ホロコーストを生き延びた少年の証言  ドキュメンタリー映画『メンゲレと私』トークイベント  文箭祥人(編集担当)

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「ホロコースト証言シリーズ」最新作にして最終作『メンゲレと私』。昨年 12 月 30 日、大阪・十三の第七藝術劇場での上映後、ドイツ映画研究者の渋谷哲也さんが登壇し、トークイベントが行われた。その模様を報告します。

「ホロコースト証言シリーズ」は世界的に戦争体験者が社会からいなくなるなか、人類史上最大の悪であるホロコーストの記憶を、被害者のみならず、加害者、賛同者、反逆者の視点で捉え、多角的に戦争の真実を記録するプロジェクト。『メンゲレと私』に登場するのは、12 歳の時にアウシュヴィッツ強制収容所に連行されたユダヤ人少年、ダニエル・ハノッホ。アウシュヴィッツ強制収容所に連行されたユダヤの子どもたちは推定 21 万 6 千人で、1945年 1 月 27 日にソ連軍がアウシュヴィッツ強制収容所を解放した際、生存していた子どもたちは、わずか 451 人だった。今年は解放 79 年となる。

渋谷さんは、シリーズ第 1 作『ゲッベルスと私』(2018 年公開)、第 2 作『ユダヤ人の私』(2021 年公開)に続いて、『メンゲレと私』の映画パンフレットに寄稿している。

渋谷さん

「12 月 3 日に東京で『メンゲレと私』が上映され、その後、監督のお二方とトークを行いました。今日は監督が会場にいないので、代わりに監督がどういうことを話したかをみなさんに紹介しつつ、映画について語ってみたいと思います」

渋谷哲也さん
目次

スタジオの黒幕を背景にモノクロ撮影で証言者が映し出され、少年時代を語る

「ホロコーストは、ナチス・ドイツが組織的に 1930 年、1940 年代に行ったマイノリティ特にユダヤ人の絶滅政策です。「ホロコースト証言シリーズ」第 1 作の『ゲッベルスと私』はホロコーストを実践したナチス側のゲッベルス宣伝相の元で秘書をしていた女性のインタビューです。当時、彼女はまだ 20 歳ぐらいです。いかに自分が殺人機械の一部になったかの自覚もなく、しかもナチスの宣伝大臣の元で働く重さもわからずにいた、と言います。だから、「自分たちは当時のことをよくわかっていなかった」、「当時はホロコーストのことは知らなかった」、「個人的にはユダヤ人の友達もいた」そういう話が延々繰り返されます。私はずっと、ドイツ研究をしていて、ドイツのホロコーストの映画を観ていますが、こうした証言は、よくあるドイツ人の言い訳です。長い年月の中、ドイツ国内だけでなく、アメリカ映画でホロコーストを描いた場合でも、ドイツ人がまさに自分たちの責任から目を背けて知らないふりをする、こういう様子がよく出てきます」

『メンゲレと私』。スタジオの黒幕を背景にモノクロ撮影でダニエルさんの顔が映し出され、ダニエルさん本人が少年時代を語り始める。

「一人の人として自分の言葉でちゃんと語る、しかも質問者の声は聞こえなくて、ただ映っている人の独り語りです。誘導尋問的ではなく自分からしゃべる、そういうスタイルで観客はダニエルさんの話を聞きます。ダニエルさんが語りながら何を考えているのか観察できるので、このスタイルは重要だと思います。つまり、いかに語っているか、その語っている過程の中でダニエルさんその人の絵が見える、それをはっきり示す映画だと分かって観ると、興味は尽きません」

「第 2 作の『ユダヤ人の私』の、オーストリアでユダヤ人として連行されて強制収容所を渡り歩いたマルコ・ファインゴルトさんと本作のダニエルさんの二人はかなり積極的にメディアに出演していて、自分自身のホロコーストサバイバーの経験を話している人たちです。だから、自分なりの語り口や物語が出来上がっているんです。それに対して、監督はそういう手慣れた語り口ではなく、もっと自分の内面的なことに踏み込んでどんどん語ってもらいたいと考え、感じたことや思ったことが出てくるように、質問したそうです。なのでいろいろなところに話が飛びますが、ご本人の語りのキャラクターがはっきり出てくるんです」

「第 1 作の『ゲッベルスと私』のブルンヒルデ・ポムゼルさん、第 2 作の『ユダヤ人の私』のマルコ・ファインゴルトさんは、撮影時 100 歳を超えていました。お元気ですが、ゆっくりゆったり、内省的な語り口になっていますが、ダニエルさんは撮影当時 80 代です。ご高齢ですが、100 歳を超えている人よりまだ元気で勢いがあるわけです。だから今日、みなさんがダニエルさんの話を聞かれた時、抑揚のある、かなり強いトーンの話し方が印象に残ったかもしれません」

<強制収容所で泣いたり騒いだりすれば殺される。感情をすべて殺して目の前の大人の世界に順応する>ダニエル少年は本能的に理解した

「この映画のオリジナルのタイトルは『メンゲレと私』ではありません。メンゲレはアウシュヴィッツ強制収容所の‘死の天使’と呼ばれた医者です。いろいろな人体実験を行ったことで悪名高く、しかも、ナチスが滅びた後は南米に逃げて、結局、1979年に事故で死ぬまでずっと生き長らえた、恐るべき強運の持ち主です。このメンゲレとの係わりはほとんど語られていません。タイトルと内容がちょっと違うなあと思われるかもしれませんが、元のタイトルは『A BOY‘S LIFE』です。少年の人生です。『ゲッベルスと私』のオリジナルタイトルは『ドイツ人の人生』、そして第 2 作が『ユダヤ人の人生』、第 3 作が『少年の人生』です。第 3 作のダニエルさんはナチスが台頭した時、まだ 8 歳、9 歳でした。まだ小学生です。そんな状況で12歳の時、アウシュヴィッツ強制収容所に送られました。大人だったら自分なりの経験則や判断があるので、状況を客観的に大局的にみることができるわけです。第 2 作の『ユダヤ人の私』のマルコ・ファインゴルトさんがそうでした。ナチスが台頭する以前は商売をして、大儲けをして、いい暮らしをしていました。それが突然、ユダヤ人ということで捕まって強制収容所送りになり、天から地に落ちるような大転換を経験します。こういう状況の中で、知識や経験の積み重ねがあるからこそ絶望的になると思います。8 歳、9 歳の子どもであるダニエルさんは突然、家族から引き離されて、強制収容所に送られ、目の前で家族と生きるか死ぬかの選別されます。監督が強調していましたが、こんな状況に追い込まれた時、感情的になって泣いたり騒いだり、パニックを起こしたら、すぐに殺されてしまうと子どもはある意味、本能的にわかる、そうなると、感情を全部殺して、目の前の大人たちの世界に順応して、少しでも生き延びられるような行動をする、つまり、子どもはまさに、大局をみる前にもっと直感的に状況に順応していく。『メンゲレと私』はそういう生き方の話だということなんです」

「映画ではすでに 90 歳近いダニエルさんが話していますが、話している内容はまさに子どもの目線で体験したことや考えたことです。ダニエルさんは何度も繰り返し、「感情を殺して生きる」と言います。だからといって、本当に感情のない機械のようにしゃべっているかというと、そうではありません。それこそ強制収容所の中のことを皮肉に笑ったりして話しているわけですから、むしろ表情豊かな人です。ただ過去のことを語る時には変に感極まって泣いたりわめいたりすることにならずに淡々と普通にしゃべります。でもそれは感情がないと言うわけではなく、隠している、表に出さないというやり方で生き延びてきたんだということが示されています。そうした語りが映画の中でずっと続くわけです。だから、我々は語りの行間であるとか、語られていること、語られていないことを意識しながら、ダニエルさんという人に向かい合って、話を聞くことになるんだと思います」

「これだけの凄まじい出来事を追体験するというのは無理です。目の前で、知らない多くの人が運ばれて行って、焼かれて、煙が煙突から出ていく、その過程をずっとダニエルさんは見て、そして、自分も死体を運んだりする仕事を、もう子どもの頃からやらされています。それをある意味、心の中に刻んで記憶しながら、表面上は耐えられないことをシャットアウトして見ずに感じずに生きてきたのでしょう。これがダニエル少年の生き方の一番重要な点だったんだろうと思います」

ダニエル・ハノッホさん

「ここは重要なんですけれど、いろいろ幸運な偶然もあったんだろうと、監督は話しています。要するに、ダニエルさんが体力的に強かったということと、メンゲレが好むようなドイツ人的な外見の男の子だったということです。ナチス時代、顔つきとか骨格とか、そういうことでユダヤ人かどうかをみるといういかがわしい優生的な判断もあったわけです。だからこそ、ダニエルさんは金髪で青い目であったということがプラスに働いて、彼もそのことをすぐに察知して、メンゲレにお前はもう要らないと言って殺される方向に送られずに済むように、ずっと働いてきたわけです。運命的な偶然、そういうものを感じるところです。こういう個人の特性と結びつけて、ホロコーストの体験談を聞くということはなかなかないかもしれません。どうしても数多くの悲劇的な出来事があって、それで全体像としてのホロコーストを理解することが多いのですが、一人一人に特別なドラマがあるんだとわかると思います」

ダニエル少年の心に刻まれた両親の不条理な死

「この映画の中で、ダニエルさんが自分の感情をはっきり表に出したのは、自分のお父さん、お母さんのことを話す時です。ダニエルさんは、アウシュヴィッツ強制収容所に送られる途中で家族やきょうだい全員と別れ離れになります。そういう状況ですから、家族やきょうだいにはもう会えないと思っていました。戦後になって、お父さんはアウシュヴィッツ強制収容所で殺されて焼かれたと知ります。つまり、自分が死体を運んでいる時にその同じところにお父さんがいたはずだということです。そんなそばに自分の父がいたことを、そして、そこで死んだということを聞いて、今でも折り合いがつけられずにいると話しました。まさにそういう理不尽、考え始めたら正気でいられない気持ちが表に出てきました」

「アウシュヴィッツ強制収容所から生き延びたら、とにかく、パレスチナに行きたい、キブツに行きたいとずっと、彼は話しています。パレスチナへのあこがれを語り、解放後はポジティブに楽しんで生きたとも話していました。一回だけ泣いた経験は、どうしてここにお母さんがいないんだろうと言ったところでした。少年の心に刻みつけられた、両親の理不尽な死ですね、ここのところ、はやりどれだけ人生を肯定的に生きようとしても、乗り越えられないものなんだということを感じさせます。ダニエル少年の人生の中に私たち皆が共鳴する普遍的な人間ドラマがあると思います」

少年の立場で主観的にホロコーストを語る

「ダニエルさんは、この映画の日本での上映に合わせて、今年(2023 年)に来日する予定でした。しかし、テルアビブの自宅で転倒してけがを負い、日本に行くことが出来なくなりました。アンナさんというお孫さんがいて、ダニエルさんに代わって日本に行くという話になりましたが、これも直前でキャンセルになりました。すでにイスラエルとガザが戦闘状態になっていて、さらにアンナさんはイスラエルに暮らすユダヤ人で、日本に着くまでトランジットの際、ユダヤ人攻撃を受け、身に危険が及ぶ恐れがあり、海外に行くことを控えたいということでやむなく断念したという話です」

「イスラエル国家がやっている問題は、検証され、止めないといけないこともあります。ダニエルさんとその一家の人たちは「戦闘はすぐに止めるべきだ」とイスラエル政府に対する非難をはっきり話している人たちです。だから、そういう意味では、イスラエル人=イスラエル政府賛成派ではありません。イスラエル国内にも様々な声があります。だから、この映画を観る時、この中で語られている語りが、現代のユダヤ人のある種のメッセージ、イスラエルの声だというふうにならないような普遍性があると考えた上で、ダニエルさんの少年時代の体験談を聞くことは重要だという気がしました。パレスチナの地に対するあこがれは少年として感じたあこがれです。ヨーロッパで生きるにはあまりにもユダヤ人差別が厳しいという現実をみた上でのことです。その体験に基づいて語っている。それが現在のダニエルさんの人生に続いているわけですから、例えば大局的にみたイスラエルとは何かとか、ユダヤ人の現代に置かれている現状は何かとか、イスラエルの人とパレスチナ人との関係はどうか、これらを自身の立場で語ることの意義があると思います。それは学者的なコメントではありません。本当にご本人が体験したことを語る、まさに少年の立場で当時考えたことや感じたこと、そして、それを現在どういう形で言葉にするかという主観的な視点の語りのみで作られています。まずはその語りをそのまま受け止めたいと思います」

「戦争や恐ろしい組織的虐殺に直面した時、人がどういう行動をとるかを示す例として、観る必要があると思います。ただこの映画をご覧になる前にイスラエルの人の映画だということで尻込みしたり、あるいはみなさんのお知り合いでこの映画に距離を置く人もいるんじゃないかと思います。そういう意味で、この映画を上映するにはタイミングとして厳しいものがあるのは確かです。一方で、今のような状況だからこそ、戦争、虐殺にかかわるシビアな部分に率直に向き合う作品であるから、この映画を観て考えることの重要さも感じます。それこそがダニエルさんの態度から私たちがもっとも学ぶべきことではないでしょうか」

〇ぶんや よしと 1987年毎日放送入社、ラジオ局、コンプライアンス室に勤務。2021年早期定年退職。

●1月26日から全国ロードショー。関西では1月27日から、大阪・シアターセブン、神戸・元町映画館で上映。『メンゲレと私』の公式サイトは以下です。アウシュヴィッツ強制収容所は1945年1月27日に解放され、今年で解放79年となる。

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【ホロコースト証言シリーズ】ゲッベルスと私|ユダヤ人の私|メンゲレと私 「ホロコースト証言シリーズ」はオーストリア・ウィーンを拠点にしている国際的なプロダクションである、ブラックボックス・フィルムが製作するドキュメンタリーシリーズで...
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