
ロシアの地方都市カラバシュにある初等・中等学校で授業風景やイベントを企画し撮影する担当教員パヴェル・タランキンが、2022年2月のウクライナ侵攻以後、急激に戦時下の「愛国教育」「軍事教育」化してゆく学内の様子をビデオカメラに収め、国外にいたアメリカ人監督デヴィッド・ボレンスタインと共同で制作したドキュメンタリー作品。原題は『Mr.Nobody Against Putin』。


プーチン大統領はウクライナ侵攻を機に、ロシア国民に対し、祖国を愛し戦争を賛美し、自らも戦いに参加するよう学校で子供たちを教育することを国家方針として発令。愛国心を鼓舞する団体「青少年軍事愛国運動組織」の議長にも就任し、優れた兵士を育てるための徹底した教育を強調します。結果、それまで穏やかだった学内の雰囲気は瞬く間に「戦時中」に変貌してゆき、教師の授業内容は祖国賛美・軍国主義が強調されます。その授業内容に戸惑いながらも順応してゆく子供たちや卒業と同時に徴兵され出征してゆく卒業生たちの姿などを、タランキン監督はほぼ2年間にわたって記録しています。
体制批判・反戦がタブーになり、政権のプロパガンダ教育一色になった職場にはいられないと判断した彼は辞職を決意。セキュリティを強化した通信回路で連携しながら、アメリカ人映画作家ボレンスタインととも映画作品の制作を開始します。学校行事の記録係(Mr.Nobody)が真っ向から国の軍国主義教育を告発するドキュメンタリー映画作家になったのです。

作品は「アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞」を受賞していますが、ロシア国内では上映禁止、タランキン監督は国家反逆者として事実上の国外追放処分に。プーチンによる2023年の法改正で「国家反逆罪」の最高刑が終身刑となった状況下で、まさに命がけで制作された作品と言えるでしょう。(タランキン監督自身が撮った映像の他にも、彼が被写体になっている、明らかに別の人物が撮影したと思われる映像があります。関与された匿名の撮影者の方にも心から敬意を表します)



どうぞ、その相当な覚悟を持って記録された数々の映像を是非スクリーンでご覧いただきたいです。一例をあげれば、教室での授業の記録も多く、たとえばアブドゥルマノフという歴史教師の授業シーン。教室で数十人の生徒(日本で言えば小学校高学年ぐらいか)を前に、「祖国への愛は母への愛と同じで無条件に愛するもの、それは義務」「祖国の政治的分断を防ぐために反対意見を抹殺するのはとても重要」と力強く教えます。生徒たちの戸惑い、怪訝な(と思われる)表情をとらえた映像に、監督の「生徒たちは自分でまだ判断できない年齢だ、それが心配」というモノローグが重なります。「プロパガンダに学校が喰い尽くされていく」「彼らが学業を終えるころに徴兵の時期を迎えるのだ」とも。
この教師のインタビュー映像もあり、「歴史上の尊敬する人物は?」という問いに「ソヴィエト時代の役人だ」と答え、スターリン時代のベリヤ(KGB長官、秘密警察のトップで収容所の設立者)や、他にもスパイ摘発や政敵の暗殺に功績があったとされる人物の名を躊躇いなく列挙します。そして驚くべきことに、アブドゥルマノフ先生は後日「生徒に愛され、優しく理解のある先生」として表彰されるのです。賞品は市内の居住用アパートであったとか。「戦争を勝利に導くのは、指揮官ではなく、教師だ」とは、メディア映像におけるプーチン大統領自身の言葉です。
さらにロシアの民間軍事企業ワグネルの傭兵による授業すら存在するという驚きの事実も描かれます。地雷の構造など地上戦実戦での注意事項、射撃訓練、手榴弾投げコンテストなどを内容とした授業を、子供たちが、実戦部隊の兵士から受けるのです。これが学校教育の実態だとは俄かに信じられないでしょう。
タランキンと親しい少女マーシャと兄の物語も記録されています。ウクライナとの戦争に懐疑的だった兄は、卒業と同時に徴兵ののち出征を余儀なくされ、マーシャの願いも叶わずウクライナの戦場に送られて戦死します。マーシャや兄の素顔や正直な感情が言葉少なに、しかし確かに捉えられています。

時の政権の教育への介入やさらにマスコミを巻き込んだプロパガンダは、言うまでもなくロシアだけの問題ではありません。この作品のレヴューでイギリスのタブロイド紙ガーディアンは「必見。この衝撃の記録は、ロシアをはるかに超えて世界中に響き渡る」と書いています。この衝撃的な作品を観られた方々は、心を落ち着けた後、身近な子供たちの日々の知的環境や自分自身の情報アクセスの状況をあらためて見直してみる、そんな気持ちになるのではないでしょうか。たしかに今までに作られたことのなかった、必見のドキュメンタリー作品です。
●総合デザイナー協会DAS特別顧問 園崎明夫
〇10月3日(土)シアター・イメージフォーラム ほか全国順次公開
なお、冒頭の写真のコピーライツは©2025 made in copenhagen Aps, Pink Productions s.r.o.


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