大阪のメディアを考える「大阪読売新聞 その興亡」67 安富信

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休戦ムード、事件大好き総局長は「独自捜査」

 平成9年(1997)6月28日。その日は台風が接近し朝から雨模様の土曜日だった。
 読売新聞大阪本社では、何故か時期外れの人事異動が7月1日付けであり、社会部では、以前阪神支局長でお世話になった中島広次長が、地方部では京都総局次席でよく説教された橋詰均次長が、それぞれ部長職で転出されることになり、夕方から両部で送別会が開かれる予定だった。このため、社会、地方両部から応援に来ていたデスクや記者たちは、ほとんど朝から神戸総局には来ずに、久しぶりに静かな編集局になっていた。事件発生から1か月。過熱し切っていた報道合戦も各社ともネタが尽き始めたのか、この日は「暫し休戦」のムードだった。
 筆者はヒマだったし、送別会にも呼ばれていなかったので朝から総局でのんびりしていた。相方のK次席もS主任も久しぶりの休みを取っていたと記憶する。ただ、仕事中毒の加藤譲総局長はいた。そう、我らがボスは1年3か月前に神戸総局長になっていた。生まれついての事件記者は総局長になっても、グリコ森永事件の夜回りを続けていたり、こんな大事件が起きると血が騒ぐのか独自の”捜査”を続けていたりした。忙しい最中に、犯人像を語り始めるものだから、筆者は正直うんざりしていたのだが。

「容疑者は14歳」早版から特ダネ

 そんなのんびりしていた総局の雰囲気が時間を追って少しずつ変わって行った。後から加藤総局長が言ったのだが、正午前後に、滅多にならないポケベルが鳴った。見ると「114」という数字が出ていた。うん? 何かな? と思ったが、誰からかわからない。114は、グリコ森永事件の広域指定番号だった。 
 午後になって、土曜日にもかかわらず捜査員宅や地検関係者宅を回っている記者たちから、「なんか、様子がおかしい」という連絡が入り始めた。一番良く覚えているのは、兵庫県警捜査2課担当のT記者からの電話だ。彼は警察官だけでなく、神戸地検の事務官宅、それも大阪市内の自宅も回っていた。その事務官が土曜日だというのに、朝から出勤しているという。「おかしい!」。言わずもがなだが、新聞記者は、こうした日々の積み重ねの上で、捜査員や事件関係者の動きを察知して、捜査の動向を探るのだ。
 そのうち、複数の記者たちから「事件が動いている」との情報が次々と寄せられた。「須磨署に任同(任意同行)かけられているようだ」「無職の男らしい」「いや、無職少年らしい」。挙句に「中学生らしい」とも。衝撃だった。夕方までにこんな情報が入って来たものだから、全員を呼び出し、本社に戻っていたデスク、応援記者らにも、密かに神戸総局に戻るよう、指示が出された。そう、他社はまだ知らないかも知れないから、こっそりと戻るようにだ。
 この手の大事件では、解決時に速やかに記事を掲載出来るように、「予定稿」という新聞社独特の記事を準備している。犯人が誰であろうとも、前もって書ける記事を書いておくのだ。事件の経過や識者の談話、事件現場の現況とか場合によっては歴史なども。主に多くの写真を中心に作る。とりあえず、その予定稿を引っ張り出して、逮捕の発表を待つことにした。しかし、出勤して来たK次席が叫んだ。「予定稿を作っていた地方部のK次長が本社に上がっていて、どこにあるかわかりません」。何しとんのや! 舌打ちした。「すぐにK次長を呼び出して、ありかを聞け!」。そんな経過もあったが、なんとか予定稿を見つけて本社に送稿し、そのうちに、地方部から応援に来ていたY記者が「容疑者は隣の中学の3年生14歳」という決定打を報告して来た。夜7時くらいだったかな? 
 読売新聞大阪では、大阪や東京、福岡などの本社近くで新聞を印刷するため、地方の読者に届ける新聞は、「早版地区」と呼んで極めて締め切りが早い。大阪本社管内では、高知県や島根県など、東京本社管内では、東北地方がこれに当たる。今はどうか知らないが、当時この季節なら、高知や島根に行く新聞の締め切りは午後9時頃だった。容疑者逮捕の発表がいつになるかで、この早版地区の読者にこの大事件の解決(もちろん一応の)を伝えられない。そこで、この予定稿が役に立つのだ。
 果たして、発表予定時刻を須磨署が伝えて来たのは、午後8時を過ぎていたように思う。発表は9時前だったかな? やはり、他社はキャッチが少し遅れたようで、早版は読売の「圧勝」だった。

午後11時45分、「連続殺人」を自供


 次の勝負は、神戸の現地に配られる、13版だ。これも概ね午前零時頃である。忘れもしない、11時45分頃だった。須磨署を担当するT記者から電話が入った。「デスク、容疑者の少年は、3月の彩花ちゃん事件から自供したようです」。うん?どういうこっちゃ?あっ、この事件は「連続殺人」ていうことか! そら、えらいこっちゃあ。一面の主見出しを「14歳中学生 連続殺人を自供」に変えないと。
すぐに本社地方部デスクに電話した。要領の得ない次長が出た。「部長に代わってくれ」と怒鳴った。岸本部長も要領を得なかった。興奮していた筆者の説明も拙かったのだろう。加藤総局長が代わって丁寧に説明してくれた。やっと、理解してくれたようだ。
 翌日の読売新聞の記事は、13版から大阪府内、大阪市内の読者に届く、いわゆる最終版まで、一面トップの見出しは、「14歳中学3年逮捕 連続殺人自供」で通したはずだ。当然一面、社会面見開きで、その他の面にも馬に食わすほどの原稿が載った。
 この連載を書くために、加藤さんにLINEを送ったら、「(後になってわかったのだが、114は大阪府警の幹部が知らせてくれたものだった。夕刊の早版には間に合わなかったが、夕刊の最終版には入ったはず)。感度が鈍っていたのか、緊張感が足りなかったのか、大スクープを逃してしまった。記者として不覚やった。今も悔やんでいる」と返信があった。いやはや、事件記者の執念ってすごいわ。(つづく)

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