8月9日、大阪公立大学(大阪市住吉区)でドキュメンタリー映画「教育と愛国」の上映会と公開シンポジウムが行われた。第Ⅱ部の公開シンポジウムの模様を報告します。
<ドキュメンタリー映画「教育と愛国」>
いま、政治と教育の距離がどんどん近くなっている。
軍国主義へと流れた戦前の反省から、戦後の教育は政治と常に一線を画してきたが、昨今この流れは大きく変わりつつある。2006年に第一次安倍政権下で教育基本法が改変され、「愛国心」条項が戦後初めて盛り込まれた。
2014年。その基準が見直されて以降、「教育改革」「教育再生」の名の下、目に見えない力を増していく教科書検定制度。政治介入ともいえる状況の中で繰り広げられる出版社と執筆者の攻防はいま現在も続く。
本作は、歴史の記述をきっかけに倒産に追い込まれた大手教科書出版社の元編集者や、保守系の政治家が薦める教科書の執筆者などへのインタビュー、新しく採用が始まった教科書を使う学校や、慰安婦問題など加害の歴史を教える教師・研究する大学教授へのバッシング、さらには日本学術会議任命拒否問題など、⼤阪・毎⽇放送(MBS)で20年以上にわたって教育現場を取材してきた斉加尚代ディレクターが、「教育と政治」の関係を見つめながら最新の教育事情を記録した。
教科書は、教育はいったい誰のものなのか……。(「教育と愛国」公式サイトから)
「教育と愛国」は、2022年5月から全国各地の映画館で上映され、観客は自主上映会を含めると、ドキュメンタリー映画としては異例の6万人にのぼった。日本ジャーナリスト会議の第65回JCJ大賞を受賞し、日本映画ペンクラブの2022年文化映画ベスト1に選ばれた。他にも2022年度全国映連賞ベストテン日本映画第2位&特別賞、第40回日本映画復興奨励賞を受賞。映画館での上映は終了したが、現在も全国各地で自主上映が続いている。
「今、日本の教育や学問は政治介入・圧力により大きな危機にある。その危機感から映画を制作した」
シンポジウムには、海外の大学教員2人、インドネシアからハルシ・アドマワティさん、ドイツからベンヤミン・ホイリヒさん、そして、映画に登場する中学校教員の平井美津子さん、元小学校校長の久保敬さん、斉加尚代監督、大阪公立大学文学部准教授の辻野けんまさんの合わせて6人が登壇した。
司会兼通訳の辻野さんが大学の現状を話し、シンポジウムが始まる。
辻野さん
「大学もまた、学問の府と言われながらも、国家介入あるいは忖度がだんだん浸透してくるような時代になってきました」
実際、どういうことが起こっているのか。
「以前、国立の教育大学に勤めていた時、ある日、事務方の職員から私の研究室に電話がありました。「文部科学省から調査が入っています。国旗国歌のことを取り上げている教員の名前を挙げてください」という内容の電話でした。国旗国歌の問題が裁判になっていて、私はこの問題に対して、賛成しましょう、反対しましょうというのではなく、資料から両論比較をする授業を行っていました。私は事務方の職員に「そもそも、この調査の趣旨は何ですか」と聞きました。すると、「それは説明されていません」という返事でした。おそらく、これが教員を養成している国立大学の教育学部や国立の教育大学が置かれている現実だと思います」
辻野さん
「まず、斉加監督に、この映画をつくった背景を話していただきたいと思います」
斉加監督
「今、日本の教育や学問は政治の圧力・介入によって大きな危機に陥っています。その危機感からこの映画を制作しました。長年の取材から、公教育とそれに続く学問の府が戦前の状況に近づいているのではないかと感じています」
「映画は教育現場からみえてきた小さな変化を数珠繋ぎにして完成させたものです。観終わった後、「衝撃だった」と感想を述べる人たちが大勢いました。「大日本帝国の亡霊を見た気分になった」、「背筋も凍る政治ホラーだ」と言う人もいました」
斉加監督自身が、大きな変化に至る一つ一つの小さな変化をどのように感じ取ってきたのか、振り返る。
「私が報道記者になったのは1989年です。この年の1月に昭和天皇が逝去し、11月にベルリンの壁が崩壊し東西ドイツが統一しました。冷戦が終結して、当時は西側諸国が勝利したと言われていました」
「自ら企画して、大阪の公立学校に通うようになったのは90年代前半。教室に入れない子どもたちを保健室に受け入れる先生たちの取り組み「保健室登校」を取材して、中学校の生徒たちが成績で評価されない場所で生き生きと成長していく姿を目の当たりにしました。そこには、生徒と先生の人間同士の熱くて深いかかわりがあって、その時々の励ましや大阪弁で言う、何してんねん、そういった叱咤を先生たちは生徒たちにおくり、生徒たちも先生たちの言葉を心で受け止めて、家庭に困難があっても自分の進路を見つけて巣立っていく、その姿にとても感銘を受けました。大阪の公立学校の取材を通して、教育は素晴らしいと感じた、それが原点です」
ところが…
「変化は地域政党の誕生によって生まれました。2010年、大阪維新の会を橋下徹氏が結成して、活発だった先生たちがどんどん元気を失っていく姿を目の当たりにしました。政治の言葉で、「公立学校の先生らはさぼっている」、「だめ先生は辞めさせる」、こういうふうに公立学校の先生たちは批判され、敵視されました。維新の会は、教育行政における自由という価値、これとは逆の改革を進めていきます。条例を次々とつくって、先生たちや学校をルールで縛りつけていきました」
「こうした政治主導の教育改革を維新が推進することができた、その転換点はなんといっても第一次安倍政治下の2006年、教育基本法が改定されたことです。ナショナリズムを培養する愛国心条項が盛り込まれました。<不当な支配に服することなく>と国民全体に対して直接に責任を負って行うとされてきた教育の理念が、<法律の定めるところにより>と法律に従っていればいいんだという趣旨に書き換えられました。その後、アジア侵略や戦争加害を矮小化する運動が加速していきます。既存の歴史教育は自虐であると訴える「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書採択運動が盛り上がりを見せていきます」
「映画に登場する森友学園の理事長だった籠池泰典さんは、「この教育基本法の改定の時に安倍さんを信奉するようになった。映画に出てくる安倍さんと当時大阪市長だった松井一郎さんが登壇したタウンミーティングに参加して以降、政治家たちが自分の幼稚園を見に来てくれるようになって、応援してくれるようになった」と語っていました」
「現在、補助金を騙し取った罪で刑に服している籠池さんは、この映画を観た直後、私に電話で「斉加さん、この映画観ました、いい映画でした」と(会場、笑)。続けて、「今の教科書は問題だ。基本的人権が後退している、そのことが問題だ」と(会場、笑)、私に熱く語っていました」
「2020年、菅前総理は日本学術会議が推奨した新会員6人の任命を拒否しました。もう3年前になりますが、拒否の理由は未だに明らかにされていません。この学術の介入まで至ったこの事件が私の心に火をつけました。さらに、新型コロナウイルス禍で先生たちが政治の力に翻弄され、疲弊していく、その姿を見逃すことはできない、いてもたってもいられない気持ちで、映画をつくりました」
「政治介入は子どもたちの学習権をなくしていくことになる」
「教科書は子どもたちが最初に手にする学術の書です。学術が歪んでしまえば、教科書も変質します。戦後、表現の自由に基づいて出発した教科書検定制度は今、圧力と忖度の世界になっています。従軍慰安婦などの戦争加害を詳しく記した教科書会社の日本書籍が激しい攻撃によって採択数を減らし、倒産に追い込まれました。この事実が教科書会社全体に暗い陰を落としています。そしてとうとう、歴史用語そのものを検定済みの教科書から消してしまう、書き変えてしまう、そういう閣議決定によって、政府見解が学術の知見を超えて、歴史や公民などの教科書の中に入り込んでしまう、いわば直接介入の事態に至っています」
「今、先生たちは現場で踏ん張っています。それは映画の感想からも痛感します。例えば、ある先生は「この映画に自分の苦しみの原因が描かれている」と話します。別の先生は「自分が傷ついているということを感じないようにしていたけれども、この映画を観て、自分自身がものすごく傷ついた状況で教室に立っているんだとわかった」と心境を吐露してくれました」
「自分がやりたい授業をすることが怖くなる、教科書通りに授業をしないと責められるかもしれない、そういう圧迫の中で窒息しそうな先生たちが大勢おられて、けれども踏ん張っておられると思います。隣に座っておられる平井美津子先生はまさに、そのお一人です。なぜ、平井さんをこの映画で取り上げたかと言うと、政治の力で平井さんが培ってこられた歴史という、専門知を子どもたちとともに学び合う、その専門知が貶められる怖さを伝えたかったからです。「反日」という言葉や史実をねじ曲げるデマという毒矢が、政治家の武器になって、教育現場を、社会を、委縮させていると思います」
「今年4月、アルゼンチンのブエノスアイレス国際インディペンデント映画祭で、本作品が公式上映されました。その時、デンマークの映画監督がこの映画を観て、「ヨーロッパでも日本と似たようなことが起きている。ポーランドやハンガリーでは非常に一方的な歴史の改ざんが行われていて、危うい」と教えてくれました。さらに、アルゼンチンの人たちは「この映画は世界に共通する課題を描いたものだ」と言います。政治介入によって教育の自由を奪う行為は社会そのものから自由を奪うことにつながりかねないと思います。教育への政治介入は、子どもが主体的に学ぶ、大切な学習権を無くしていくことに等しいことではないかと強く思っています」
「国際社会は『教育と愛国』をリアルに感じている」
海外から参加する2人の大学教員は、この映画をどのように観たのだろうか。まずはドイツのベンヤミン・ホイリヒさん。
「教育、デジタル教育、政治を研究している社会科学者です。非常に思考をかきたてられる映画でした。ドイツから来ている私にとっても、我が事として受け取っています。国際社会全体がこの映画をリアルに感じていると思います。ドイツの大学で10年間働いていて、教員養成に携わっています。その中で、人間性や社会科学との関り、これらが大事だと考えてきました。とりわけ、社会を見渡すと、極右的な勢力、また非常にラジカルな保守的な勢力、そうした声に賛同する人たちの存在が、深刻な問題だと感じています。テレビをつけても、インターネットを開いても、歴史修正主義といわれるような立場、また、第2次世界大戦においても、「そういう事実はなかった」と言う声が日々、増してくる社会があり、ドイツにいても、だんだん、それが大きくなっていくことに非常に脅威を感じています。教育や学問、研究がまず攻撃にさらされる状況の中で、自由主義的な考え方、リベラルであろうとする思想、グローバルな社会の中で子どもたちが育っていけるような環境をどういうふうにとらえればいいのか、を考えています。ドイツは民主主義社会とされていますが、憲法が保証している民主主義社会や憲法の秩序を破壊しようとする自由を憲法は認めていません。闘う民主主義を理念に掲げています。私はこの考え方を尊重しながら、研究に従事したいと願っています」
続いて、インドネシアのハルシ・アドマワティさん。
「映画を観て、大きな刺激を感じました。自分の国と比較して、教育者や研究者はこの社会で何をすべきか考えさせられました。インドネシアは宗教的にも民族的にも多様性に富んだ国です。この映画を観て思うことは、教科書の基準における考え方が違うかもしれないということです。インドネシアでは、学校の先生は国の基準を満たせば、自分で執筆することも認められています。公立学校の先生は、公務員として政治的な中立性が求められています。政治的中立性に関して言えば、歴史教科書の中で戦争、特に世界大戦を含めた国際紛争を含めた戦争を扱っています。また、インドネシアは植民地化された歴史があるので、生徒たちは植民地主義について、必ず学びます」
「インドネシアでは日本食や韓国の食が非常に人気です。インドネシア風にアレンジされています。外国の食や文化に触れたからといって、アンチ・インドネシアというふうにはなりません。当然のことですが、国際化や文化の多様性に触れることが歓迎されています。そして、教育政策では、インドネシアの子どもたちが異文化を尊重しながら異文化間でコミュニケーションできる、グローバルな能力を持てることが目指されています」
「ぜひ、インドネシアにお越しになった際には、インドネシアの日本食を召しあがってください。私はイスラム教徒なので、ハラルフードでないと食べることができません。インドネシアの多くはそのような環境にありますので、インドネシアに入ってくる日本食はハラル風日本食にアレンジされています。とてもおいしいので、是非味わってください。他の宗教や他の社会とつながりあって、国際レベルで本日のように協力しあい、対話することが平和につながっていくと信じています」
吉村市長、公立学校教師を記者会見の場やツイッターで批判。ネットを通じて批判の声が広がる。その一方、批判された教師には発言する場がない。
次に平井美津子さん。映画の登場する中学校の社会科の先生。
「20年ほど前、8月15日をインドネシアで迎えました。新聞を読むと、昭和天皇の写真が大きく載っていました。8月15日は、自分たちが日本による支配からようやく解放された、自分たちの国が蘇った、そういう日なんだなあと改めて感じたのを覚えています」
どういう思い、考えで日本の近現代史を伝えているのか。
「昭和天皇は私の人生の中で、節目に出てくる人物です。戦後30年の1975年、中学校3年生の時、修学旅行で広島に行き、初めて原爆資料館を訪れました。どうしてアメリカは原爆を落としたのか、すごく気になって仕方がありませんでした。この年に、昭和天皇は記者会見をされ、私もテレビで見ていました。2つのことが印象に残っています。一つは、昭和天皇は、広島や長崎の原爆投下について、かわいそうだと思うけれども仕方がなかったと、もう一つ、戦争責任については、私はそういう文学をやっていないので、そういう言葉の綾はわからない、こう述べました。私は当時15歳ながら、昭和天皇は自分の戦争責任を見つめていない、逃げている、と実感しました。それから、昭和天皇、天皇という存在はいったい、日本の近現代史にどういう役割を担ってきたのか、すごく関心を持ち始めました。大学でも日本史を勉強しました。昭和天皇は私が教師になってしばらくして亡くなったのですが、新聞は、平和に尽くした、平和を求めた、そういう美化した描き方でした。私自身、歴史を勉強してきましたから、これは欺瞞だ、美化する新聞に憤りました。そういうこともあって、子どもたちに近現代史を伝えることはすごく大切だと意識し始めました」
「近現代史を教える中で、教科書の記述よりもっと深く教えたい、南京大虐殺のことであったり、731部隊、沖縄戦の集団自決…そういった加害の歴史をしっかり学ばさないといけない、そういう意識を強めていきました」
「そういう授業をすれば、やはり、たまにですけれども、保護者と名乗る人から、校長先生に電話がかかってきました。校長先生は、「匿名やからあんまり気にせんとやったらいいよ」と、30年前の校長さんは太っ腹でした」
平井先生の授業は実践的と注目され、2018年に共同通信の取材を受け、記事が地方新聞に掲載される。記事が出た後、当時の吉村洋文大阪市長はツイッターで平井先生の授業を批判する。
「吉村さん(現在の大阪府知事)や松井さん(前大阪市長)は特別公務員という職を得て、自分の政治信条や歴史認識を、間違っていますけど、堂々と記者会見などで披瀝しているわけです。吉村さんは私の授業を評して、僕はこの先生の授業を見ていないけれども、新聞記事を読んだら、この先生は自分の政治信条に基づいて、政治的なことを教えている、というふうに言いました。テレビでこういうことを言ったり、ツイッターで言われたら、平井=反日教師、平井は政治的なことで偏向教育をしている、フォロワー100万人に広まります。自分の地位を使って、公立の教師から教室を奪おうとしているんだ、すごく悔しかったです。私が府議会や市議会に行って、話ができるかと言ったら、全くできない、そういう中でどんどん、攻撃が広がっていきました。闘うのが好きなんじゃなくて、火の粉がかぶってくるから、払わなければならない、ということです。従軍慰安婦の授業に対して火の粉が飛んで来たら、スルーするわけにはいかない、闘わざるを得ません」
斉加監督から映画出演の依頼を受けた時、どう考えていたのか。
「私は全く、躊躇しませんでした。公立の教師をして、自分の教育の場にかけられた攻撃をなかなか公にすることができません。私が映画に出ることによって、学校で今、どういうことが起きているのか、私は決して、偏向教育をやっているんじゃないということを知ってもらいたい、そういう思いで映画に出させてもらいました」
平井さんは最後に、映画を観た教え子から送られてきたメッセージを紹介する。
「東大の教授の「歴史に学ぶ意味はない」と言う言葉にはくやしさを覚えました。僕は歴史を学ぶ意味、特に戦争の歴史を学ぶ意味は人間の残酷な面を知ることだと思っています。人間は戦争という大義名分の元で大量殺りくを先導できるし、人の尊厳を平気で踏みにじることができてしまう。それは日本人だけとかアメリカだけとかではなく、人類共通のことだと思います。それを知っていないと、もし同じような状況になった時に、疑いなく、国家のために武器を持ってしまうのではないでしょうか。僕は、大切なのは日本人であることに自信を持てる教育ではなくて、ただ一人の自分であることに自信を持てる教育ではないかと思います。僕はまだ、自分に自信を持てないし、自分がかけがえのない存在だと思うことは一生かかってもむずかしいかもしれないけれど、そういった自己肯定感みたいなものは大人に押し付けられるものではなくて、自分で見つけたいし、自分で見つけるべきだと思います」
「教科書通りに「道徳」の授業をすると、トンデモナイことになる」
続いて、元小学校校長の久保敬さん。
「隣に文書訓告の先輩がいるので、光栄です(会場、笑)」
文書訓告の先輩は平井美津子さん。2018年、平井さんの授業を取り上げた記事を吉村市長がツイッターで批判し、ネット上で平井さんへの非難が広がった。平井さんは文書訓告を受けた。処分の理由は、校長の許可なく校内で取材を受けたこと、記事が掲載されたため脅迫状が届いて学校を不安に陥れたことであった。一方で、大阪府教育委員会は平井先生のこれまでの授業について、適切だったと判断した。
後輩にあたる久保敬さん。2021年5月、久保さんは大阪市立木川南小学校の校長時代、当時の松井一郎大阪市長と大阪市の山本晋次教育長に、大阪市の教育施策を批判する「提言書」を送った。「提言書」に、「「生き抜く」世の中ではなく、「生き合う」世の中でなくてはならない」という一文がある。「提言書」に対して、大阪市教育委員会は「文書訓告」を出した。理由は「他校の状況を斟酌することなく、独自の意見で、教育委員会の対応に懸念を生じさせ、関係教職員らの努力を蔑ろにした」。久保さんは「「独自の意見」がダメなら何も言えなくなってしまうのではないか」。
久保さんは、久しぶりに映画「教育と愛国」を観たと言う。どう感じたか。
「映画の最初に出ているのが、うちの木川南小学校の子ども達が通学しているところです。映画の最後に子どもたちが遊んでいる場面が出てきますが、御幸森小学校と木川南小学校の子どもたちです。撮影してから1年半ぐらい経っているから、子どもたちは大きくなってるやろうなあ、もう一度、会いたいなあ、それが一番思ったことです」
久保さんは、平井先生が先に話した<首長に発言の場がある一方、教師には発言の場がない>に共感して、こう話す。
「僕も平井さんが話していたように、首長は記者会見でいろいろなことを言えるじゃないですか。松井市長は記者の取材に、「この先生、世間知っているのか」とか話しています。こっちはなかなか、発言の場がありません。だから、取材を受けたら、できるだけ話していこうと思っていました」
提言書について、久保さんは各社の取材を受けることになる。
「提言書のことで、最初に共同通信、それから朝日新聞の取材を受けました。メディアから取材を受ける場合、教育委員会に連絡するのがルールになっていて、勝手に取材に応じたのは責任問題や!と言われたんです。その後は、通知したらいいねんな、ということで、総務の係長に通知するんですけれど、だんだん通知していたら、仲良くなってきました。毎週のように取材があって、その度に係長に通知していて、僕が、今回はテレビが入ります、ドキュメンタリーの取材で斉加さんが取材に来ますと言うと、係長は、テレビが入ることを保護者にきちんと伝えてくださいね、と言うだけでした」
映画の冒頭部分、久保さんが小学校2年生に道徳の授業を行っているシーンがある。2018年4月、小学校で「道徳」の教科化が始まった。
「映画を観た先輩に、「何で、お前が道徳の授業をしているんじゃ!」と怒りの電話がかかってきたりします」
これには理由がある。
久保さん
「道徳の授業は教科書通りに教えると、とんでもないことになるから、職員にも見てもらおうということで、校長である僕が授業をしている場面がこの映画の冒頭部分に出てきます。小学校2年生の道徳、「善悪の判断」の授業です。教科書の記述は4ページぐらいあって、最後に2つぐらい「考えること」が書かれています。この通りに授業をすれば、靴を隠したから悪いと絶対になります。しかし、ぜんぜん違うアナザーストーリーを言うと、子ども達の評価は、〇〇ちゃんは悪くないとか言って、ころっと変わるんです。だから、教科書通りに教えると、先生は子どもたちをコントロールできる、コントロールできてしまう、そういうことになります。先生たちに、教科書を使うな、とは言いにくいです。創意工夫を加えて、授業をしてほしいと先生たちに伝えたかったので、校長である私が授業を行ったということです」
その後、トークイベントは質疑応答へ。会場からいろいろな角度の質問があり、登壇者が様々な発言を行った。
「公務員は、政治的圧力から守られて仕事をするから公務員じゃないのか」
ドイツのベンヤミンさんは、公務員について、「ぜひ、言いたい」と、こう話す。
「教員たちは、教員の仕事を失うんじゃないか、教員免許を取り上げられるんじゃないか、そういう恐怖感を抱いたり、歴史修正主義であるか否か、そういう批判にさらされている。こういう教員が受けているプレッシャーから守られて、子どものために仕事にいそしむことができる、だからこそ、「公務員」じゃないのか。政治的な圧力や国家主義的な声、批判、介入などから守られて、教育のために仕事をささげることができる、それこそが公務員じゃないか」(会場から拍手)
インドネシアはどういう状況なのか、ハルシ・アドマワティさん。
「インドネシアでは、公立学校の教員や国立、公立大学の教員も、公務員として、政治的中立性が義務付けられています。インドネシアには複数の政党がありますが、その政治家たちも教育における政治的中立性を尊重していて、教育と一定の距離を取ることを心がけています」
ハルシさんの発言に対して斉加監督がこう話す。
「今の日本はインドネシアとは全く違う次元で、悪い状況にすすんでいるのが、私の実感です。というのも、政治的中立性や政治的公平性を言われれば言われるほど、現場の先生たちは委縮してしまっています。具体的な例を挙げると、若い先生が政治的中立性を言われ過ぎて、選挙が近づいてくると、「私、選挙に行っていいんでしょうか」とベテランの先生に聞くようになってしまっています。最初に聞いた時、冗談だと思いました。ところが、各地の上映会場でのトークイベントで複数の先生から、若い先生が投票に行くのをためらっていると聞きました。今の日本の状況は、政治的に先生たちを弱める、先生たちがものを言えなくする方向にプレッシャーがかかっている、ということが言えると思います。教育の自由をもっと取り戻す、もっと自由にできるんだと伝える必要があると考えています」
映画に、2021年に大阪で開かれた「表現の不自由展」を妨害する右翼の街宣行動とそれに対するカウンターの人たちの映像が出てくる。カウンターとしてその場にいたという男性がこう質問する。
「映画をつくっていて、怖い目にあったことはありますか。上映が始まって、「こんな映画をつくって!」、そういうことを言われませんでしたか」
斉加監督
「公開以降、私も平井さんも、嫌がらせを受けたことはありません。取材で怖い目にあったこともありません。逆に、表現の自由や報道の自由の元、正々堂々と、この映画を作ったことに対して、何か言ってこれなかったということだと思います」
「昨年の8月15日、山口市立の施設の中にあるミニシアターで上映して、トークすることになりました。安倍元首相が銃弾に倒れた直後の8月15日で緊張しました。ところが上映後、ものすごい拍手に包まれ、一番前に座っていた男性が大きな声で、「感動した!」とその場で感想を言ってくださって、熱気に包まれました」
歴史の授業、「自分が戦場に立つ兵隊だったら…」
映画に登場する政治家らのしゃべり方に注目して、フロアの参加者からこんな質問があった。
「この映画を観て、その人の体験から出ている言葉なのか、作為性があって恣意的な言葉なのか、わかるんですね。先生として、子どもたちにそれを見破れる知性を育んでほしいと思います。お聞きしたいのは、教育で、信頼性のある言葉を取り戻すには、どういう環境が必要だと思いますか」
平井さん
「子どもたちからすれば、社会科の歴史は暗記科目だというイメージがとても強いです。まず、その意識をどう変えていくのか。私は、人と出会わせたいと考えています。いろいろな歴史の事象がある中で、その事象が起こりましたではなくて、そこで生きた人たちがどう生きたのか、例えば、私は慰安婦の授業を、1時間だけしかしないのですが、この1時間の中で、慰安婦にされた人たちが振り絞るように証言をしている、その言葉を子どもたちに投げ掛けることによって、慰安婦の人たちがどういう思いをしてきたのか、何十年も経ってから自分が慰安婦だったと言うに至った、そこにはどんなことがあったのか、そういうことを考えさせることを重視しています。戦争中の兵隊たちに関しても、慰安婦のことを出すと、日本兵はとても悪い人というイメージがでてきてしまうのですが、普通の暮らしをしていた男性が軍隊に行って、非人間的な人間につくり変えられていってしまう、そういうことを子どもたちに提示します。人間が戦争の中で人間でなくなっていく、そういうことを感じる中で、子どもたちに当事者性みたいなものが生まれていって、自分がこの戦場に立った兵隊だったら…。私はそういうやり方を大事にしています」
「人と人が、かかわり合うことこそが、学び」
久保さんにフロアからこんな質問があった。
「歴史を受け止めたくない知識層や極右の政治家たちは、どんな傷を抱えているのか、と思いました。学校の先生だったら経験があると思いますが、悪態をついたり、失敗を認めたくない子どもたちは、答えをはぐらかしたり、反省したりしないじゃないですか。それはある意味、自己肯定感が低いからだと思います。そういう人たちが自己肯定感を取り戻すには、どうすればいいのかと映画を観て、感じました」
久保さん
「かかわり合いこそが学びやと思うんです。何かが分かった、何かができた、それが学びやと思わされているから、できないと自分で自己肯定感を低めてしまう。学ぶ、生きる、それはどういうことか。お互いのかかわり合いの中で、子どもと傷つけ合うことも起こる、僕も子どもを傷つけたり、僕自身が子どもの言葉で頭を殴られるようなこともあったり、でも、かかわり合いを通して、教師としての喜びとか、人間が生きていることの喜びとか、そんなことが感じられるのが教師の仕事だったはずです。今や、先生たちは、どんどん変な忙しさによって、それが感じられなくなっているみたいなことになっていると思います。僕も、一人の人間として、どれだけ、ちゃんと、自分の弱さも含めて、子ども達に自分を見せられるか、そういうことだと思います。だから、何かできるようにしてあげて、自己肯定感を高めてあげようというのは、勝手な大人の都合だと感じています」
最後に、登壇者一人ひとりが、これから何をしたいかを語る。
久保さん
「文書訓告を放置しておくのはよくないと周りから言われていて、この問題に取り組んで行こうと思います」
文書訓告に対して、元教員や市民らのグループが文書訓告の取り消しを求める陳述書を市教委に提出した。市議会では自民党大阪市議がこの問題を問いただした。久保さん自身も「僕だけの問題ではない」と考え、市教委に意見書を出し、処分取り消しを求めた。しかし、回答を得られないまま、久保さんは定年退職となった。その後、久保さんは、文書訓告処分が不当だとして、2023年2月に大阪弁護士会に人権救済の申し立てを行った。この問題はまだ終わっていない。
平井さん
「今まだ、中学校で教えています。再任用という形であと3年です。大阪公立大学と大阪大学、立命館大学で、これから教師になるという学生さんを教えさせてもらっています。子どもたちに何か熱を伝えたい、このことを伝えたい、そう思う先生が少しでも生まれてくれたらなあと思います。自分自身、教師になってよかったのは、子どもたちからすごく学び、子どもと保護者に育ててもらった、仕事をさせてもらった、そう思っています」
斉加監督
「今、自衛隊を取材しています。9月3日、MBSテレビ「映像23」で放送します。最新の防衛白書を読むと、2023年は防衛力抜本的強化元年と書かれていて、防衛費が飛躍的に拡大することをアピールしています。こういったことがこれから教育現場に下りてくると思います。実際、南西諸島にある日本の最西端の与那国島の小学校を取材した時、校長先生が、「政治的中立性をあまりにも言われて、平和教育がしにくくなっている」と話しました。平和教育にもパッシングの嵐がやってくるかもしれません。私は、現場で子どもたちに向き合っている先生たちを見ていて、きっと先生たちが子どもたちとのかかわり合いの中で、そういった政治のプレッシャーを跳ね返してくださっていると信じています。平和教育や子どもたちの教育を熱心にやっておられる先生たちをずっと、支えていきたいと思います」
ベンヤミン・ホイリヒさん
「映画の中で、2015年当時の森友学園幼稚園の運動会のシーンがありました。子どもたちがイデオロギーに満ちた学校に教化されている、そういうシーンです」
映画にこういう場面がある。森友学園幼稚園の運動会で園児が「日本を悪者として扱っている中国、韓国が心改め、歴史教科書で嘘を教えないようお願い致します。安倍首相がんばれ、安倍首相がんばれ」と宣誓する。
「このようなことが象徴していると思います。これらに対して、SNSやテレビ、映画…コミュニケーションのあらゆる手段を通して、真に意味のあるやり取りをしっかり、強くしていくことが重要になっていると、ますます感じています」
ハルシ・アドマワティさん
「グローバルなレベルで、今日の議論をとらえた時に、研究者や教育者が、イデオロギーや歴史というものに慎重に、しかし、しっかりと、向き合っていかなければならないと感じています。それが、平和な社会をつくっていったり、平和の中でともに生き合う社会を支えていく、そういう教育につながっていくと思います」
辻野さん
「4月から「ポスト国民国家時代の公教育の射程」という科研研究を新たに始めています。国民国家というイデオロギーに縛られているナショナルな公教育から、次の時代の公教育を模索したいと考えています。今日登壇しているインドネシアとドイツのお二人に加えて8か国の研究者がコミットしています。合わせて、5大陸10か国の方々です。このすべての研究者が、久保さんの文書訓告の問題を、他国のことではなく自分たちの社会の問題だ、と我が事として引き受けています。また、久保さんの提言書についても、「これこそが教育者のなすべきことじゃないのか」と問題意識を共有しています。研究者、教育者、メディア関係者、市民社会の人たち、いろいろなつながりを持ちながら、研究をすすめていくことで、緊張感の中に自分も身を投じていくことが大事だと思います」
〇「教育と愛国」は、カフェや集会所、公民館、学校など規模、会場に合わせて様々な形での上映会を開いていただくことが可能。詳しくは「教育と愛国」公式サイトに。
●今年9月20日、「僕の好きな先生」(著者:朝日新聞宮崎亮記者、朝日新聞出版)が発行。「僕の好きな先生」は久保敬先生のこと。本には、「提言書」、「文書勧告」についても書かれている。
〇ぶんや よしと 1987年毎日放送入社、ラジオ局、コンプライアンス室に勤務。2017年早期定年退職
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