「災害以外の記事を書け」怒鳴る編集局長
編集委員になって、ルーチンの仕事は、2か月に一度くらい回ってくる「今日のノート」という現在もある次長・部長級以上が書くコラムくらいだった。そのコラムでも、筆者はほぼ一貫して防災・減災をテーマに記事を書いた。 そして、編集委員として最も大切にしていたのが、できるだけ多くの被災地を訪れて、直接被災者の声を聞いて書く記事を掲載する解説面だ。ここに月に1本ぐらいの記事を載せるのが、編集委員の本来の仕事だと思っていた。さらに、出来れば、連載記事を書くことも。
当時の大阪読売のT編集局長は、この姿勢に懐疑的で何度も編集委員室に来て、「災害以外の記事を書け」と怒鳴った。T編集局長はあまり災害報道について理解を示していなかった。正直言って、この編集局長に反発していたから、余計に言うことを聞かなかった。

必要以上の全半壊の家屋が解体された。
教訓はいまだ生かされていない。
住宅再建に公的援助を
災害担当編集委員として当時、最大の懸案事項が「被災者生活再建支援法」の改正だった。1995年1月の阪神・淡路大震災以降、大きな地震や洪水などが起きるたびに、壊れた家の再建に国からお金が出る制度の創設が議論され、3年後の1998年5月に議員立法で、この支援法が成立した。
しかしこの制度は、災害で壊れた家の家財道具の調達について最大100万円を支給するもので、壊れた家そのものの再建には支給されなかった。2004年3月には、支給額は最大200万円となったが依然として、住宅再建そのものに支給されるものではなかった。これは、財務省が家を再建するために国が資金を支給すれば、「個人財産の形成に繋がる」と強く反対していたからだ。
2007年3月25日に能登半島を震源とする最大6強が発生し、多くの住宅が壊れたことや水害が相次いだことなどもあり、国内では災害で壊れた家の再建にこの法律を適用しても良いのではないか!との声が盛り上がり、新聞を中心にマスコミ各社の中でも「被災者生活再建支援法を住宅再建に」の論調が強くなった。

という提言がみとめられていれば、
2024年の能登半島地震でも多くの集落が生きのこれたはずだ
子会社に左遷、新聞記者人生終わる
読売新聞は?というと、政権与党や国に近い論調が強い新聞社だけに、誰もこの問題を取り上げなかった。 筆者は災害担当編集委員として多くの被災地で被災者の声を聞いて、この問題が最大の懸案だと実感した。積極的に解説面やコラムで「住宅再建に支給すべき」と書いた。ある日、東京本社の幹部から電話がかかった。「読売新聞は社論として財務省の主張を支持している。解説やコラムで君が書くように、主張してもらっては困る。こんな意見もある、という風に書いてくれないか?」。くだらないと思ったが、邪魔臭いので、「どうぞ、そうしてください」と答えた。この幹部は、その後、東京本社の最高幹部になり、コロナ禍で安倍元首相がマスコミ幹部と何度も赤坂で会食した際のメンバーだった。本当にくだらない。
そうこうするうちに、2010年だったかな、子会社の読売サービスの企画部長に異動となった。新聞記者終了だった。表向きの理由は、「役職停止によるもの」だったが、筆者は「飛ばされた」と思った。(つづく)

「住宅再建ができなければ住民が流出してしまう」と、
財政破綻を覚悟して、独自に住宅復興の補助金を上積みした

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