御陣乗太鼓は「先がけ太鼓」 復興における祭りの意義は? 藤平朝雄さん①

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 祭りの復活はムラの復興をしめす。祭りこそはムラの人たちが長年自分たちの力で自主的にいとなんできた「節目」だからだ。2026年8月の名舟大祭の翌日、能登の祭りの「今」について、能登の民俗文化にくわしい藤平朝雄さん(87歳)にうかがった。

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後ろが窓がこわれた「窓岩」=2026年8月
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心の不景気をふきとばす太鼓

 御陣乗太鼓は2025年に「サントリー地域文化賞」をもらいました。
 伝統芸能は、昔ながらのものを保持しつづけていることが評価されるけど、サントリーの視点はちがいました。

 観光ブームのとき、地元の宿泊施設で毎晩太鼓を披露し、それが評判をよんで全国に知られるようになった。能登半島地震後は全国をとびまわって演奏しつづけている。震災以前も以後も能登と全国をつなぐ架け橋となっている。(サントリーHPから要約)

 御陣乗太鼓は、「伝統」にとじこもるのではなく、アレンジと工夫をかさね、声がかかるところはどこにでもでかけてきました。能登半島地震でお宮がなくなっても舞台が土砂に埋まっても、太鼓をたたきつづけています。
 いつも明日にむかって、心の不景気をふっとばすために太鼓を打ちならす。「時代の先駆けの太鼓」なんです。それを今の若い人がやってるのがすごい。
 御陣乗太鼓の人たちはのんきで肩書きにこだわらない。国の重要無形文化財になってもおかしくないのに、1963(昭和38)年から県の無形文化財のままです。

伝説を創造し、わがものにする

 上杉謙信が1576年に能登半島へ侵攻した際、住人が仮面と海藻の頭髪を身につけ、太鼓を打ちならして上杉勢を退散させたとされています。
 これが事実ではないとしても、その創作じたいがおもしろい。上杉が奥能登まで支配した証拠は、珠洲の「ランプの宿」にのこる上杉景勝の御朱印状です。また「能登に古文書がないのは、上杉謙信が焼いて、常民文化研究所がもちさったから」といわれています。そのふたつの話をむすんでストーリーにしてしまった。でも、いいかげんな話じゃないという信念がある。おそらく名舟では、昔から鬼の面をかぶってきた。それを上手にオーバーラップさせた。その結果、たんなる創作話ではない、ほんものの怨念のようなものになってきました。物語をつくった人らは今はもうあの世だから、今の人はそれを信じておればいいんです。

逆境でこそ「打つ」

 「観光化した」「俗化した」と批判もされてきたけど、そういう声におかまいなくやってきました。イスラエルやアメリカでもたたいた。北海道の旭川の冬、氷点下15度のところで、あの格好で打ちました。手足がしばれてうごけないと思ったけど、観衆の前にたつと体がうごきだしたそうです。「あんたらの太鼓、はじめて見させてもらったけど、自分の魂がすいとられるようだった」と言われたといいます。
 地震で長期の避難を余儀なくされても、1カ月後には避難先で稽古をはじめ、全国各地で太鼓を打ってきました。今年の名舟大祭では、土砂でせまくなった広場にキリコをたてて太鼓を打ちました。どんな環境でも打ってきました。
 名舟の人たちは大昔、海のかなたの九州のほうから日本海をわたってきました。海人魂があるから、今でもあれだけのことができる。遺伝子ですね。
 ごはんのとき、小さな子が箸で茶碗とたたくと、「行儀悪い!」っておこられますよね。でも名舟では「たのもしい!」ってほめられるんです。あそこでは太鼓こそが男の甲斐性です。でっかい家をたてるのが男の甲斐性、という柳田(能登町)のような地域もあるけど、名舟の人たちは「男の甲斐性」で太鼓を打ってきました。
 能登半島地震以降、能登中の人たちが懸命にいろいろ努力してきましたが、とりわけ、自分たちの意志と力で状況をきりひらいてきたのが御陣乗太鼓です。「先駆け」というのは本来「神輿の先駆けの太鼓」という意味ですが、それだけでなく御陣乗太鼓は、昔から能登の元気を牽引する「先駆け」であり、地元発の地域おこしでもあるんです。
 今回(2026年)の熊本地震が、「これまでの支援ありがとう。これからは自分たちでやっていくよ」となる転機かもしれません。今後は外の支援にたよるのではなく、自前でうごかなければなりません。その一番の「先駆け」がやはり御陣乗太鼓です。
 私からみれば、怪物のように活躍してきた地域おこしの先駆者が老いて次々に体調をくずしています。私もなにがあってもおかしくない年齢です。でもせっかく生きているんだから、なんでもやれるうちにやらないといけない。「そのうち」じゃなくて今やらないといけないんです。

人と人をつなぐキリコ祭り

 地元の曽々木地区は震災の年から夏祭りを復活し、今年(2026年)も、ドーンと花火をあげて、ボランティアの力をかりてキリコもかつぎます。
 名舟の隣の南志見地区の「水無月祭り」は名舟大祭の1日前にありました。ここは7本のキリコがでました。地震で人が減って、もどってきた人も仮設住宅ですから、キリコはかつげず、立てただけだったと思いますが。
「本来の祭りは地元の人だけがやるもんだ」「祭りの日を土日にするのはいかがなものか」「ボランティアだのみはおかしい」などと批判する学者もいるけど、とんでもないことです。
 祭りをはじめたのは人間なんだから、時代の事情にあわせて変化したらいい。
 外からきたボランティアは、声のかけかたも、かつぎかたもわからないけど、そんなのは問題じゃない。いっしょにかついでおなじ空間と時間をすごすのことが大事なんです。
 文化庁が2015(平成27年)に創設した「日本遺産」の第1号(最初の18件のストーリーのひとつ)に、「灯(あか)り舞う半島 能登 〜熱狂のキリコ祭り〜」が認定されたのは、私にとっても夢のような、まさかのまさかでした。
 獅子舞は全国にあるけど、キリコが集中しているのは能登だけです。キリコ祭りのなかにこそ「地元」があります。キリコ祭りは地震後も各地で活発にひらかれています。
 キリコをだしてきた集落で、地震でだめになったところはおそらくないと思います。(つづく

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