阿武隈山地のまんなかにある福島県飯舘村は南端の一部をのぞいて福島第一原発から30キロ圏内ではない。だが南東からの風でながれてきた放射能の雲によって高濃度に汚染され、2017年まで6年間にわたって全村避難となった。私が有機農家を取材してきた二本松市よりはるかに汚染がひどい地域でも「農」の再生は可能なのだろうか? 飯舘村で震災以来放射線を測定しつづけている伊藤延由さん(1943年生まれ)に、2021年5月と22年11月の2度、村を案内してもらった。
放射能の雲がながれ、30キロはなれた飯舘は全村避難
飯舘村は標高400~500メートルの山中にあり、大阪市とほぼおなじ広さ(230平方キロ)に約6500人がすんでいた。平成の合併を拒否して独立村としてのこり、「までいライフ」をかかげたユニークな村づくりで知られた。「までい」とは、「手間暇を惜しまず」「心をこめて」「丁寧に」といった意味の方言で、「スローライフ」にちかい。

伊藤さんは2010年に村に移住し、農業体験施設の管理人をしながらあこがれだった農業をはじめた。
村の所得は福島県内でも最低水準だが、村人は心ゆたかで食卓も彩りにあふれていた。
春は、フキノトウやタラの芽、ワラビ、フキが芽吹き、ワラビやフキは塩漬けして保存食にした。秋はマツタケやイノハナダケ(コウタケ)などのキノコがおいしかった。食べものの4割は自然の恵みだった。
ところが2011年3月12日から15日にかけて、福島第一原発が爆発する。
飯舘村は原発から30キロ以上はなれている。高齢者施設の敷地内にあるモニタリングポスト(放射線測定施設)の14日の数値は毎時0.09μシーベルトで、通常よりわずかに高い程度だった。ところが第一原発の放射性物質をふくんだ雲は風にのって飯舘村のある北西にながれた。15日に雨が降ると、事故前の1000倍の44.7μシーベルトにはねあがった。
飯舘村は、2017年まで6年間にわたって全村避難となった。2015年の国勢調査では常住人口は41人だった。
無人のムラで手抜き除染か

除染は、宅地と農地、道路から20メートルの範囲の表土を5センチほどけずる。対象は村の面積の15%程度だ。
伊藤さんが2019年に除染済み地区33カ所の土壌を測ると平均1万744ベクレル/㎏(通常は数ベクレル)で、手抜き除染としか思えない数値だった。
「私は全村避難の時でも3分の2は村で寝泊まりしていたが、村人は避難しているからだれも監視していない。環境省は除染できたかどうかきちんと検査して確認するべきなのに、していません」
村の84%をしめる未除染地区13カ所の平均は4万2667ベクレルだった。仮に4万ベクレルとすると、セシウム137の半減期は30年だから、もとにもどるには約300年かかる。
福島第一原発構内で、猛毒のプルトニウム(半減期2万4000年)が検出されたとき「プルトニウムは重いから、遠くに飛散することはない」と政府は説明した。だが、2011年9月には45キロはなれた飯舘村でも検出された。政府は「微量なので問題ありません」と言った。
「微量かどうかは全体を調査しなければわからないのに、しらべようともしない。その時、国は本当のことは言わない、と確信しました」
(2022年には、除染ずみの34カ所の平均が8847ベクレル、未除染の21カ所の平均は2万6776ベクレルだった)
低めの数値がでるモニタリングポスト
飯舘村にはモニタリングポストが100以上設置されている。モニタリングポストの放射線量の数値は毎時0.85μシーベルト(通常は0.05)なのに、携帯型の放射線測定器で測ってみると、2メートルはなれた道路では1.22に上昇した。モニタリングポストは周囲を除染してから設置するからだ。伊藤さんがモニタリングポストの足もとの土壌をしらべると、放射性セシウムは1㎏あたり220ベクレルだったが、道路の反対側は1万2000ベクレルだった。
「モニタリングポストが測る低い数値がひとり歩きして、将来住民ががんなどの病気になっても『この数値なら放射能の影響ではない』とされかねません」と伊藤さんは危惧する。
「ゴーストタウンにしない」帰村うながす
菅野典雄・前村長(2020年退任)は原発事故に際して、「村をゴーストタウンにすることだけはさけたい」という一念だった。「即避難するべきだ」という反原発の研究者やマスコミの主張には「村民の生活を根底から崩すリスクを考えていない」「放射能の害よりも、避難の害のほうが大きい場合だってある」などと反論した。
住民が村にもどることを前提に、避難先は車で1時間圏以内の場所にこだわった。線量が下がれば気軽に帰宅できるからだ。
緊急雇用創出基金事業を活用して「いいたて全村見守り隊」を組織し、村民400人の臨時雇用をうみだした。失業対策と同時に、自分の家のある行政区を自分たちでパトロールすることで安心感をもたらすねらいだった。
避難で転校した子もふくめて小学6年生全員に沖縄旅行をさせ、中学生対象の「ドイツ研修ツアー」も実施した。
2017年に全村避難が解除されると、村立義務教育学校(小中一貫校)「いいたて希望の里学園」や認定こども園を整備し、教材費や給食費などを無料化して避難先までスクールバスを運行している。生徒児童の約7割は村外からかよっている。
菅野氏は「美しい村に放射能が降った 飯舘村長・決断と覚悟の120日」(ワニブックス)という本にこうした経緯をくわしくしるしている。
学校の線量は低いが……

子どもたちがまなぶ学校は除染しているはずだが、本当に安全なのだろうか。
「いいたて希望の里学園」正門前の空間線量を測ったら毎時0.12μシーベルトだった。これならば原発事故前の2倍程度だから問題はない。

だが、道路から5メートル山にはいると1.6に上昇した。道路や学校から20メートルまでは除染しているはずだが、伊藤さんが土壌をしらべると1㎏あたり2万8000ベクレルの放射性セシウムが検出された。道路の法面をけずったら崩壊してしまうから除染できないのだ。
「子どもが学校の敷地のなかだけでですごせば安全だが、そんなことは不可能です。子どもや若い人が村にすむことには賛成できません。お年寄りにも被曝リスクをきちんと説明したうえで判断してもらうべきです」
「子どものいない村に未来はあるの?」

2021年5月には、除染廃棄物をつめたフレコンバッグがあちこちにつみあげられていた。2022年11月にはそのほとんどが撤去され、一部の田んぼは稲刈りをしたあとがうかがえた。
営農を再開する農家がトラクターなどを購入する際は、国や村が8割を補助する。水路などの整備も自己負担ゼロだ。田畑を再開する人もちらほらでてきて、道の駅に地元の米や野菜がならぶようになってきた。
飯舘の米や野菜に危険はないのだろうか?
「除染したうえで作物へのセシウムの吸収をおさえるカリ肥料をいれている。2014年以来、村内の野菜で基準を超えるものはでていません。私も村内の野菜をたべています。ただし落葉や灰を農地にまぜたらダメです」
では二本松のように「農」をいとなむコミュニティが復活できるのだろうか?
2020年の国勢調査によると、飯舘村の居住者は1318人(22年11月は1511)で高齢者が58%を占め、15歳未満は34人(2.6%)しかいない。
「隣の家があって、縁側でお茶をのんでおしゃべりするのがコミュニティでしょ? 私の家から一番ちかいお宅は2キロはなれています。補助金をつかって営農が再開しても、若い人や子どもがいない村に未来があるとおもいますか?」
セシウム137の半減期は30年。事故前の数値にもどるには300年かかるのだ。
2026年 長泥への帰還は2人
飯舘村の大半は2017年に避難指示が解除されたが、村の南端で浪江町と接する長泥地区は放射線量が高く、その後も「帰還困難区域」としてバリケードで封鎖されていた。専門家の試算によると、2011年3月14日に長泥は毎時200〜300μシーベルト(通常の4000〜6000倍)というすさまじい汚染にさらされていた。

2022年11月に地区の入口の峠にもうけられたゲート前で線量をはかると、道路上は0.6〜0.8μシーベルトだが法面に近づくと、1.0μシーベルトを軽く超えた。
長泥の住民は2017年に地区全体を除染するようもとめたが、政府は首をふった。
そのかわり、村内の除染ではぎとった5000ベクレル/㎏以下の汚染土を水田の基盤として再利用する実証事業を提案してきた。事業のための環境整備の名目で、除染対象が長泥地区1000ヘクタールのうち186ヘクタールに拡大される。農地の区画整理も国費でやるという内容だった。「原子炉等規制法」のクリアランスレベル(100ベクレル/kg)を超える土地での農作業を強いられるが、住民は提案をうけいれざるをえなかった。
長泥地区の特定復興再生拠点区域(復興拠点)と、拠点外の「長泥曲田公園」の避難指示は2023年5月に解除された。
2026年5月、3年ぶりに飯舘村を訪問した。
村の水田につみあげられていたフレコンバッグはなくなり、水田もところどころ復活している。

松塚地区には31万平方メートルの敷地に約7万6600枚の太陽光パネルをならべた巨大発電所がある。年間発電量は、一般家庭6600世帯分の約2390万キロワット時。2017年に完成したらしい。

新緑の峠道をのぼりつめると、封鎖していたゲートはなくなっている。反対側にくだると長泥の集落にはいる。

真新しいコミュニティーセンターや、「花の里ながどろ環境再生情報ひろば」という環境省の施設ができている。
ビニールハウスでは花を栽培している。5000ベクレル以下の汚染土壌を下にしきつめ、その上に山土、さらにその上に農業用の土でおおい試験栽培してきた。この施設を新規就農者をよぶきっかけにしたいという。

案内してくれた村出身の女性は、30年間つとめた会社をやめ、この施設でつとめながら花卉栽培をはじめた。
「汚染土は表層の豊かな土だから花がむちゃくちゃよくそだつんです。今はつかえないけど、利用価値があるんじゃないかと思っています」

入念に除染したコミュニティーセンターのちかくの線量計は0.27μシーベルト/時(通常の5倍)と表示しているが、周囲の森は除染していないから土壌の放射性物質は8000ベクレル/㎏を軽く超える。当然、線量ははねあがる。なのに侵入を阻止するロープもない。子どもがくらせる環境ではない。
震災前、74世帯281人だった長泥地区には今、1世帯2人がもどってきている。(つづく)

コメント