大阪のメディアを考える「大阪読売新聞 その興亡」69 安富信

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 怒涛の神戸総局次席はわずか1年足らずで終わった。次は松江支局長時代だが、やっぱり書き残したことがあるので、暫しお待ちを。

目次

鑑定書流出巡り、今も書けない「ヤバい」事実

 前回にも書いたように、新聞記者を長くやっていると、書きたくても書けないことがある。それは、裏付けやエビデンスという言葉で語られることだ。じゃあ、裏付けって何?と聞かれても、曖昧な答えしか出来ないのだが。まあ、何となく当局側、警察や検察などの捜査機関が事件化したものや、国や地方公共団体が公式に認めたものか、当事者が認めたこと、などになるが、それも極めて曖昧だ。
前回に書いた、盗まれた鑑定調書がどのように流出したかは、暗い森の中に迷い込んでしまったように結局闇の中だが、我らがボス加藤譲さんは、このシリーズに際して再び、ダンボール箱の中から昔のメモや資料を引っ張り出した。そこには、元大阪高検検事長や某検事から取材したメモがあり、かなり詳細なやり取りが残されているという。はっきり言って「ヤバい」事実がいくつも並んでいる。もう25年以上も前の資料だが、これを以てしても裏が取れていないから、この連載にさえ書けないのだ。悔しい限りだ。
それにしても、真相に迫りながらも、書けない悔しさを味わうのは、真実に近づく努力と粘りを続けた記者に限る。今の若い記者たちは、こんな努力をしているのだろうか?もちろん筆者は全くダメだったが。

 熾烈な続報合戦、「誤報」も多く

  このシリーズを締め括る上で、書いておかなければいけないことがまだあった。それは、事件発生後、犯人逮捕に至るまでの続報の在り方だ。何度も書いて来たが、事件原稿では発表直後に警察が発表をして以降は、原則的には容疑者逮捕までは公式発表はない。よってマスコミ各社は、現場周辺での聞き込み取材や夜討ち朝駆けと呼ばれる刑事さん宅を訪れて聞き出す取材などを積み上げて、続報を書き続ける。酒鬼薔薇聖斗事件は、淳君事件発生から逮捕まで約1か月もあったので、各社の続報合戦は熾烈を極めた。その中には、少年が逮捕された後、明らかに誤報だと認定されるような酷い記事も多くあった。
 読売新聞の続報の中で最も恥ずかしい記事は、「黒いゴミ袋を持つ中年男」だろう。この中年男が犯人だとほぼ断定している。「14歳中学3年逮捕」の一報を聞いた時、筆者の頭に真っ先に浮かんだのは、この中年男のことだった。ある意味、当局の発表を座して待つよりマシだとは思うし、自由な取材の結果だから仕方ないとも言えるが、冒頭に書いた「裏が取れているか? エビデンスはあるか?」と言われれば、頭を掻くしかない。こうした取材が今も、大事件などの時に繰り広げられているのかどうかは知らないが、もし、まだやっているのなら、再考すべきだ。普段は記者クラブ制度に安住し、当局の言うままで、大事件になると大騒ぎするという旧態依然とした取材体制を続けているのなら、新聞は衰退する一方だ。

東京からの編集局長「特ダネはいらん。特落ちだけはするな」

 ところで、もう一つ、この事件に関連して思い出したことがある。それは、当時、大阪読売では東京本社から編集局長がお越しになられるようになっていたことだ。読売新聞が大阪に進出してしばらくは大阪生え抜きの編集局長が続いた。古沢さんや津田さんだったかな? 筆者が若い頃の編集局長は。かなり長く務めておられたし、個性の強い方々だった。それが、「黒田軍団崩壊」の少し後から、”東京支配”が強まり、筆者が第一次飛ばされの京都から枚方支局に舞い戻った頃に、東京から編集局長が来るようになった。最初は中保さんだった。まあ、この人も、筆者の枚方支局→阪神支局異動の当事者ではあるのだが、まあ、そんなに大阪社会部に影響は与えなかったように思う。
 しかし、次の大内さんは違った。彼は東京本社社会部長を歴任した方で事件記者だった。聞くところによると、宮崎勤事件で東京読売が「宮崎のアジト発見」という大誤報を出した時の社会部長だという。知らんけど。その大内さんが大阪の編集局長の時に酒鬼薔薇聖斗事件が起きた。大内編集局長は事件発生後間もなく神戸総局に激励に来られた。と、当時は思っていた。次席の筆者が総局のソファに座った編集局長を前に、吶々と事件の概要とこれからの課題、どうやって他社を出し抜こうか考えている、と説明した。岸本地方部長も横で聞いていた。
 すると、大内局長、当時彼は「カニ局長」という渾名で呼ばれていた。なぜか知らないが、その時、筆者は大内局長の指の真ん中に毛がたくさん生えていることだけを覚えている。彼は言った。「そんなことは、どうでもいいんだ。特ダネなんて要らないから、とにかく、特落ちだけはしてくれるな」。耳を疑った。
 それから数か月後、神戸総局は、某ライバル紙をはじめとする、少年の心の闇に迫る連載記事で、「特落ち」した。

彩花ちゃんの母が出版 4年目記者が徹夜で記事に

 いい思い出もある。少年が3月に殺害した山下彩花ちゃんの母京子さんが本を出版したことを、M記者が書いて来た。かなり思いが入った長尺な記事だった。M記者は当時4年目で、記事ははっきり言って拙かった。しかし、京子さんの取材を粘り強く続けた強い思いがあった。彼が徹夜で書き上げた原稿を早朝、総局で見た記憶がある。いい原稿だった。夕刊社会面を見開きで飾った。嫌な思い出ばかりのこの事件で、唯一、いい涙を流して読んだ原稿だった。(つづく)

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