前回、「読売新聞記者は終わった」と書いたが、今でも「生涯一記者」だと自負している。あくまで、新聞記者の肩書きがなくなったということだ。よってこの後、何回書けるかわからないが、思い付くままに番外編を書いて、連載を終わりたい。
子会社で新聞記者の延長生活
出向先の子会社、読売サービスという会社は本体の紙面に「特集面」という形で記事を受け持ったり、その他新聞社自体がやらないネット主体の記事を作ったり、出版関係の仕事をしたりもする。例えば、本社が共催していた大阪マラソン大会でのパンフレットやコースマップ作りをしたり、様々な専門家を紹介する「マイベストプロ」の記事を書いたりする。マイベストプロの仕事が週に1、2回入り、カメラマンと一緒に相手先に行き、インタビューして記事を書く。これが主な仕事だった。何回か前の大阪マラソンでは、コースを事前に走ってマップ作りをする仕事を提案して、電通のコンペに参加して仕事を請け負ったこともある。
一番楽しかったのは、「時の人」を紹介するインタビュー記事だ。ピアニストの西村由紀江さんや童謡歌手の多田周子さん、作家の有川浩さん、女優の中江有里さんのインタビューは特に楽しかった。(全部、女性やん!)。
とまあ、「子会社に飛ばされた」と言っても、周りには本社から出向している記者仲間がいたり、若いプロパーの社員さんらとワイワイやってたりしたので、それなりに新聞記者の延長生活を送っていた。
マラソンやフットサルも
さらに、プロパーの女子社員が作るランニングの会にも入り、あちこちのマラソン大会にも出た。遠くは札幌マラソンや四万十川ウルトラマラソン、隠岐島ウルトラマラソンなどなど。フットサルチームを組織して本社主催の大会に出場して優勝したこともある。
巨大津波も現場に行けず



しかし、恐れていた事が起きた。大災害だ。2011年3月11日。この日午後、いつものように、カメラマンと一緒にマイベストプロの取材で淀川区の高層マンションの20階の一室でインタビューしていた。少しグラっとした後、緩い横揺れがかなり長い間、続いた。咄嗟に「長周期地震動だ」と直感し、「南海トラフ地震か?」と思ったが、違った。後に東日本大震災と呼ばれる東北・北関東大地震だった。
帰社して見た映像は想像を絶した。大津波が東北のあちこちの街を流し壊していた。ショックを通り越して気分が悪くなった。 しかし、立場上、取材現場には行けない。その夜はすぐに帰宅する気になれなくて、同じように子会社に出向していたIさんを誘って、夜の街に飲みに出た。行きつけのスナックで延々と無言で津波の映像を見続けた。(つづく)

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