輪島市名舟町の「名舟大祭」は、7月31日夜、山の上の白山神社にキリコ5基があつまり、神輿とともにくだる。

神輿を舟にのせて海上の鳥居の下まで移動し、50キロ沖にある舳倉島の奥津比咩(おきつひめ)神社の祭神をむかえ、神輿が陸にあがると、「御陣乗太鼓」が奉納される。

夜叉、爺、幽霊、達磨の面をかぶり、海草をかたどった髪の毛をふりみだしてバチをふるう。かがり火に照らされた奇怪な面と太鼓の轟音が、あの世とこの世のあわいの世界をうかびあがらせる。


翌8月1日は神輿を舟にのせて、海上の鳥居までおくり、祭神を舳倉島におくったあと、ふたたび御陣乗太鼓の奉納打ちをする。
地震1カ月後、避難先で稽古再開
2024年正月の能登半島地震で白山神社の山が崩落し、ふもとの民家を直撃して3人が犠牲になった(うち1人は行方不明)。御陣乗太鼓の舞台も土砂にうまった。道路は寸断され、名舟をふくむ南志見(なじみ)地区の住民700人は全村避難をよぎなくされた。4月に仮設住宅が完成するまで、ほぼ無人になっていた。
だが、名舟の男たちは被災から1カ月後の2月には避難先で稽古を再開し、3月には白山市の白山比咩(ひめ)神社で奉納演奏をした。テレビの取材にこうかたっていた。
「どんな時もなりふりかまわず一生懸命たたくのが教えです」
2024年8月1日には、名舟の海岸で神事をもよおして御陣乗太鼓を奉納した。
2026年はついに、キリコが復活した。
太鼓は名舟の命

8月1日昼すぎ、海岸にはすでに人があつまっている。
山の上の白山神社の社殿はすでに撤去された。石段は崩れたままだからのぼれない。
土砂にうまった御陣乗太鼓の舞台の前の広場にはキリコが3基たてられている。5基中3基をようやく修理できたのだ。

名舟海岸は約2メートル隆起した。漁港は海底が露出し草がおいしげっている。
海中にあった鳥居も今は砂浜の上にある。左右の柱だけがのこった鳥居に斜めに注連縄をわたしてある。

鳥居の前の砂浜に祭壇をもうけ、午後3時から沖の舳倉島にむかって神事をもよおす。舳倉島の祭神を勧請し、つぎに見送る祝詞をあげる。

1時間ほどの神事のあとは、御陣乗太鼓だ。舞台は土砂に半分うまっているから、国道わきに敷いた十畳ほどの白い板を舞台にみたてて演じる。300人ちかくが周囲をとりかこみ、魂をゆさぶる太鼓の迫力と熱量をうけとめた。

減ってしまった住民だけではキリコはかつげないが、祭のさいごに、観光客とともにキリコを1基をかつぎあげた。
「SNSでしかつたえていないのに、たくさんの人が来てもらえた。それだけでうれしい。去年は神事と太鼓だけだったが今年はキリコを組み立てた。すこしずつ前進している」
「能登は祭りにはじまり祭りにおわる。名舟にとってこの祭りは1年でもっとも大事な節目です。来年はキリコをねりあるけるようにしたい」
地震と豪雨という二重災害にあい、多くの住民はいまだに帰れていないけれど、たしかに名舟は生きつづけている。御陣乗太鼓があるかぎりこのムラは死なない−−。そう確信させてくれる1日だった。
次は、能登の祭りにくわしい藤平朝雄さんのインタビューです。(つづく)

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