大阪のメディアを考える「大阪読売新聞 その興亡」76 松江支局長編2 安富信

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風化した島根原発と宍道湖中海問題

 さて、14年ぶりに赴任した松江支局は、あまり変わっていなかった。支局総務のM浦(旧姓)さんがいて、支局の建物もそのままだ。支局員が書いた記事を漢字テレタイプで打つパンチャーさんはいない。だけど、若い支局員と話をするうちに、14年のブランクを痛感するようになった。
 それは、大きく2つ。島根原発と宍道湖中海淡水化・干拓事業への取り組み方だ。簡潔に言えば、どちらも非常に軽んじられている。いや、もう済んだことのように扱われていた。県政キャップのS根さんに聞いた。
「島根原発どうなってる?」
「◯◯部品の交換ですか?」
「宍道湖中海問題は?」
「中海干拓の工事ですか?」
 話が噛み合わない。筆者が県政2大事業と信じていたものが、矮小化されている。これはまずい、と思った。

熱血! サツ回り指導

 それもあるが、最も基本的なこともやらなくてはならない。それは、事件記者を一から育てること。4月半ばに赴任する1年生の男女記者。2年生の男2人の記者。この4人のうち、将来、社会部に行って事件記者になりたい記者を若いうちから育てる。当時は、そう勝手に思い込んでいた。まあ、時代錯誤な支局長が来たものだ。だから、頓珍漢な騒動が1年弱続くことになる。今から考えると、初めて支局長になって若い事件記者を育てるんだ、と躍起になっていた。当時の支局員には誠に申し訳なく思う。
 そんなこんなで、4月半ばに1年生記者2人が来てから、本格的に安富松江支局が始まった。しかし、支局長生活は楽しかった。長男が小学校に入ったばかりで、母衣小学校まで3キロ近くあった。毎日が心配で昼過ぎに彼が帰宅するのを途中まで迎えに行くほどだった。基本的には支局の原稿は、次席の石井さんに任せていたし、県政はM原さんに任せていたので、極めて安心だった。支局内はT本さんという女性記者がいて、当に遊軍というべき働きをしてくれていた。M浦さんとアルバイトのM田さんがいたから、支局長としては、何もやらなくてもいい状況だった。
 だが、筆者はそんなぬるま湯に浸っているのが大嫌いだった。当然のように、いちいち口を出した。
 まず、1、2年生4人には、警察回りの基本をかなり厳しく教えた。夜討ち朝駆けはもちろんだが、口を酸っぱくして言っていたことが、捜査員の動きをチェックして平時と緊急時を見分けろ! 捜査車両、特に捜査一課の課長、調査官(次席)、管理官の専用車両には注意を払い、緊急出動に備えよ、などと初心者の警察回りとしては、かなり難しいことを言っていた。
 平時と緊急時の見極めは、大きな事件が発生した時に初動に遅れないためで、捜査車両のチェックも捜査幹部が動けば、大事件だ、という論理だ。これは、筆者が記者になって10年を超えた時期に大阪府警捜査一課担当を経験したからこそ言える指導なのだが、駆け出し記者には難易度が高い注文だった、と今からすれば思う。1年生の彼らはそのアドバイスに素直に従った。

女性記者、捜査員の飲むスナックに潜入

 ある日、旧知の捜査二課の巡査部長から電話があった。筆者が駆け出し時代に松江署刑事課で世話になった捜査員だ。
「この間、選挙違反の集中捜査が終わったんで、隣の安来市内で打ち上げの飲み会をした後、松江市内のスナックで2次会していたら、読売のA井記者が入って来て、ママと親しそうに話し込んでいたのだけど、知ってる?」と言う。
 少し思い当たることがあったので、A井記者に問い質した。
「支局長が普段から捜査車両の動きをマークしろ!と言っていたので、それを実行しただけです。捜査二課の車両が安来に行き、料亭で宴会をした後、松江に移動したので追尾したら、捜査員数人がスナックに入ったので、チャンスだと思い切って入りました。いきなり捜査員に話しかけたらまずいので、ママさんに話しかけました。初めて入った店です」
 しれっと答えた。思わず、笑ってしまった。指導の通りに行動したのだった。捜査員の追尾については褒めた。
 新人記者2人が来て半月ほど経ったゴールデンウィークの最中だったと記憶する。地元紙の山陰中央新報に能義郡(現安来市)のある町の町議の不祥事を抜かれた。刑事事件にはならない事案で、そんなに大きな記事ではなかったが、新人2人には、この議員に直接会って、取材するよう命じた。インタビューするのに、数日かかった。連日、不調な取材が続く。会ってくれない。自宅から出てくれもしない。O達記者もA井記者も首をかしげた。
「こんな小さな不祥事をこんなに取材する必要あるのですか?」
 確かに、放置しても良いレベルだった。他社も追いかけない。しかし、筆者は考えた。地元紙が小さな扱いで書いた議員の不祥事だからこそ、しっかりと取材することが新人記者として大切なことだ。数日後、ようやくインタビューが取れた。議員の言い訳に過ぎなかったが、島根県版に掲載した。ベタ記事だったが。(つづく)

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