う。ジョギングを中断して帰宅し、電話をかけたのだろう。
 総局に電話したら、泊まり勤務のM君が出た。その第一声がさきほど書いた、「デスク、校門に首が置かれているんです」だった。
「君は何を言ってるんや。アホか。校門に首があるって、何を言うてんねや。寝ぼけてるんか!」とすぐに返した。しかし、M君は言った。
「いや、デスク、ホンマに校門に首だけが置かれているのです。それも小学生の」
 血の気がサッーと抜けるという感覚は初めてだった。これが、後に「酒鬼薔薇事件」と呼ばれるあの大事件の幕開けだった。正直言って、まだこの段階では半信半疑だった。小学校の正門に首が置かれているなどというバカな話を信じていなかった。しかし、およそ1時間半後、神戸総局に着いたら、当にその通りの事件だった。
 神戸市須磨区の山にある新興住宅街に、何人もの記者を走らせた。途中、明石通信部員だったI君から総局に電話が入った。
「デスク、マイカーで現場に向かっていますが、報道陣の車で大渋滞していて、動きません」
「アホかっ! 動かんかったら、車捨てて走らんかい」
 酷い指示だ。当時はなんでも「アホかっ」が接頭語だった。I君は仕方なく、指示通りに車を近くの歯科医院の駐車場に乗り捨てた。当然、歯科医院から苦情の電話が来た。そんなこんなで大騒動の現場だが、総局にいる、総局長、デスク陣、遊軍記者たちは、しきりに本社地方部デスク席とやり取りし、夕刊を作り上げてゆく。当然、1面、社会面見開きの大事件扱いだ。

遺体の口に「酒鬼薔薇聖斗」の声明文

 小学校の校門に小学4年生の遺体の生首だけが置かれている、という前代未聞、空前絶後の事件だ。当然、神戸だけでなく、大阪、さらに東京からも多くのテレビクルーや新聞記者、雑誌記者らが須磨の山中の住宅街に押し寄せた。時間が経つに従い、この事件は思いがけない展開を見せた。遺体の口に、犯行声明とも挑戦状ともとれる、紙切れが押し込められていた。「酒鬼薔薇聖斗」と名乗る人物からだ。事件は更にエスカレートし、被害者はこの小学校の4年児童で間もなく、近くのタンク山と呼ばれる小高い丘の上に遺体の残りが見つかった。

㊧小学校の正門に遺体の一部が置かれていた(1997年5月27日) ㊨「酒鬼薔薇聖斗」と名乗る犯人からの犯行声明文
㊧遺体の一部が見つかった通称タンク山 ㊨事件が起きた神戸市須磨区の新興住宅街

高額の謝礼ばらまくワイドショー

 連日連夜の報道合戦が繰り広げられた。狭い山中の住宅街に、当時ワイドショーと言われたテレビの情報番組のクルーがいくつも押し寄せた。ワイドショーは、レポーターが現場から中継するのがお得意な方法だったため、この現場にも多くの有名レポーターが来た。その上、豊富な資金力にものを言わせて、目撃情報や犯人につながる有力情報を提供してくれた人に高額の謝礼をばら撒いたものだから、現場はお金欲しさの小学生や中学生でごった返した。酷い光景だった。
 以前にも書いたが、こうした殺人事件は、原則的に警察は発生時以外公的な発表はせずに、次の発表は犯人逮捕の時だけである。新聞、テレビ、週刊誌は入り乱れるように毎日のように続報を書き、報道する。夜討ち朝駆けなどで捜査員らから非公式に得た情報や、多くの記者を連日、現場付近に行かせて目撃情報などを取材したネタを合体した記事を作り、朝刊夕刊に掲載する。この手の大事件では、連日1面や社会面トップ記事で報じ続けられる。当時、神戸総局員は20数人だったが、本社の社会部や地方支局から20人以上の応援記者が送り込まれ、デスク陣も社会、地方の両部から数人が来ていたから、連日の報道会議は大変な作業だった。
 その中でも、最も注目されるのは犯人か犯人らしき人物の目撃情報である。読売新聞大阪本社は事件から十数日後、犯人像について「黒い服を着た中年男」を打ち出した。ごみ袋に遺体?を詰め込めて歩いている姿の目撃情報からだった。これが後に大変な誤報であったことが判明する。何しろ、後に逮捕された容疑者は14歳の中学3年生だったのだから。

社会部記者と地方部記者の不毛な暗闘

 深夜の会議は、主に朝刊の締め切り後の午前2時頃から始まる。もちろん、翌朝の取材があるので30分程度か長くなっても1時間までで切り上げるのだが、紛糾することも多い。警察官が捜査状況を捜査会議で報告するのを「復命」と呼んでいたので、新聞社でも会議でそれぞれの記者が取材内容を報告するのを復命と言った。その復命を数人の記者で擦り合わせて、さも重要な情報であるかのようにすることがある。紙面を間違った方向に導くことがあるので、許されないことだ。大抵、本社社会部からきた記者たちと総支局の記者との間には垣根があり、仲が悪いことも多い。この時の取材班も社会部派と地方部派で暗闘があった。総局の兵庫県警担当キャップだったY君がある日、筆者に耳打ちして来た。「社会部のNとMは復命を擦り合わせてまっせ」。確信は取れなかったが、どうやらそのようだった
 どこの社も同じような状況だったに違いない。こうして1か月近い、不毛の報道合戦が続けられた

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