死刑が執行されたいまも多くの謎につつまれた「飯塚事件」 <真実>と<正義>がぶつかりあう圧巻のドキュメンタリー『正義の行方』  木寺一孝監督、舞台挨拶

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1992年に福岡県飯塚市で2人の女児が殺害された「飯塚事件」。DNA型鑑定などによって犯人とされた久間(くま)三千年(みちとし)は、2006年に最高裁で死刑が確定、2008年に福岡拘置所で刑死した。“異例の早さ”だった。翌年には冤罪を訴える再審請求が提起された。事件の余波はいまなお続いている。

ドキュメンタリー映画『正義の行方』。弁護士、警察官、新聞記者という立場を異にする当事者たちが「飯塚事件」を語る。極めて痛ましく、しかも直接証拠が存在しない難事件の解決に執念を燃やし続けた福岡県警。久間の無実を信じ、“死刑執行後の再審請求”というこの上ない困難に挑み続ける弁護団。事件発生当初からの自社の報道に疑問を持ち、事件を検証する調査報道を進めた西日本新聞社のジャーナリストたち。誰の<真実>が本当(・・)なのか?誰の<正義>が正しいのか?スクリーンを見つめる私たちは、深く暗い迷宮のなかで、人が人を裁くことの重さと向き合うことになる。

4月29日、大阪・十三の第七藝術劇場での上映後、木寺一孝監督が登壇し、舞台挨拶が行われた。

木寺一孝監督は1988年にNHKに入局。一貫してディレクターとして現場にこだわり、死刑や犯罪を題材にしたドキュメンタリーやヒューマン・ドキュメンタリーを制作してきた。NHKスペシャル「母・葛藤の日々~息子が殺人犯になって一年~」(1999年)、NHKスペシャル「父ちゃん母ちゃん、生きるんや~大阪・西成 こどもの里」(2003年)、ハイビジョン特集「死刑~被害者遺族・葛藤の日々~」(2011年)、「“樹木希林”を生きる」(2019年)、BS1スペシャル「正義の行方~飯塚事件30年後の迷宮~」(2022年)。2023年にNHKを退局。

木寺一孝監督(左)、第七藝術劇場・小坂誠さん
目次

「再審請求を早く準備していたら、死刑執行はこんなに早くなかったんじゃないか」 弁護団の葛藤 

舞台挨拶の司会は第七藝術劇場の小坂誠さん。

小坂さん

「ドキュメンタリー映画『正義の行方』は元々、NHKのBSドキュメンタリーとして制作・放送されたものだということですが、死刑執行後に再審請求が行われ冤罪の可能性がある「飯塚事件」をテレビ番組として制作するにあたって、ハードルが高いというか、いろいろな壁があったと思います。この辺りを話していただけますか」

木寺監督

「私は昨年3月でNHKを辞めましたが、もともとNHK大阪採用でNHKに入りまして、大阪の西成に「こどもの里」という親からはぐれた子どもたちを預かっている民間の施設があるんですが、この「こどもの里」の子どもたちを追ったドキュメンタリー番組「父ちゃん母ちゃん、生きるんや~大阪・西成 こどもの里」を20年ぐらい前に制作しました。樹木希林さんの最後の1年を描いた「“樹木希林”を生きる」を制作しました。こうしたヒューマンなドキュメンタリーをつくってきた一方で、犯罪あるいは死刑にまつわる事件のドキュメンタリー番組をずっと制作してきました。2011年にドキュメンタリー番組「死刑~被害者遺族・葛藤の日々~」を放送しました。自分の子どもをリンチで殺害された夫婦のドキュメンタリーです。この夫婦が手紙で死刑囚と交流を始めます。夫婦そろって死刑を求めていましたが、お父さんが「本当に死刑、殺してしまっていいのか」と悩み出します。お母さんはお父さんを裏切りものだとなじります。そういう夫婦の葛藤から死刑を考える番組を制作しました。この番組を制作する過程で、死刑にまつわることを調べる中で、「飯塚事件」を知りました。おそらく、ここ大阪でもほとんどの人が知らないのではないかと思います。この事件名をあげても、おそらく誰も知らないような事件です。私は最初の赴任地が福岡で、NHK福岡で働いている1992年に「飯塚事件」は起こっているんですが、人事異動の時期と重なっていて、ほとんど記憶に残っていませんでした。2008年に死刑が執行され、翌年の2009年に再審請求が提起されました。新聞のベタ記事で、死刑執行後に再審請求をすると知った時、びっくりしました。「再審請求はどうなるんだろう」と思って、取材を始めました。被害者遺族を取材してきた延長線上で、死刑が執行された久間三千年さんの奥さんと被害者の女の子のお父さんを取材しようと考えました。実は、この2つの遺族と言いますか、家族は、今もそうなんですが、1キロか2キロぐらいしか離れていない、ものすごく近いところ、スーパーで会うような距離に住んでいます。この2つの遺族、家族を取材してドキュメンタリー番組にできないかというのが元々の発想でした。当時、久間三千年さんの奥さんも、被害者遺族の方も、取材はなかなか難しかったです」

1992年2月20日 飯塚事件発生

1994年9月23日 久間三千年・逮捕

1999年9月29日 福岡地裁・一審で死刑判決

2001年10月10日 福岡高裁・二審で死刑判決

2006年9月8日 最高裁で死刑確定

2008年10月28日 久間三千年・死刑執行(福岡拘置所)

2009年10月28日 第一次再審請求を福岡地裁に提起

徳田靖之弁護士(右)、岩田務弁護士  ©NHK

「再審請求を提起した弁護団に話を聞きました。徳田靖之弁護士、岩田務弁護士です。インタビューにこう話しました。「自分たちが再審請求を早く準備していたら、死刑執行はこんなに早くなかったんじゃないか。自分たちが久間さんを殺したんじゃないかと思っている」。ものすごい衝撃を受けました。弁護士がこんな思いを持っているんだ、冤罪かどうかというよりも、弁護士たちのこういう葛藤みたいなものにまず、興味を持ち、取材を始めました」

木寺さんは上司に番組の提案をする。

「上司に半分怒られながら説教されました。「木寺、お前、何を意味するのかわかっているのか!もし、再審請求が通ったら、日本を揺るがすことになるんだぞ!法治国家である日本が国家でなくなるぐらいの大変なことなんだぞ!覚悟はできているのか!」と言われました。再審請求が通るか、あるいは弁護団がつかんでいる以上の新しい証拠をつかめるか、高いハードルを言われました。そうこうしているうちに、2014年3月31日、再審請求は棄却されました。提案が通らない日々が続きました」

2014年3月31日 第一次再審請求審・一審(福岡地裁)で再審却下

   4月3日 即時抗告

2018年2月6日 第一次再審請求審・二審(福岡高裁)で抗告棄却

    2月13日 特別抗告

自社の報道を検証する連載を始める 西日本新聞社の葛藤

小坂さん

「こうした状況の中、放送にゴーサインが出ることになりますが…」

木寺監督

「20回、30回と提案しましたが、なかなかうまくいきませんでした。こうした中、2018年から西日本新聞は連載を始めました。事件発生当初からの自社の報道を検証するという連載です。連載は19年にかけて、83回も続きました。関係者を取材する、関係者の中でも関係が薄い人も取材する、そうやってあらゆる人に話を聞き、その人のたたずまいも含めて記事にして、取材を断られた場合は断った瞬間も記事にしていました。こういう多角的な形で取材をして番組を制作するのはいいのではないか、とヒントをもらって、そして勇気付けられて、もう1回やってみようと思いました」

1992年8月16日 西日本新聞が「重要参考人浮かぶ」スクープ報道

2018年3月22日 西日本新聞「検証飯塚事件」連載開始

元西日本新聞記者・宮崎昌治さん(左)、元西日本新聞 事件担当サブキャップ・傍示文昭さん(右) ©NHK

「この連載で、25年以上前の1992年8月16日に報じた、宮崎昌治記者のスクープを検証します。このスクープは<久間三千年、重要参考人>という内容の記事でした。スクープを打つ過程を、自分たちの筆で細かく検証します。本当にあのスクープはよかったのかどうか。西日本新聞も葛藤を抱えています。弁護団、西日本新聞、両者は葛藤を抱えているんだと思い、取材を進めました」

自白を取れなかったという後悔があるのではないか 警察官の葛藤

「そして、警察です。警察にも手を広げて多角的にやっていこうと思いました。私は報道記者ではなく、警察を取材した経験はありません。初めての警察取材でした。元福岡県警の捜査一課長だった山方泰輔さんの住所がわかり、便箋で5、6枚の手紙を書き、「電話をください」と付して手紙を送りました。すぐに電話があり、会いました。山方さんは一方的に、こんな事件を解決したとか、自身の武勇伝を5時間ぐらいぶっ続けで話しましたが、なかなか飯塚事件のことは話さずにいました。話している中で、山方さんが「飯塚事件」のことで、何か後ろめたさ、何か悔いている部分があるんじゃないか、と感じ取ったところがありました。後から考えると、山方さんは明言しなかったのですが、久間元死刑囚が犯人だと信じているんだけれど、自白を取れなかったという後悔があるのではないかと思います。もう一つは、飯塚事件の4年前、飯塚事件の被害者と同じ小学校に通う女の子が行方不明になった「アイコちゃん事件」です。山方さんは久間さんが逮捕された日に重機を持ち込んで久間さんの庭を掘り返します。そこにはアイコちゃんが眠っていると信じて。しかし、見つかりませんでした。この2点、自白とアイコちゃん。この2点を悔いているような感じが段々してきました。だから、警察官たちも葛藤を持っている、そう思いました。葛藤を持っている3者、弁護団、西日本新聞、警察、をぶつけ合うことで何か見えてくるものがあるのではないか。そもそもの提案を大きく変えました」

元福岡県警 捜査一課長・山方泰輔さん ©NHK

木寺さんは番組の提案をする。

「NHKスペシャルという番組で放送するよう提案しましたが、全然通りませんでした。次にETV特集の担当者に提案しましたが、「地上波テレビの番組ではゴールが見えないとダメだ。ゴールというのは何か。再審開始だ。再審が動くということがないとダメだ」と言われました。とん挫しかかったのですが、BSに提案すると、「やればいいじゃないの。これまでなぜ通らなかったのか?」と言ってくれて、100分のBS1スペシャルがようやく始動することができました。そして、2021年2月から本格的なロケが始まることになりました」

BS1スペシャル「正義の行方~飯塚事件30年後の迷宮~」は2022年に放送された。そして、文化庁芸術祭大賞を受賞。

弁護団、警察官、新聞社 それぞれの<正義>を描く

小坂さん

「NHKのBSで、長編ドキュメンタリーとして放送されました。この番組を映画化した、ドキュメンタリ―映画『正義の行方』は冤罪の可能性を告発する作品というより、弁護団、警察官、新聞社の3者のそれぞれの視点をたたかわせるような作りになっていると思います」

木寺監督

「飯塚事件のような冤罪が疑われるような事件、他で言えば袴田事件だとか、解決しましたが足利事件のような、冤罪を打ち立てて、これは冤罪だと言っていくテレビ番組が放送されたり、映画でもそういう内容のものが多いかもしれません。今回の作品『正義の行方』は、私に冤罪だと言う確証がまず、ありません。取材すればするほど、遺体が見つかった八丁峠の森に象徴されるように、真相が見えません。久間元死刑囚は死刑が執行され、殺された子どもたちももちろんいません。当事者の三人がもうこの世にはいない、だれも真実を語る者がいません。そういう中で、「これは冤罪だ」と言い切る材料が私の中にはありません。でも、先ほど話した弁護団、警察官、新聞社の3者を描けばいいと思った時に、スタッフと話している中で、<正義>という言葉が出て来たんです。<正義>というのは、いろいろな立場の人が<正義>ということを自分のことを表明する時に使うと思います。例えば、ロシア・ウクライナの戦争で、どちらも自分たちの<正義>があると思って、戦争をやっていると思います。<正義>はそれぞれの立場で変わる。弁護団・警察・新聞社の3者のそれぞれの<正義>を描いていくことが突破口になるんじゃないかと、撮影が始まる前にスタッフと話していました」

「警察官はハードルが高くて、取材に答えてもらえないだろうと思っていました。彼らを説得する言葉として、どんな苦労があって久間さんの逮捕に行き着いたのか、あるいは再審請求についてどう思っているのか、警察官の<正義>を知りたい、と手紙に書いて送りました。裁判の行方ではなく、<正義>の行方にこだわりました」

「取材した山方泰輔さんも飯野和明さんも当時、福岡県警捜査一課の刑事でした。元々は捜査三課です。捜査三課は窃盗犯が捜査の対象です。窃盗犯の言葉は嘘だらけだったり、嘘をついていることすら自覚していないぐらい、あやふやなことを言うそうです。嘘を打ち負かして、自白に持っていくのは、ものすごくむずかしいと思いますが、三課の刑事は自白を導くプロなんです。飯野さんに初めて会った時、飯野さんは「もし、あんたが犯人とされて、犯人やなかったら、あんた、どうやって主張するね?」と目を見て聞くんです。私は「もちろん、やっていないと死に物狂いでいいます」と答え、飯野さんは「そうやろ。俺じゃないと言うやろ。でも久間は言わなかった」と言いました。この時、私は警察官の言葉に信憑性があると思い、そのときから、3者にきちんと向き合わないといけないと思い、それから、弁護士、警察、新聞の3者それぞれに、均等に、等距離で、先入観を持たないで、きちんと向き合わないといけないと思い、正直に向き合って、疑問があれば聞くという、そういうことをそれぞれにやっていきました。警察官には弁護団の取材をしていることを、弁護団には警察官の取材をしていることを伝え、みなさんは了解しました。度量がすごいと感じました。そうやって取材を進めました。そういう意味では素直な取材ができたと思います」

木寺一孝監督

会場からの質問

「この事件で重要な役割を担う人として、検察官と裁判官がいると思いますが、そういう人たちの取材はむずかしいのでしょうか」

木寺監督

「みなさんからよく聞かれます。実は、公判を担当した検察官と裁判官には手紙を書きました。検察官はすでに退官していて、兵庫県姫路にいます。手紙を書いて、電話がつながって、話すことができました。非常に淡々としていて、「自分の主張は法廷や調書の中にすべてあるので、それを読んでください」ということで、取材は断られました。裁判官からは、なしのつぶてでした。裁判官はどうしてエラそうなんですかね。よくわかりません。この裁判官は今は弁護士をしていて、事務所もわかっています。スタッフから「突撃取材をしたらどうか。逃げたら、その後ろ姿を撮ればいいじゃないか」と突き上げをくらいました。でも、今回は裁判の行方ではなくて、<正義>の行方です。検察官、裁判官がこの30年をどう思って、どう考えて、生きてきたのか、カメラの前で話してくれたら、すぐに撮りに行きます。けれども、そうでなかったら、そんな後ろ姿を撮ってもしょうがないと思ったんです。<正義>というキーワードに照らすと、そこまで重要なことではなかったと思います」

最後に木寺監督から会場にメッセージ

「この映画を、裁判員の目で観てもらってもいいですし、あるいは、自分が警察官だったら地域の安定を守るために逮捕に行くのか、行かないのか、あるいは、新聞記者だったら、あの時スクープを打つのか、打たないのか。それぞれの目線に立って映画をご覧になってもいいと思います」

〇映画『正義の行方』公式サイト

●編集担当:文箭祥人 1987年毎日放送入社、ラジオ局、コンプライアンス室に勤務。2021年早期定年退職。

なお、冒頭の写真のコピーライツは©NHK

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