大阪読売新聞その興亡– category –
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大阪読売新聞その興亡
大阪のメディアを考える「大阪読売新聞 その興亡」61(梁山泊の阪神支局編2) 安富信
いきなり番外編-広島アジア大会― 阪神支局に異動して1か月ちょっと。機嫌よく3席生活を楽しんでいたら、もっと楽しい取材が舞い込んだ。平成6年(1994)10月2日から広... -
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大阪のメディアを考える「大阪読売新聞 その興亡」60(梁山泊の阪神支局編1) 安富信
事故・事件多く自由な梁山泊 平成6年(1994)8月1日、突然の辞令が出て大阪読売社会部枚方支局長から阪神支局3席に異動となった。機嫌良く記者+支局長生活を送っていた... -
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大阪のメディアを考える「大阪読売新聞 その興亡」59(社会部復帰編3) 安富信
米西部海岸を襲ったノースリッジ大地震(1994年1月17日) 「日米都市防災会議」当日に「阪神・淡路」 平成6年(1994)は、後から考えると色んな意味で曲がり角であり、... -
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大阪のメディアを考える「大阪読売新聞 その興亡」58(社会部復帰編2) 安富信
里山フクロウにほのぼの 枚方市の里山、尊延寺という地区にフクロウがいるという。地区内の新しい住宅地、氷室台に住んでいる稲森郁子さんに会った。彼女は、初めて会... -
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大阪のメディアを考える「大阪読売新聞 その興亡」57(社会部復帰編1) 安富信
原稿何度も書き直す「洗濯屋」デスクの訃報 社会部枚方支局長に転勤した。嬉しかった。1年半ぶりに「記者」に復活した。そう、支局長と言っても、大阪府内の支局長は... -
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大阪のメディアを考える「大阪読売新聞 その興亡」56(見習いデスク編4) 安富信
初の自衛隊海外派遣PKO 嫌な思い出しかない第2期京都時代。滞在わずか1年半なので3回くらいですっと書き抜けるはずだった。だが、意外にも書き忘れていることが多い。... -
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大阪のメディアを考える「大阪読売新聞 その興亡」55(見習いデスク編3) 安富信
癖の強い部長の引きで社会部復帰へ あまり思い出したくない時代だから、さっさと行きます。結局、デスク見習い期間は1年半で済んだ。社会部長がY本さん(故人)からKさ... -
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大阪のメディアを考える「大阪読売新聞 その興亡」54(見習いデスク編2) 安富信
夜な夜な歌って鬱憤晴らし 中森明菜、松田聖子に米米CLUB、ドリカム、、、 夜な夜な歌って鬱憤を晴らした。木屋町三条を下がった地下1階のカラオケスナックで。マス... -
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大阪のメディアを考える「大阪読売新聞 その興亡」53(見習いデスク編1) 安富信
スナックママら4人殺害事件 京都総局に飛ばされる前に、大事なことを書き忘れていた。捜査一課担失格の身としては、苦しいことだが、警察庁広域指定事件だ。 それま... -
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大阪のメディアを考える「大阪読売新聞 その興亡」52(番外編) 安富信
なにも知らなかった「南の島」 新聞記者を長いことやっていると、厚かましさを随分、身に纏う。その反面、取材をしていて新しいことが知れると、嬉しくて嬉しくて。そん...