美術館と新聞社・放送局が共催する日本独特の展覧会運営システムのこれからを考える ドキュメンタリー映画『わたしたちの国立西洋美術館』トークイベント 文箭祥人(編集担当)

  • URLをコピーしました!

 

7月22日、大阪・十三の第七藝術劇場でドキュメンタリー映画「わたしたちの国立西洋美術館 奇跡のコレクションの舞台裏」上映後、大墻敦監督と芦屋市立美術博物館学芸員の大槻晃実さんが登壇し、トークイベントが行われた。その模様を報告します。冒頭の写真は国立西洋美術館の外観((c)大墻敦)。

大墻敦監督(左)、大槻晃実さん

<ドキュメンタリー映画「わたしたちの国立西洋美術館 奇跡のコレクションの舞台裏」>

東アジア最大級の西洋美術コレクションを誇る国立西洋美術館の知られざる舞台裏に迫るドキュメンタリー。

モネ、ルノワール、ゴッホ、ピカソ……誰もが知る名画や数々の傑作を有する「国立西洋美術館」。大正から昭和にかけ、稀代のコレクターとして活躍した松方幸次郎の「松方コレクション」を基礎に、絵画、彫刻、版画、素描などおよそ6,000点の作品を所蔵する。2016年には世界的建築家ル・コルビュジエの建築作品のひとつとして世界遺産に登録され、日本を代表する美術館として、国内外から多くの来場者を集めている。 2020年10月、ル・コルビュジエが構想した創建時の姿に近づける整備のために休館した美術館の内部にカメラが入り、一年半にわたり密着。そこから見えてきた、美術館の「ほんとうの姿」とは…。アートの見方をがらりと変える、必見のドキュメンタリーが誕生した。(第七藝術劇場のサイトから)

(c)大墻敦

大墻敦監督

1986年、NHK入局。ディレクター、プロデューサーとして「文明の道」「新・シルクロード」「世界遺産1万年の叙事詩」「フィレンツエ・ルネサンス」「エジプト発掘」「夢の美術館 江戸の名画100選」「天才画家の肖像 葛飾北斎」などの番組制作に従事。2019年NHKを退職、桜美林大学教授。メディア産業、映像製作などについて教えている。監督第1作となる、文化記録映画「春画と日本人」(キネマ旬報ベストテン2018年文化映画第7位、第74回毎日映画コンクールドキュメンタリー映画賞ノミネート)を劇場公開。本作は第3作となる。(パンフレットから)

芦屋市立美術博物館

1991年の開館以来、芦屋ゆかりの美術家を中心に、近代・現代の作品や芦屋の自然や歴史に関する文化財の考古資料の収集・保存・調査・研究を行う。芦屋は六甲南麓の景勝地として、平安貴族らに親しまれ、「伊勢物語」にも紹介されている。近代には洋画家や小説家、詩人、音楽家ら文化人が移り住み、阪神間モダニズムという近代的な芸術・文化・生活様式が誕生した。1954年、芦屋で前衛美術グループ「具体美術協会」が結成され、その活動はフランスの批評家により海外に紹介され評価される。解散後も国内外で展覧会が企画されるなど戦後日本美術を代表するグループとなっている。(芦屋市立美術博物館のサイトから)

目次

「美術館で働く人たちを主人公にした映画をつくれませんか」の一言から始まった映画製作

トークイベントは、大墻監督がこの映画をつくるきっかけとなった出会いを振り返ることから始まる。

「映画『春画と日本人』を製作していた頃、たまたまある場所で、この映画にも出てくる国立西洋美術館の情報資料室の川口雅子さんと知り合いました。何の気なしに、「フレデリック・ワイズマン監督の『ナショナル・ギャラリー』であるとか、欧米の美術館を舞台にしたドキュメンタリー映画があります。美術館で働く人たちを主人公にした映画を国立西洋美術館でつくれませんかね」と話しました。すると、驚くことに、川口さんは「いいですね」と応えました」

大墻監督は、初対面の川口さんに第1作の映画『春画と日本人』のDVDを送るが、数か月、音沙汰はなかったという。

「ある日突然、川口さんから「馬渕明子館長もDVDを観て、関心を持っています。打合せをしましょう」と返事がありました」

そして大墻監督は国立西洋美術館館長室へ。

「緊張しつつも、NHKに共通の知人がいたこともあり、館長にざっくばらんに「映画をつくらせていただけないですか」と聞くと、意外なことに「いいですよ」と返事がありました」

馬渕明子 国立西洋美術館館長(2013‐2021)

主な展覧会監修 『大回顧展モネ 印象派の巨匠、その遺産』(2007年/国立新美術館)、『KATAGAMI‐Style』(2012年/三菱一号館美術館)、『北斎とジャポニスム HOKUSAIが西洋に与えた衝撃』(2017年/国立西洋美術館)

そして、覚書を交わして、撮影がスタートする。

「撮影期間は2020年10月から2021年3月までの約1年半、撮影時間は100時間から120時間で、それを1年がかりで編集して、国立西洋美術館の人たちに観てもらって、いいんじゃないですかという話になって、その後、配給が決まり劇場が決まり、上映にたどり着きました。大変、長い旅でした」

大槻学芸員が映画の感想をこう話す。

「多くの学芸員の方々のインタビューが映画に出て来ます。みなさんの机がとてもきれいだなあと、私の机はすごく散らかっているので(会場、笑)。桜が咲いているシーンだとか、植物からみる四季の移り変わりがわかって、すごく長い時間をかけて丁寧に撮影されていると思いました。西美(美術業界では国立西洋美術館は西美(セイビ)と呼ばれている)の理念をベースにリニューアルオープンしたのだと、映画からうかがうことができて、とても感動しました」

国立西洋美術館(西美)の歴史

<明治時代を支えた企業家の一人、川崎造船所の初代社長の松方幸次郎さんが、1916年から約10年の間にヨーロッパで美術品を収集する。日本の若い人たちに実物を観せたいと思い、美術館を建てて収集した美術品を公開する準備を進めるが、1927年世界恐慌が起こり、川崎造船所が経営危機に陥る。美術館建設の構想はとん挫する。第二次世界大戦の末期、ヨーロッパにかなりの数が残されていた松方コレクションは敵国人財産としてフランス政府の管理下に置かれる。その後、サンフランシスコ平和条約締結後、日本は国際社会に復帰し、日本政府はフランスの国有財産となっていた松方コレクションを日本に返還するよう要求する。最終的に日本に「寄贈返還」された。

松方コレクションを受け入れて展示するための美術館として、1959年、国立西洋美術館が誕生した。設計はフランス人建築家ル・コルビュジエ。開館後、コレクションが増え、地下に特別展スペースをつくるなど様々な工事が行われた。2016年、コルビュジエ建築作品として世界遺産に登録された。世界遺産登録を受けて、施設を開館当初の姿に戻すため、2020年から1年半、全館休館し、改修工事が行われた>

「一つの作品を美術館で受け入れるため、こんなにも手間がかかるんだ」

休館中、西美の内部にカメラが入る。映画に、作品の保存修復作業や作品の状況をチェックする作業、購入予定作品を開梱作業などを行う学芸員の姿が映し出される。さらに、学芸員へのインタビューも盛り込まれている。

(c)大墻敦

学芸員の立場から大槻学芸員がこう話す。

「美術館の中にいる者として、よくここまで踏み込んで撮影させてもらえたなあと率直に驚きました。作品を美術館に収蔵するために、何回も打合せや会議を重ねます。その中で、学芸員が作品に対する考え方を述べたり、なぜこの作品がこの美術館に必要なのかを話し合ったりします。こうした議論はあまり外に出せないような内容も含まれます。作品を貸し出す際にコンディションを記録するため作品の調書をとりますが、作品にひびがあったり作品の状態があまりよくない場合があって、そういうものは関係者以外には見せません。でも、そういうところを大墻監督が丁寧に誠実に西美と相談を重ねられて撮影をされたんだなと思いました。西美もその撮ったものを公開していいよという姿勢に心打たれました」

大墻監督

「テレビ番組であれば、こういうシーンが撮れたらいいなあ、こういう場面を撮影してストーリーを描こうと考えて、事前に構成表をつくります。台本のようなものです。今回は構成表をまったく作りませんでした。西美の中で、みなさんが何をしているのか、それを記録したい、そうすることでみなさんの真の姿が浮かび上がると考えました。NHK時代、大英博物館やルーブル博物館など世界各地の美術館を撮影してきて、美術作品を撮ってきましたが、美術館の中でどういう仕事が行われているのか、撮影してこなかったと改めて思いました。よく撮らせてくれたなあと思います」

(c)大墻敦

映画の最初、美術作品の引っ越しシーンが映し出される。

大墻監督

「作品の引っ越しがありますと西美のスタッフから言われて、撮りましょうということで撮影しました。西美の学芸員だった東京藝術大学教授の佐藤直樹さんが映画を観て、作品を運んでいるシーンを観た時に学芸員の頃を思い出して、映像に合わせて自分が作品を運ぶように身体が動いて、ものすごく緊張したと話してくれました」

学芸会議のシーンがスクリーンに映し出される。

大槻学芸員

「学芸会議は、外部の人が入る場ではないですね」

大墻監督

「学芸会議で、どんなことを話し合っているんですか」

大槻学芸員

「自分が準備している展覧会であったり、いろいろな業務の進め方を会議で共有して、みんなで検討しています」

大墻監督

「学芸員会議で興味深かったのは、美術品を西美に預けたいという申し出があった場合の議論です。本物であるか、適正であるか、預かるにふさわしいか、預かってどうするのか、預かった時に西美のコレクションの流れの中でどこに入れるのか、そういう流れの中で、新たな作品を入れるのか入れないのか、議論していく、こんなに手間がかかるんだと思いました。コレクションを充実させて国民に還元していこうと、コレクション数は6000まで来ています」

大槻学芸員

「芦屋市立美術博物館の場合、作品の購入基金はありますが、購入は15年以上おこなわれていません。購入以外に、寄贈と寄託と預りの3つがあります。寄贈は当館の所蔵になります。寄託は当館で展示する、活用するという約束の元、預かるものです。預りは預かるだけというものです。寄贈、寄託されると当館の収蔵庫に入って、私たちが作品を守ります。作品を安全に保管するためには税金が使われるわけです。館としては、当館において寄贈が正しいものなのかどうかを会議で相談・検討し、さらに外部の有識者で構成される収集委員会で諮る、そういう流れになっています」

大墻監督

「美術館業界で驚愕されたのが、購入委員会が撮影できたことです。作品を購入する時どういう手続きをするのかと聞いたら、購入会議があると聞き、撮らせてくださいと言うと、ダメですと言われました。メディア業界では、会議の冒頭部分だけ撮影する頭撮りというのがあります。頭撮りの許可が出て、撮影できました」

大槻学芸員

「寄贈というのは、待っている立場です。寄贈の申込みがあったとしても、その作品の真贋や過去の展覧会で出品されているか、どういう来歴があるのかなどを、時間をかけて調べていきます。こういう地道な調査を行いながら、当館で収蔵させてもらって本当にいいのか、今後の展覧会で展示できるものであるのか、そういうことを考えながら、寄贈のお話を受けているので、とても緊張する業務のひとつです。美術館に収蔵されると永久的に収蔵されます」

展覧会会場の隅で見張り役として座っている人は学芸員ではありません

学芸員の話が続く。

大槻晃実さん

大槻学芸員

「芦屋市立美術博物館の学芸員は美術担当と歴史担当合わせて3人です。特別展やコレクション展を担当する、作品を安全に保管する、作品の貸出業務、教育普及活動など、様々な仕事が同時進行しています。失敗はできないので、一球入魂と言うか、死ぬ気でやる感じです。3人しかいないので、倒れたらアカンぞ、そんな感じですすめています」

「小さな館なので、みんなで協力して館を運営しています。市立の美術博物館なので、市民の方が館に来て、「この作品、どう思う?」と聞かれたり、「こういう作品を持っているけれど、どうやって調べたらいいのか?」と問合せがあります。担当している展覧会の場合、展示室をまわって、お客さんがどういう動きをしているのか、どういう作品の前で立ち止まるのか、観察して、次の展示のヒントにしたりしています」

大墻監督

「馬渕館長に最初にお会いした時、「学芸員は何を仕事にしているのか、理解されていません」と話し、「展覧会会場で見張り役で隅に座っている人が学芸員だと勘違いしている人が結構います」と嘆いていました。館長が「これから1年半、国立西洋美術館は休館です」と言うと、「お暇になるんですね」と言われ、「暇ではありません!」と言い返したそうです。ある新しい美術館の開設準備委員会では、「入場数を増やすんだったら、365日ずっと開けたらどうですか」という提案を館長が聞いて、「作品の手当てはいつするんですか、展示替えとかいつやるんですか?」と返したらびっくりされたそうです。企画展の準備、作品の修理など館は日常的に動いています」

大槻学芸員

「365日、ずっと開けることは無理ですね」

美術館とメディア会社が主催する日本独特の展覧会システム

トークイベントは日本の展覧会のシステムの話に。

大墻監督

「NHKに在職していた時、展覧会を担当する部署と仕事をしていたので、日本の展覧会の仕組みは独特なものだと知っていました」

日本独特の展覧会運営システムとは何か。展覧会のポスターやカタログに「主催」として美術館とともに新聞社や放送局が名を連ねている。美術館と新聞社・放送局による展覧会の共同主催は日本独特のスタイルと言われている。

「太平洋戦争で日本が負けた後、新聞社は外貨が使えるし海外とネットワークがある、当時、新聞社にはいろいろな外国語ができる人物がいました。昔、開催されたモナ・リザ展のような大規模な展覧会は外交マターになり、政治を動かさなければ進まないので、それができるのが新聞社でした。新聞社は高度経済期において発行部数がどんどん増え、資金的な余裕があって、文化貢献という形で展覧会を開いていく、これが日本の展覧会のスタート地点でした。しかし、その後、展覧会は収益事業になっていき、どんどん来場者の数が求められるようになります。そうこうしているうちに、新聞社は発行部数が減り、放送局は視聴率が下がり、メディア企業が体力的に弱っていきます」

大槻学芸員

「数は共通言語になります。お客さんがどれぐらい入る展覧会を企画していますか、どれほどの収益がありますか、と聞かれます。集客のことを考えつつ、芦屋市立美術博物館だからこそできること、やるべきことを考えて企画をしていかないといけないと常に思っています。展覧会にはいろいろな種類があります。美術館と新聞社・放送局が共催する展覧会、美術館独自主催で開催する展覧会があります。さらに企画会社が行う展覧会を美術館で行う場合もあります。お客さんがどういった展覧会を観たいと思っているのか、芦屋ではどんな展覧会が必要とされているのか、様々な視点をもって企画しています」

大墻監督

「ブロックバスター展と言うんですけど、ピカソやゴッホとか、そういうものばかりの展覧会がどうしても増えている、そういう評もちらちら聞きます」

タイトルに『わたしたちの』が付いた理由

タイトルは当初、フレデリック・ワイズマン監督の『ナショナル・ギャラリー』と同じように『国立西洋美術館』と館の名称をそのままタイトルにする考えもあったという。それが、『わたしたちの』が付け加えられた。

大墻敦監督

「国立西洋美術館は、国立ですから国のものだ、国のものとはどういう意味か、私たちのものじゃないかと改めて思いました。ここ大阪には縁があって、これまで6年間、NHK大阪に勤務しました。その時、橋下徹さんが大阪の行政のトップで、文楽などの予算を減らしました。儲けないものはダメだみたいなことを言っていた時期がありました。文化は儲けないといけないという論理と、そういうことと関係なく我々にとって大切なものなんだというところがあると思います。文化は、私たちの心を健康にする、時にリラックスさせる、私たちの歴史を振り返る、そういった意味で文化・芸能すべて大切なものです。私たちの文化、私たちの施設をだれのお金で支えるのか、それも私たちのお金です。それをどうやって運営していくか、それも私たちの問題だと思います。馬渕館長が言う「西美が岐路に立っている」は、実は私たちが岐路に立っていることだと思います。『わたしたちの国立西洋美術館』、みなさんにある親しみを持って受け取っていただければと思います」

●ドキュメンタリー映画「わたしたちの国立西洋美術館」公式サイト

映画『わたしたちの国立西洋美術館...
映画『わたしたちの国立西洋美術館』 公式サイト ル・コルビュジエ設計の世界遺産、上野の国立西洋美術館。モネ、ルノワール、ピカソなどの名画からロダンの彫刻「考える人」など、東アジア最大級の西洋美術コレクションを...

〇国立西洋美術館公式サイト

国立西洋美術館
トップページ|国立西洋美術館 国立西洋美術館の公式サイト。展覧会・イベント情報、所蔵作品紹介、ショップ・レストランご利用案内など。

●芦屋市立美術博物館公式サイト

あわせて読みたい
芦屋市立美術博物館 コレクション特集 「具体美術協会/芦屋」「アプローチ!―アーティストに学ぶ世界のみ... 芦屋市立美術博物館公式サイト。展覧会やイベント情報、貸し施設案内をお知らせいたします。主なコレクションとして、具体美術協会、小出楢重、吉原治良、田中敦子の作品を...

〇ぶんやよしと 1987年毎日放送入社、ラジオ局、コンプライアンス室に勤務。2017年早期定年退職

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次