大阪のメディアを考える「大阪読売新聞 その興亡」39(社会部編15) 安富信

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府警ボックスの「長屋」 七輪で焼肉

さあ、いよいよ、大阪府警ボックスに乗り込もう! 非常に特殊なシステムなので、一般の人にはわかりにくいだろう、と思い、まず、写真を探すことから始めた。現在の大阪府警本部庁舎は、有名建築家の故黒川紀章氏の設計で2007年に竣工した10階建ての全国最大規模という。筆者がいた時代はこの前の庁舎だった。確か5階建てだったように記憶する。ネットで調べてもほんのわずかしかない。外観写真が数葉残っているだけだ。仕方がないので、現在の大阪府警広報課に問い合わせてみた。というのも、欲しかったのは、外観だけでなく、内部の写真、特に、「長屋」と呼ばれた2階の記者クラブや、ホールと呼んでいた通常は記者たちの昼寝のスペースであり、緊急記者会見が開かれた場所の写真だ。それを見れば、当時の雰囲気や臭いまで一目瞭然だろうから。
しかし、広報課はつれなかった。まず、そもそも前の庁舎内の写真は残っていないし、もし残っていても個人の利益になるような著作物やネット連載などには使用許可が出ないという。噂では、前の庁舎が取り壊される前に、記念撮影する機会があったらしく、先輩たちの何人かは行ったという。ならば、この記者クラブにほぼ10年いて“長屋王”とか“三千日回峰”とか言われた加藤譲さんなら持っているだろう、と思って聞いてみた。しかし、残念ながら、「ない」という。色々聞いているうちに、加藤さんは思い出した。「そういや、週刊現代が読売新聞大阪社会部を特集したことがあったな。その時のグラビアに当時の府警ボックスが写っていたなあ」。探してもらったら、あった! 府警ボックスで「かんてき」(七輪)でホルモン焼いている写真が。スゲー! 
週刊現代昭和56年(1981)10月1日号「事件を追いかける男たち・読売新聞大阪社会部のグラビア特集」。巻頭5㌻、巻末2㌻に掲載された写真だ。ついでに亡き黒田清氏の写真や当時の大阪社会部の風景もあるので、紹介しよう。

左は、当に、この連載で書きたかった昭和の府警ボックスだ。少し写真を大きめにしよう。これが、前の大阪府警庁舎2階にあった記者クラブの中の読売新聞のボックス(長屋の1室)だ。どうやらボックス名物の焼肉(ホルモン焼き)をやっている。前述したが、「かんてき」と呼ばれた七輪で焼いて、缶ビールを飲みながら懇談?(怪談?)している。中央のネクタイをしている怖そうなおじさんが、当時の河野一成キャップ、その奥が青木サブキャップ、手前が四ノ宮・二課担(後の府警キャップ、運動部長、地方部長)、一番手前が加藤譲さん、亡くなった津田哲夫さんもいる(右奥眼鏡姿)。全部で9人いるから、ほぼフルメンバーだ。ここが8畳ほどのボックスだ。読売のボックスは長屋のように並んだ一番南端。北に向かって隣が産経、毎日、朝日、NHK、共同、日経の順だった。読売のボックスのすぐ前に、それぞれの部屋のごみやその他お世話をしてくれる妙齢の女性が3人が待機する部屋があった。廊下を挟んだ向かいに広報課があり、事件があれば、館内放送が流れると同時に詳しい情報が入る。

鉛筆なめなめ執筆 くわえ煙草の事件記者

府警ボックスの下の一番左は、加藤譲さんが原稿を書いている姿のアップだ。ボールペンか鉛筆で手書きで書いている。筆者は加藤さんが原稿を書いている姿を見たことがない。髪の毛もふさふさしている。髭も短い。その右の写真は「おなかの赤ちゃんが助けてくれた」で新聞協会賞を受賞した中山公さんの若き日の姿。30代初めだと思われる。ぷくぷくとよく肥えているなあ。その右の大きな写真は朝日さん。「読売の朝日」さんで有名な先輩記者だ。多分、6つ上かな? 動物園回りをしていたころのショット写真だ。「夜回りに向かう事件記者」がキャプションだったが、待っている電車は阪堺電鉄。加藤さんが笑う。「阪堺電車で夜回りに行く記者なんて、おれへんがな!」。確かに。しかし、くわえ煙草で電車を待つ事件記者。なかなかかっこええなあ!

黒田清さんや大谷昭宏さんも

 上左の写真も、懐かしいなあ! 工場と呼ばれた組版凸版の現場だ。出稿部の社会部などから出た原稿を整理部(当時、現在編成部)や校閲部を通り、組版活版部に行き、ここで、活字で組み込まれて、新聞が出来上がる。その最前線の現場だ。今は、活字組版ではないので、こういった工場はない。キャプションがはっきりと読める。「事件を追いかける男たち 読売新聞大阪社会部」。右の写真が、この連載で再三、紹介した伝説の故黒田清氏だ。社会部長席で電話を受ける姿。多分、どこかの出先のキャップか遊軍記者と話しているんだろう。

上の写真は、社会部遊軍席だ。右端で立っているのは、松江支局で2年先輩のWさん。その前で電話を受けているのが、ジャーナリストの大谷昭宏さんだ。奥にはデスク2人の姿も見える。左手、原稿用紙を持ち上げて、デスクに説明している記者は先輩のMさんだ。活気あふれる編集局の一場面。右上は、社会部別室いわゆる黒田軍団部屋。執筆しているのは多分、当時の遊軍、後に地方部長、編集局長を歴任したKさんだ。その下は、社会部主催の「戦争展」。多くの人でにぎわっていた。

 週刊現代の表紙のその横は、多分、朝日記者が取材に出かけた、西成あいりん地区での集会だろう。動物園回り記者にとってのルーティンワークのようなものだ。ほとんどは小競り合い程度で済むので、大きな事件にはならないが、数年に一回くらいの頻度で、暴動が起きるので、目が離せないのだ。 今回は、珍しい写真が手に入ったので、写真を大きく紹介して、字数は少なめにしておこう。(つづく)

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