
6月5日(金)から全国公開の映画『アン・リー/はじまりの物語』は、18世紀のイギリスに生まれアメリカに渡ってプロテスタントの一派「シェーカー教団」の宗教指導者となった女性、アン・リー(マザー・アン)の波乱の人生を辿る物語。

アン・リーは1736年イギリスの貧しい鍛冶職人の娘として生まれ、教育に恵まれず読み書きも出来ないながら、幼いころから信仰心が厚く、やがて自分がイエス・キリストの再臨だという啓示を受けますが、より強固になった信仰ゆえの極端な言動が周囲から問題視され、さまざまな迫害を受けます。親と同じ鍛冶職人と結婚して4人の子をもうけますが、不幸にも皆一才を迎えずに亡くなります。それでも神への強い信仰を胸に、性差別や人種を超えあらゆる人間の平等を訴える信念をかかげてシェーカー教団を立ち上げます。理想の共同体を求めて1774年には弟や妹を含む9人の信徒とともに大西洋を越えアメリカへ渡ります。新天地で仲間とともに精力的に布教活動を続けますが、狂信的な宗教集団だと誤解され、暴力的な迫害を各地で受けることにもなります。数多の苦難を経験しながら、1780年にようやく教団の核となる教会が完成。そして映画は1784年のアン・リーの死(享年48)で幕を閉じます。

このように映画はアン・リーの誕生から死までを、北米植民地でのシェーカー教団の変遷とともに描きますが、アメリカ史で言えばちょうど7年に亘ったイギリスとの独立戦争(1775~1781)を核とするアメリカ建国黎明期。モナ・ファストヴォールド監督が徹底的にこだわったとされる、当時の建築や室内装飾、生活用品などの美術、衣装、戸外や室内の陰影など、今や貴重な35mmフィルムが捉えた画面は、遠く過ぎ去った時代の北米植民地の光景を豊かで奥深く、見事に情感に満ちたものにしています。今に伝わるシェーカーデザインの家具や工芸品もお見逃しなく。監督は「35mmで撮影すると質感や粒子、細部のすべてが立ち上がってくる」「まるでカラヴァッジョの絵画のよう」だと話していて、たしかにその通りの映像効果が生まれていると感じます。

さらにこの作品は宗教をモチーフにした史実に基づく歴史ドラマでありつつ、本格的なミュージカル映画でもあって、ファストヴォールド監督は、そのチャレンジが実は当初の「創造的リスク」であったと語っています。しかしそのチャレンジングでエモーショナルな歌唱とダンスが彩る数々のミュージカルシーンは目を見張る素晴らしさです。シェーカー教徒が礼拝の時に体を震わせる(シェイクする)恍惚のダンスをしたという歴史的事実と、ミュージカル映画としてのクリエイティブな身体表現が合体した、どれも実に躍動的かつ深い精神性を宿したミュージカルシーンが感動的に展開します。

そしてこの映画を極上の完成度にまで高めているのが、言うまでもなく主演のアマンダ・セイフライドでしょう。彼女の演じる「マザー・アン」が圧倒的に素晴らしい。彼女を観るために何度でも映画を観に行きたいと思わせる、そういう決定的な名演だと思います。監督は「植民地時代のアメリカの農村地帯は、社会のあり方を想像し直すための聖地のような場所だったのです。文明そのものを、自分たちの理想に合わせて形づくることができる、そんな感覚があったのでしょう」と語っていますが、それはそのままマザー・アンの生活信条であって、演じるアマンダ・セイフライドの入魂の演技は、たしかにスクリーンのなかでアンが生きていると実感させられるでしょう。

アメリカ合衆国にとって今年は、1776年7月4日にアメリカ独立宣言が採択されてから250周年ですが、その前年1775年にイギリス本国との独立戦争がはじまり、1781年にイギリス軍が降伏して、北アメリカの13植民地(後の州)が独立しました。マザー・アンとシェイカー教徒たちの布教活動が次々と困難を乗り越え拡大していった時代です。独立宣言に盛り込まれた精神は、イギリスの政治哲学者ジョン・ロックの近代民主主義理論と、新大陸の自然の中で育まれたプロテスタントの信仰心や生活信条が見事に結びついて生まれたものだと言われています。宣言前文には、すべての人間は生まれながらにして平等で、生命、自由、および幸福の追求などの権利を有していることが自明の真理であるということが書かれています。映画にはアン・リーがアメリカ上陸直後に奴隷売買の現場に遭遇して、声高に非難するシーンがありますが、当時北米植民地での人権の考え方は様々あって、独立宣言起草文案にも「奴隷制度反対」の内容が当初はありましたが、13植民地の意見が統一できず削除されたようです。そして1787年アメリカ合衆国憲法制定、1789年ジョージ・ワシントン初代大統領に就任と歴史は進み、「自由」と「民主主義」を標榜する共和制国家アメリカ合衆国ははじまりましたが、アフリカ大陸から強制連行された黒人奴隷やアメリカ先住民の権利はほとんど保障されず、南北戦争後も人種差別問題は長く残ることになりました。

『アン・リー/はじまりの物語』という作品は、アメリカ合衆国がはじまる時代そのものがアン・リーの生き方を通して伝わってくる映画でもあって、シェーカー教団が唱えたジェンダーレスと平等主義、財産の共同所有、労働を信仰の実践とする労働倫理など、そういう価値観を基礎にした巨大な共同体が生まれていたかもしれないという歴史的可能性までも想像させる側面があるように思います。植民地時代のアメリカについてのファストヴォールド監督の言葉と呼応するかのように、アン・リーのドラマの向こう側に、今とは別のアメリカが創造されていたかもしれないとの想像に導く力があるのではないでしょうか。
いずれにしても、かなり多種多様な鑑賞の仕方、楽しみ方ができる、素晴らしく内容豊富で情報量の膨大な歴史ドラマであり、かつ最高に躍動的な本格ミュージカルでもあるという、これまでに観たことのない革新的な面白さが溢れる傑作です。ぜひ多くの方に観ていただいて、自由に楽しみ、考えていただけたら嬉しいです。
●総合デザイナー協会特別顧問 園崎明夫
〇『アン・リー はじまりの物語』 6月5日、全国公開
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