能登の被災地にぬくもりを 足湯ボランティアに参加して 馬場玲妃

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穴水町のガソリンスタンドで
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手をもみ腕をさすり「つぶやき」拾う

 私は2月19日から4日間、能登半島地震の被災地でボランティアをした。被災自治体の一般ボランティアにも登録していたが、なかなか被災地に入れる状況ではなかった。そこで、阪神・淡路大震災をきっかっけに発足した被災地NGO協働センターの「足湯隊」の一員として被災者に足湯を届けた。
 足湯は、東洋医学を基にしており、代謝の活性化や睡眠の促進をもたらす。加えて、足湯中に被災者がぽつりとこぼす「つぶやき」を拾うことを大切にしている。1回の足湯では約15分かけて、手を揉み、腕をさすり、濡れた足をタオルで拭きながら揉みほぐしていく。私は避難所である七尾市の中島地区コミュニティーセンター西岸分館と輪島市の石川県立輪島高等学校、そして在宅避難者向けに七尾市の小牧集会所と穴水町のガソリンスタンドで足湯をし、被災者の小さな「つぶやき」を集めた。

温泉好き女性の「ありがとう」が私の「ぬくもり」

Aさんと話す筆者=七尾市で

 私が活動するなかで印象に残っている女性が2人いる。1人目は七尾市の名産である能登牡蠣の養殖業を営んでいる70代のAさん。地震で家の中は物が散乱しているものの、「近隣に住む娘家族と一緒に少しずつ片づけをしながら、自宅で生活している」という。
 彼女は私に温泉愛を語った。石川県の七尾市は和倉温泉をはじめ、温泉が多い町だ。七尾市で生まれ育ったAさんは温泉が大好きで、地震前は足繁く通っていた。しかし、七尾市の一部の地域は今もなお断水中だ。Aさんの家も水が通らず、お風呂にすら満足に入れない状況が続いている。また温泉に通える日が来るのかどうかもわからない。そんな状況だからこそ、「足湯が余計に気持ち良い。いちばん好き」と笑顔を見せた。Aさんが何度も口にする「ありがとう」に、むしろ私がぬくもりをお裾分けしてもらった。

葛藤を吐き出し、心をほぐす

葛藤を語ってくれたBさん=七尾市で

 2人目は40代の女性Bさん。夫と子ども3人の5人家族で、地震直後は避難所生活をしていたが、現在は自宅で生活をしている。Bさんは私に小学6年生の次女の話をしてくれた。
 七尾市の小学校に通う次女は、「地震後に再開した学校給食は、おにぎりと牛乳だけで物足りない」と言っていたそうだ。そんなとき、テレビに映る輪島市の学校給食には豚カツがあり、次女の給食よりずいぶん豪華だと知った。Bさんは次女にもお腹いっぱいになるまで食べて欲しいという親心から、輪島市が羨ましいと感じてしまうと言った。しかしみんなそれぞれ大変ななか、我儘は言えないと葛藤していた。震災以降、心にたまっている思いが堰を切ったように溢れ出すBさんの様子を見て、私に話すことで張り詰めた心が少しでもほぐれたのであれば良かったと思った。
 足湯は被災者に束の間の幸せを与えたり、普段は遠慮して言えない心情を吐露させたりできる力を持っている。このような場面を目の当たりにして、足湯支援の重要性を身に染みて感じた。

輪島高校で

「そっとしておいて」足湯を拒む人も

 一方、足湯に消極的な人も多い現実があった。物音を立てるのも憚られるような静けさに包まれている避難所で、被災者は何を思っているのだろうか。私が「足湯をしませんか?」とそっと声を掛けても、目を逸らし私を避けていく。「やめてください。そっとしておいてください」と頑なに拒む人もいた。
 私が「分かりたい」「寄り添いたい」という気持ちをどれだけ持って向き合ったとしても、すぐに受け入れられるとは限らないと感じた。実際に被災地に行くことで、被害の状況、心の傷や足湯に対する気持ちの持ちようなど、何事においても被災者の間で無限の濃淡があることを痛感した。
 足湯をした人が感じる幸せが連鎖し、今は足湯に消極的な被災者も巻き込んで、足湯のぬくもりが多くの被災者の身体と心に伝わる日がくることを願う。(京都薬科大学4年)

穴水町のガソリンスタンド
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