2011年3月11日に発生した東日本大震災は、ある意味で筆者の人生を大きく変えた2つ目の大災害だ。1つ目は言うまでもなく1995年1月、ふるさと神戸を襲った阪神・淡路大震災だ。前回書いたように、東日本大震災が起きた際、新聞記者、それも自由に被災地を訪れて取材出来ていた編集委員を“解任“され、子会社に出向していた。連日、切歯扼腕してテレビ画面を見るだけだった。
有給とって東北へ
3日後くらいだったかな? 読売サービスのS社長に呼ばれた。社会部の先輩であまり性格的に合わない人ではっきり言って嫌いな人だったので、警戒した。彼は開口一番に言った。
「安富君、東北に行きたいやろ?」
「もちろんです。行っても良いですか?」
「良いよ。有給取って行くならばね」
この人にすれば精一杯温かい言葉だった。
「よし!機会を見つけて行こう」と思ったが、知り合いもいないし、きっかけもなかった。 2週間後、神戸学院大学の前林清和教授から電話があった。
「安富さん、東北に一瞬に行きませんか?」
渡りに船だった。
「行きます」二つ返事だった。
住宅の屋根に車
3月25日、大阪空港から花巻空港に飛び、そこからタクシーで宮城県仙台市に向かった。前林先生と一緒にいたのが、現神戸学院大学現代社会学部社会防災学科教授の舩木伸江さん。舩木さんは、筆者が客員教授として年に数回授業に行った際に必ずアテンドをしてくれており、時々、お酒を飲みに行く仲だったので、気兼ねしなかった。最初に訪れたのが宮城県仙台市の閖上地区。海岸から5キロ近く離れた所にも、流された車が住宅の屋根の上に乗っていた。初めて見る津波の被災地は、想像を絶するものだった。3人は何度も何度もため息をついた。



阪神・淡路大震災の被災地とは、全く違う様相だった。閖上から荒浜へ、さらに石巻、女川、気仙沼、陸前高田、大船渡などと北上して行った。
この間、宮城県の秋保温泉に宿泊した。旅館は被害を受けていなかったが、温泉は少し出が悪くなっていた。しかしまあ、被災地としては快適な宿だった。3泊4日で被災地を駆け足で巡っただけだったが、大変心に重くのしかかった。
写真洗浄で「思い出守り隊」
ここで印象的な出来事がある。タクシーで被災地を巡っている中で、舩木先生がポツリと言った。
「津波の泥水で汚れた写真を綺麗に洗って、被災した人に戻す作業をボランティアで出来ないかな? 名付けて『思い出守り隊』」
素晴らしいアイデアだ。今では、水害の被災地などでよく行われている「写真洗浄ボランティア」だが、多分、舩木先生の発案は先駆けだったと思う。有言実行、神戸学院大学では、この直後から学生たちがボランティアで「思い出を守る作業」がずっと続いた。
牛にほれて官僚辞めた女性課長
この調査の最後に寄ったのが岩手県花巻市。実はこの1か月前に、神戸の人と防災未来センターで行われた災害対応図上訓練に参加した、花巻市の総務課長さんの陣中見舞いをするためだ。
役重眞喜子さんで、彼女はちょっとした有名人だった。農水省のお役人だったが、花巻市の隣りの旧東和町に研修に来た際、牛に惚れ込んで農水省を辞めて牛を飼うために、東和町に単身やって来た。「はみだしキャリア奮戦記 ヨメより先に牛がきた」という本に詳述されているが、かいつまんで言えば、難関を突破して農水省に入ったが、霞ヶ関の毎日に、「なんか違う!」と違和感を持っていた時に、岩手県に研修に来て、現場の農業に触れて「人生の転機」と感じて東和町に来た。牛を飼い、結婚して住み着いた。東和町が花巻市に合併されて、町職員から市職員となり震災当時、総務課長だった。

その彼女が何故、人防の図上訓練を受けに来たのか?
手前味噌で悪いが、彼女が言うには、「筆者の話を聞き、研修を受けたい」と思ったからだという。人防は全国の自治体職員向けの災害対応研修を毎年、実施しており、そのPRパンフレットを読んだようだ。たまたま、筆者が書いた文章があった。
「ほとんどの自治体職員は広報が下手である」というかなり刺激的な内容だった。役重さんは、この言葉に反応したようだ。「面白そうじゃない」
果たして、彼女は図上訓練で市災害対策本部の事務局長役になった。図上訓練で広報担当班が記者役に攻められて炎上する光景を見て、「悔しくて、悔しくて」とその夜の懇親会で吐露した。筆者が見た限りでは、なかなかの事務局長役だったのだが。
その2週間後に大地震が東北を襲った。地震発生時、花巻市では議会が開かれていて、議場はかなり揺れた。総務課長として、あちこちから来るマスコミの問い合わせ、特に近くの花巻空港がDMAT(災害派遣医療チーム)の拠点となっていたので、その関係の取材も多かった。3月終わりのある日、花巻市庁舎で会った役重課長は言った。
「あなたの研修受けといて良かったわ。すごく役に立ったわ」
役重さんはその後、市役所を辞めて岩手県立大学准教授になり、公共政策を教えている。年に一度くらいは、お会いして、お互い大好きな日本酒を酌み交わしている。(つづく)

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