大阪のメディアを考える「大阪読売新聞 その興亡」68 安富信

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「114」は「ホシは14歳」

 あっ、何人かの読者が加藤総局長のポケベル「114」との関係がわからない、とのご指摘がありましたから説明致します。
 ご本人に確認LINEしましたが、別に114という符号、若しくは暗号を決めていたのではないが、当時”仲良くしていた”大阪府警幹部の1人Tさんが、ポケベルで「14歳少年の中学生を朝から任同、聴取、自供、ホンボシ間違いなし」を知らせてくれようとした、という。つまり、加藤総局長のネタ元の1人のTさんが、過去に入校した「警察学校」で仲良くなった兵庫県警幹部から「14歳少年聴取、自供」を漏れ聞き、それを加藤総局長に報せて来たのだ。後でTさんと会った際、「ピンとこんかい」と笑われたという。そのシグナルに気付かなった稀代の事件記者が「面目なしや」と70代もかなり進んだ爺さんが嘆くのだ。まあ、何度も書くが、凄まじい事件記者根性たるや、大したもんである。

逮捕翌日の紙面(1面から社会面まで)凄い量の記事が満載だ。最後は逮捕当日の夕刊。台風接近を伝えている

見出しは「連続殺人」ではなかった

 先日、久しぶりに神戸市立中央図書館に行き、当時の記事を閲覧した。「25年以上も前のこと、よく覚えているね!」と言われるが、記憶違いも多い。ただ、季節外れの台風8号が接近していたことは間違えていなかった。最大の記憶違いは、逮捕翌日の1面の紙面。「連続殺人」を見出しに取って打ち出した、と思い込んでいたら、凸版横見出しで「淳君殺害容疑中3少年逮捕」、縦凸版で「通り魔事件も自供」となっている。やはり、「中3少年逮捕」を主見出しに取るのは今から考えれば当然だが、当時は「連続殺人」を切望したのだが、「通り魔事件も自供」に留められたようだ。いずれにせよ、このネタは須磨署担当のT記者の特ダネであり、かれはこの直後、編集局長賞を受賞した。当時は「社長賞」との声もあったが、「とりあえず。もう少し事件の推移を見て」と見送られたことはよく覚えている。まあ、その後の展開で社長賞は出なかったのだが。
 少年逮捕の1日はこうして暮れて行った。暫くは、またまた不毛な続報の世界だ。やれ、彼が動物を殺していた、とか◯◯していた、とか。まあ、出るわ、出るわ、大騒ぎである。マスコミの悪い癖だが、こうして逮捕された容疑者は、あくまで容疑のある人物なのだが、「犯人」として血祭りに挙げる。凄い集団リンチだ。まあ、えらそうに今、書いているが、”魔女狩り”の片棒どころか、両棒抱えていた身としては、抗弁の余地もない。

「精神鑑定」で休戦、大宴会

 それが一段落した頃、8月の中頃だったかな? 少年は「鑑定留置」されることになった。つまり、14歳の中学3年生が何故、知り合いの小学生を殺して、首を切断するような残虐な行為に及んだのか? それは、常人の心には及びもつかないということで、精神鑑定に持ち込まれた訳だ。期間は約2か月とされた。この間は、いわば休戦状態になった
 お祭りごとが大好きな筆者や加藤総局長は、「よし、この間に中入れとして飲み会やろう!」とあっという間に宴会が決まり、県警キャップY記者が警察関係の施設を予約して、騒いだ。余談だが、この時期の神戸総局は、仕事もよくするが、飲み会となると大騒ぎになる。春に神戸市内の有名なホテルで歓送迎の宴会を開いたが、大騒ぎして、今から考えるとかなり公序良俗に反する行為を何人かがやったため、出禁となっていた。当時の大阪読売では、こうした行為を「和歌山支局風飲み会」と呼ばれた。

ライバル紙、社会的背景を描く連載

 閑話休題。こんな感じで少し緩んでいたら、某ライバル紙が、この少年を取り巻く環境や社会との隔絶を表す連載を始めた。つまりこの怪物のような少年を産んだのは、当時の社会の歪みなどが影響している、という趣旨の連載だ。もちろん、そういう側面はあるだろうが、読売新聞神戸総局としては、究極的に極めて残虐な殺人に及んだ少年の動機について、単に小動物の殺害では飽き足らず、人間を殺したい、とエスカレートした結果だと判断していた。言葉は悪いがサイコパスの犯罪だと。もちろん、少年に直接聞いた訳ではなく、警察や地検の調べを通じてだが。大阪府警捜査一課担当をした経験のある総局長と次席が総局のNo.1と2だし、県警担当記者や須磨署担当の記者とも概ね意見が一致していた。加藤さんは「今から振り返っても、精神鑑定の内容を掴めなかったことが連載を見送った最大の原因だ」と言う。だから、特別に少年を取り巻く社会と少年の心に踏み込むような連載記事は企画しなかった。ライバル紙の連載は、少年の心の中を暴くような記事だ。当然、本社の地方部長からは、「うちもこんな連載するべきやないか」と打診があったが、断った。

盗まれた検事調書、報道機関へ

 ライバル紙の連載記事はかなり少年の心情に踏み込んだものだった。次第に地方部長の催促が厳しくなった。「うちもやれ!」とほぼ命令調だったが、総局長は頑なに拒否した。本社から応援に来ていた社会、地方両部のデスクたちも、この趣旨での連載に消極的だった。他社は追いかけるように次々に同様の連載を始めたのだが。その中に、進行中の精神鑑定書の中身を知らなければ書けないような表現や図が出ていた。様々な噂が飛び交った。その後、過激派革マル派のメンバーが、精神鑑定を行っていた著名な精神科医の故中井久夫さんが院長を務める病院に忍び込み、検事調書を盗んでいたことが判明。6人を指名手配した。さらに、盗んだ調書のコピーを複数の報道機関に送付していたこともわかった。報道機関の中には、このコピーを買い取ったという会社もあったという噂も流れた。もし盗んだ物と知りながら買ったとしたら、「贓物故買」と言われ、刑法に抵触する。しかし、この件は、うやむやとなり、真実は闇に沈んだままだ。この件についても、加藤総局長は事件記者魂を矜持して、真実を追いかけていた。「何もかも今思い出しても腹が立つわ」とLINEに書いてきた。

連載しなかった「咎」、松江支局長に左遷

 結局、少年は、精神鑑定の末に医療少年院に入所。数年後、社会に出た。
 神戸総局には、ライバル紙のような踏み込んだ連載をしなかったという「咎」で、半年後の人事異動で”処分”が下された。加藤総局長は本社編集委員に、筆者は松江支局長に、もう1人のK次席は福山支局長に異動となった。表向きには懲罰人事ではないが、地方部長は加藤総局長にこう言ったという。「安富は、和歌山か福井の支局長に出す。Kも同様だ。行きたい支局があったら希望を聞いてやる」と。筆者は、和歌山支局より格下で福井支局と同格の松江支局長をお願いした。もちろん、初任地だからだ。本社では「3人とも飛ばされた」と噂された。筆者にとっては記者人生で2度目の飛ばされだ。
 追伸。これから数年後、阪神・淡路大震災後の心のケアに努められていた中井久夫さんとお話しする機会があった。神戸市長田区の激震地跡に出来た古民家で。NPO法人が復興支援で活動する拠点でお会いした。震災の話をじっくりと聞いた後だった。「そう言えば、先生、あの少年の精神鑑定をされましたね。で検事調書を盗まれましたね」と失礼を承知でお聞きすると、「そうそう、調書読んでなかったら、書けないようなことがたくさん(新聞に)書いてありましたね。びっくりしました」と苦笑いされた。(つづく)

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