〈緊急寄稿・わが輪島塗-能登の震災に寄せて-〉  井上実

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 映画『キャメラを持った男たち-関東大震災を撮る-』の演出、井上実です。 

 昨年はこの映画の公開とともに次なる作品、〈輪島塗〉の制作技術を記録するため、幾度となく石川県輪島市に通って撮影をしていました。文化庁の企画になるこの映画はフィルムの長期にわたる画像保存の実績から35㎜フィルムでの撮影という条件があるのですが、映画フィルムでの制作が滅多になくなってしまった現在、とても価値のある、意義深い取り組みだと思っています。

 おせち料理が詰まった重箱、箸、客人をもてなす果物やお菓子が入った盛器や盆、ご馳走を小分けする取皿…輪島塗は私たちが目にしたり、使ったりする什器の中でもちょっぴり大切な機会に顔を出すことが多いのではないでしょうか。事実、輪島塗のうつわは一般的にいって高価です。でも漆の優美な形や色艶、何代にも渡って使われ続ける丈夫さ、破損があってもしっかり修繕してくれる品質管理など、お金で代えられない、かけがえのない価値というものが輪島塗にはあります。とは言っても、普段使いの食器が百円単位で消費されるのが現代です。輪島塗もピンからキリまである。〈輪島塗〉の箸と思っていたものが実は〈輪島〉の塗箸だった、というエピソードがあるくらいです。私も輪島塗の記録映画に取り組むまで、いただきものの〈ぐい吞み〉が二つ手元にあるだけでした。でもそのぐい吞みでいただくぬる燗のなんと軟らかく、口当たりのいいこと!温度も時間が経過しても冷めずにいます(漆の茶碗でいただくご飯も同様に冷めにくいそうです)。

マイぐい呑み。見た目の重厚感に比してとても軽い

 「どうしてなんだろうなあ」とじっとみつめます。豊かな丸みと口元のちょっと反ったカーブ。木目がうっすらと浮かぶ胴。にぶく透き通っているような、でも鮮明な朱の色。人の手の温もりの中で、じっくり浮かんでくる透き漆の艶。ずっと手にしていても疲れない軽さ。「名品に重いものなし」と言ったのは現代漆芸の中興の祖、松田権六でしたが、ふと自分でもこの大家の至言を呟いてしまいます(酔っぱらっているからかもしれませんが)。

 ちなみに漆は「かぶれる」からといって敬遠される方がいるかもしれませんが、樹液の状態ならともかく、塗料として使用され、完全に硬化してしまえばその可能性はゼロです。天然由来の材料を使用して、ここまで洗練されたうつわに仕立てた人間の叡知と技術には本当に頭が下がります。この謎めいた技術の軌跡を映像で記録したいとの思いで、フィルムを回していました。

 輪島塗はご存じの方もいらっしゃると思いますが、大変な工程数をかけてひとつの漆のうつわをつくる、伝統的なわざです。薄い木地の胎に珪藻土を焼成した下地粉を混ぜこんだ漆で下地を重ねて堅牢さと造形の美しさを作りだし、中塗りも複数重ねて漆の質感に深みを与える。国産の上質な漆を上塗りして磨きを加えるとほれぼれするような漆の艶がうまれ、そこにうつわの顔となる蒔絵や沈金といった意匠を施して完成します。

 120~140程の工程を経てつくられる輪島塗は、陶芸や染織といった他の日本の伝統工芸、そして全国各地にある漆工芸の産地の中でも際立って手がかかるものづくりといえます。15世紀にはその技法が確立していたとも言われ、日本の手仕事の精密さ、美への関心の高さ、そして使われる以上、堅牢なものであらねばならないという職人たちの技術への貢献が輪島塗といううつわになって結晶化されています。

 こんな手のかかる漆工文化がなぜ輪島でうまれたのか。それは前述した珪藻土による下地の他に、木地材となる能登アテ(ヒノキアスナロの一種。木の変形や歪みが少ない)の木が栽培しやすかったこと、海沿いの都市で湿度があり、漆が硬化するするに程よい気候だったこと(漆は75%の湿度が最適な硬化環境で、塗り重ねる漆の作業にとって硬化は必須条件)など、漆仕事に最適な風土が揃っていたことが挙げられるでしょう。また、金沢に近く、審美に厳しい加賀藩からの需要に応えうるべく技術を研ぎ澄ませた、そういった歴史的・文化的な背景も見逃せません。

大名道具から普段使いの什器まで輪島塗は様々な需要に応えてきた

 輪島塗は工程を部門ごとに分担しておこなう制作体制も特徴です。すなわち、

〈椀木地〉(お椀や杯、徳利など、丸い器物の木地をろくろで挽く)

〈指物〉(重箱や棚など、板の部材を組立てて木地にする)

〈曲物〉(板を湯で軟らかくして曲げ、器の木地を成形する)

〈朴木地〉(朴や桂などの軟材を切削して、曲線や装飾のある木地を成形する)

〈きゅう漆〉(下地・中塗り・上塗りと漆を塗り重ねて器の色や形をつくる)

〈蝋色〉(ろいろ。塗った漆を磨いて、漆独自の輝きや艶をあげる)

〈蒔絵〉(漆で筆書きした描線に金属粉を蒔いて色や輝きのある意匠を施す)

〈沈金〉(漆の膜面に小刀で彫溝を入れ、そこに漆を詰め、箔紙を押し当てると彫溝に箔が沈んで刀の描線ならではのタッチを活かした文様があらわれる)

 と俗に〈輪島八職〉と呼ばれる分業で成り立っています。様々な器物を効率よくつくるだけでなく、専門職にすることで職人たちの適性に合わせた仕事が可能になります。なにより技術力が際立って向上しやすくなります。

 そしてこれらの分業を管理するプロデューサーとして「塗師」(ぬし)と呼ばれる方たちがいます。「主」も(ぬし)ですから転用なのかもしれません。彼らは能登半島の外端に位置する輪島から金沢、あるいは京都・江戸へ赴いて仕事をとったり、当時の流行を見聞したりして時代に見合う漆工品を職人たちに依頼して、産業として成り立たせてきました。

●輪島塗については、その制作体制を含めて国が重要無形文化財に認定し、その保持団体として〈輪島塗技術保存会〉が1977年に指定されている。

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 塗師は輪島の中心地に店を構え、その周辺に職人たちが集まり、輪島塗のコミュニティーが出来上がります。中心地とは現在の輪島市河井町のことで、朝市で有名な観光の拠点ですが、輪島塗に携わる方々も多く住んでいます。

輪島市河井町・朝市の賑わい

 輪島市は今年1月1日の元日に発生した地震によって大きな被害に見舞われました。被害は輪島に限らず、珠洲市、七尾市、白山市、穴水町、能登町他能登半島全域、そして北陸地方におよんでいます。珠洲市は震央に近く津波被害もあって過酷な状況ですし、七尾市も同様です。

 河井町の火災被害は報道でも伝えられている通りです。朝市が開かれていた通りは焼失、朝市もまた1000年にわたる歴史をもった市でしたが、惨状をみるに暗澹たる気持ちになります。通り沿いの店の方々、売り子のおばあちゃん、仕入れのおじいちゃん…。

 輪島塗を支えてきた塗師や職人さんたちの店や工房も多くが燃えてしまいました。河井町から離れて営んできた職人さんたちもいますが、激震による倒壊の報せがきています。〈最古の輪島塗〉といわれ、輪島塗のアイデンティティともなっている重蔵神社本殿の朱扉も本殿の倒壊でどうなっているのか不明の状態です。

●朝市の歩みや重蔵神社本殿の朱扉については、重蔵神社のHPに記載がある

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 輪島塗の記録映画はもはや製作どころではありません。なにより被災地の皆さまのご無事を祈っています。祈るよりありません。穏やかな年のはじめだったのに、一瞬で自然の力になぎ倒された恐怖はいかほどだっただろうか。消火の手筈もない中、ただ炎にさいなまれる様をみるしかない虚しさは。家屋や土砂で生き埋めになっておられる方々のニュースや、余震の情報、真冬の寒波、避難所での忍耐‐あまりに過酷な‐を思うと心がおしつぶされそうになります。

 まだ被災地のこれからについて書くことは尚早と思いつつそれでもこの記事を書こうとしたのは、輪島塗を通して、遠い地から被災地を想像する一助になればという願いからでした。それが映画という縁でつながった-とてもやわな縁だけれど-私が今できることと思いながら。輪島塗のうつわひとつひとつには何世紀にもわたって人が積み重ねてきた技術や文化が凝縮されています。そのゆりかごとなった風土、生活、歴史、つまり人が生きる上で拠り所としているものに危機が迫っています。輪島に限りません。石川県は〈工芸大国〉と呼ばれてもいます。珠洲市や能美市には陶芸、七尾には和ろうそくがあります。人の手わざによる文化が回復するのはうんと時間が必要です。ひょっとしたら回復しない可能性もある。輪島塗について知ってほしい、うつわを手にとって想像してほしい、それが今、被災地で失われていくものの計り知れなさを知る、手がかりになるなら。

「俺が再びできるようになるまで、故郷はどのくらいの時間がかかるんだい?」阪神・淡路の時や東日本の時のように、時が経過すると忘却していく私に向かって、ぐい吞みが語りかけてきます。長い時間がかかります。ですが、時間がかかっても映画を通して支えていきたい、そうぐい吞みに語りかけるしかない、というのが今の私の心境です。

                                       井上実(記録映画演出)

●輪島塗の塗師、職人さんたちの名簿が輪島漆器商工業協同組合のHPに記載されている。多くが被災の渦中におられる方々だ。当分はコンタクトできる状態ではないが、復興の局面に入ったら、是非支えて欲しい

輪島塗(輪島漆器商工業協同組合)...
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