大阪のメディアを考える「大阪読売新聞 その興亡」40(社会部編16) 安富信

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「悪夢の捜査一課担」黒歴史に筆鈍る

 さて、いつまでも先延ばししてもしょうがないので、「悪夢の捜査一課担」時代を始めよう。ちょっと前までは、府警ボックスに入って、それも4番バッターの捜査一課担になるのを目標に、「事件記者」としての最高峰に上ることを楽しみにしていたが、ネソ回りの終盤頃から、その仕事内容の厳しさを体感し始めていたものだから、一課担になった平成元年(1989)4月から数日で悪夢に代わっていた。今から考えると、ここから数年間は、後に出て来る「黒安富」が出現し始めていたようだ。要するに実力がないのに、大きな職責を負わされて、小さい自分が出始めたのだ。つまり、仕事が出来ないことを他人、主に年下の後輩たちに辛く当たるという、最低の安富の姿が出て来たのはこの頃からだった。
 
話はちょっと変わるが、この連載を書くに当たって大阪読売の先輩や後輩たち何人かと会って来たし、これからも何人かに会うだろう。この連載の書き方に比較的好意的な見方をしてくれる人は、実名で登場することを了承してくれた。半面、書きっぷりがどちらかと言えば、読売新聞批判となっていることから「今も仲良くしている先輩との関係性を悪くしたくないので」と仮名どころか「存在さえも出さないでほしい」という人もいる。また、今の読売新聞のあり方に怒りを覚えて「自分が過去にその組織にいたこと自体が恥ずかしい。存在を消してほしい」と言う人や、「特に一課担時代の仕事ぶりが恥ずかしくて、実名は勘弁してほしい」と言う人もいる。ある後輩記者は「今のところ楽しく読ませてもらってますが、安富さんのデスク時代の“黒歴史”をどう書くか、楽しみです」と不敵な笑いを浮かべた時には、思わずむっとして「そら、そのまま書くよ」と言い放った。連載を順調に書き進めてきたが、ここに来てその難しさと、これからのことを考えると、暗澹たる気持ちになっている。そのせいか、原稿を書くスピードが落ちて来た。

若い記者を煙に巻く雑談名人の調査官

ま、そんなことを言っていてもらちが明かないので、書き進めよう。まずは府警ボックス詰めの生活。大きな事件を抱えていない時は、概ね朝9時過ぎにボックスに出勤する。当時筆者は大阪府吹田市内のマンションに住んでいた。朝駆けをしない時は、バスで北大阪急行の桃山台駅に行き、梅田で地下鉄谷町線に乗り換え谷町4丁目で降りて府警本部に出勤する。約1時間の通勤時間だ。出勤すると、ボックスのソファーベッドで仮眠している宿直当番に前夜からの発生ものの報告を受けて、広報課に顔を出して、グダグダする。11時半前になると、4階にある捜査一課の大部屋(といっても捜査一課の部屋には入れず、一課長室の前にある待合室のような空間)に行き、通り過ぎる一課の刑事さんたちの顔色を見る。やがて、捜査一課調査官(№2)が出てきて、雑談を始める。ほぼ絶対に事件の話はしないし、10数人いる各社の一課担たちも事件のことはおくびにも出さない。調査官は2,30分ほどどうでも良い話を繰り返して引っ込む。筆者らの頃の調査官は故青木忠さん(通称アオチュウさん)という雑談の名人だった。少ししゃくれた顎をさすりながら、「山より大きな牛はでえへん」が口癖だった。50代半ばの捜査の大ベテラン警視だ。20代後半から30代そこそこの記者なんて、いつも煙に巻かれていた。
 
そうこうするうちに正午になって、捜査一課長室で一課長レクが始まる。各社の一課担キャップがソファーに座り、他の若い記者たちは立っている。NHKの正午ニュースを見ながら、これも只管、雑談が続く。大阪府警の捜査一課長は本当に激務だから、長くても2年、概ね1年で交代する。筆者が一課担だった2年半で、一課長は3人。高校野球で甲子園に出場し早稲田実業の王選手と対戦したのが自慢だった安田佳秀さん、次いで村上晃三さん、最後が鈴木健治さん。皆さん故人となった。一課の刑事からのたたき上げの一課長は少なく、テレビドラマの「捜査一課長」の内藤剛志さんとはずいぶん違う。一課長宅に深夜、必ず夜回りに行くのが、一課担キャップの仕事だが、一課長のご自宅はどこも遠く、府内の北の端や西の端、奈良県、果ては三重県と言う人もいたので、捜査会議が終わって帰宅するのが零時近いこともしばしば。そこで10分ほどの取材をして府警ボックスに帰るのは2時を過ぎることもしょっちゅうだ。

ハイヤーで夕食後、屈辱の夜回りへ

 一課担2年半の中で、最初の1年は、駿河志朗さんがキャップで、筆者が真ん中、2年後輩の味谷和哉さん(現フジキャリアデザイン執行役員)の3人組だった。一課担は本来2人なのだが、3人制になったのは、昭和56(1981)年の4月からだ。昭和59(1984)年に起きたグリコ森永事件の捜査が縮小され、3人専従という訳にはいかなくなってきたとき、当時の府警キャップ・四ノ宮泰雄さんが、駿河さんを捜査一課、3課、4課総合キャップ、安富が1,4課担当、味谷さんが1,3課担当という苦肉の策を打ち出した。府警ボックスは、四ノ宮キャップにサブキャップは江崎丈さん、一課担が3人、二課担が植松実さんに故上杉成樹さん、防犯・交通担当が川島紳明さんの8人だった。キャップとサブを除く6人と市内回りが週に一回府警ボックスで宿直勤務をする。週に一度、ボックス泊りをするから1年間でだいたい50回泊まることになる。

 泊まり以外の記者たちは、夕方の調査官レクなどを済ませた後、食事に出かける。事件記者たちの移動方法は本社が借り上げているタクシーだ。午後7時過ぎに、府警本部前に「大タク」のハイヤーが向かいに来て、1人ずつが乗り込んで、府警本部から時には上本町6丁目や難波、時には梅田近くまで夕食に出かける。一日のうちで唯一の楽しい時間だ。タクシーで移動するので、夕食と一緒に少しビールなども飲む。概ね8時ごろまで、食って飲んでしゃべって、それから夜回りに出る。ここからが苦痛で屈辱の時間だった、筆者の場合。ここからはさらにややこしい話になるが、一課担の仕事ぶりを説明するには必要なので、しばしご辛抱を。

先輩記者から「ネタ元」引き継ぎ

 そもそも、どこに夜回りに行くのか。もちろん、捜査一課の刑事さん宅だ。それ以外に鑑識課、科学捜査研究所、刑事調査官室の警官や警察吏員宅もある。これらの夜回り先は、いわゆるネタ元と呼ばれる警察関係者だ。じゃあ、誰からネタ元を引き継いでもらうのか? 一課担の先輩記者からだ。一課担を卒業して、後輩の一課担が決まると、概ね3月か4月頃に一緒にネタ元のお宅を訪ねて、引き継ぐのだ。直接に引き継いでもらった先輩は、「親」でその一代前の先輩は「祖父」になる。そうしたネタ元の系譜が概ね一課担に2筋ある。筆者も引き継いだが、その数はあまり多くなかった。仕方ない。それなりに数はあっても、期待していたほど、何でも教えてくれるネタ元なんていなかった。せいぜい、夜回りに行っても断られずに、お宅に上がらせてもらえる家だ。

その中でも印象的なネタ元は、科捜研のある吏員だ。先輩記者が言うには、その方の家を訪ねる際には必ず30分前に電話を架けなければならないという。お会いして直ぐにその理由がわかった。その方はかつらをかぶっていたのだ。しかし、その先輩は2年間付き合って気づかなかったという。筆者が2年半、一課担をしていたうちで、本当に急を要した日に、30分前ルールを破って、お邪魔したことがあった。かつらがずれていた。真剣な取材だったが、噴き出してしまいそうだった。こんな刑事さんもいた。捜査会議を終えて帰宅するのを待ち構えて、玄関口で立ち話をしてくれるが、何度行っても家に上げてくれない。産経の記者やうちの先輩一課担記者や、加藤譲さんは上げたという。加藤さんは風呂にも入ったという。人間性の差だろうか? 筆者は遂に上げてもらえなかった。

ボトル1本空けたら質問ひとつに回答

大阪府警捜査一課には殺人事件を専門にする班が概ね7つあり、その他、特殊班と言って誘拐事件や立てこもりなどの特殊事件専門の班(グリコ森永事件は特赦班担当)。あと放火犯があるが、概ね一課担の夜回り先はほとんど殺人班だ。班長は警部で事件の指揮をする重要なポストだけに、たいていの班長は自宅に上げてくれる。守口市の比較的近いマンションに住んでいた班長はウイスキーが好きで、持参すると2人でボトルを1本空けると、1つだけ質問に答えてくれた。夜9時か10時にお邪魔して、ストレートでウイスキーを空にするには2時間ぐらいかかった。深夜零時過ぎになって、1つだけ質問すると「知らない」と答えて終わった。ほとんど毎夜、こんな調子だった。いや、自宅にあげてもらっただけ、ましか。

笑えない伝説のような話もある。前の一課担3人の話。非常に重要な殺人事件に関して、拉致された現場近くで目撃された車のナンバーが確認されたという情報が入った。その班には一課担キャップのネタ元刑事がいた。これまでも教えてくれた。しかし、ここでも前述したようなハードルがあった。しっかりとお酒を飲んでから1つだけの質問ルールだ。果たして刑事は最後に答えてくれた。車のナンバーを。しかし、もちろん夜回り先のお宅でメモなどできない。先輩は待っているタクシーに戻って必死に記憶した数字をメモした。府警ボックスで待ち構えていた2人は聞いた。「メモした」というので、メモ帳を開けたら、酔っぱらって何を書いているか判明しない。2人は先輩キャップの首を絞めた。「思い出せ!」。筆者は先輩を逆さ吊りにして思い出させようとした、と聞いていたが、それは都市伝説だった。

朝駆け、昼寝、麻雀、夜回り……地獄の日々

そんなことだから、府警ボックスでの生活は地獄の日々 だった。ネタは取れない、新聞記事も長いこと書いていない。朝5時からタクシーが迎えに来て、朝駆けに行くことも。夜回りと違って、朝駆けの利点は、刑事さんたちは起きて出勤するので、自宅前で待っていると必ず、駅までの数分間は話が出来ることだ。しかし、これもほとんど何も答えてくれないか、禅問答に終始した。さっぱり事件解決につながっているのか、わからない。ぐったりとなって府警ボックスに戻る。夕刊の締め切りが過ぎる午後2時ごろからは、どっと疲れが出て、ホールという仮眠ソファーが並んだ部屋で昼寝する。そんな時に限って、「麻雀をしよう」という輩がいる。元気なものだ。仕方ないから付き合うが、惨敗の毎日だった。夕方の調査官レクが済んで、夕食に出る。その繰り返しだ。そんな生活がずっと続いた。優秀な記者が集まる一課担、抜かれた記事も数知れずだ(つづく)

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