報告 ドキュメンタリー映画「裸のムラ」 五百旗頭監督の舞台挨拶 文箭祥人(編集担当)

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9月15日、大阪・十三の第七藝術劇場でドキュメンタリー映画「裸のムラ」の上映が始まり、監督の五百旗頭幸男さん(いおきべゆきお)が舞台挨拶を行った。その模様を報告します。

五百旗頭幸男監督

第七藝術劇場のフェイスブックにアップされている五百旗頭監督のコメント動画。

「石川県はこの春、馳浩新知事になりましたが、それまで前の谷本正憲知事は7期28年、さらにその前の中西陽一知事は8期31年。60年、半世紀以上、石川県民は二人の知事しか知らなかった、そういう土壌の県です。長期県政では男性中心のムラ社会がはびこっていました。ムラ社会の県政、ムラ社会からはじき出されたムスリム、さらに同調圧力の強いムラ社会を気にせず生きるバンライファー、この3つを軸に描いた作品です。一見、まじわらない3つの軸ですが、<実はこういうふうにからみあっていたんだ>と感じとっていただければ、観ている人たちがちょっとザワザワして、<どうしようかな>というふうになる、そういう作品です」

五百旗頭幸男監督

2003年、富山県のチューリップテレビに入社。17年、富山市議会の政務活動費不正問題を追ったドキュメンタリー番組「はりぼて~腐敗議会と記者たちの攻防~」にて文化庁芸術祭賞優秀賞、放送文化基金賞優秀賞、日本民間放送連盟賞優秀などを受賞。20年、同じく富山市議会の不正を追い続けた映画「はりぼて」を砂沢智史とともに監督し劇場公開。全国映連賞、日本映画復興賞などを受賞。この年の3月、17年勤めたチューリップテレビを退社。同年4月、石川テレビに入社。21年、ドキュメンタリー番組「裸のムラ」で地方の時代映像祭選奨を受賞。22年、「日本国男村」で日本民間放送連盟賞番組部門テレビ報道・最優秀を受賞。

目次

保守王国、石川県 学級崩壊状態の県議会、それをおかしいと思わないカメラマン これらに対する違和感が映画制作の出発点

映画には森喜朗が県知事選で応援演説をするアーカイブ映像が流れる。問題発言が相次ぎ支持率が低下し内閣総辞職に追い込まれた元首相、女性蔑視発言により辞任した東京五輪・パラリンピック大会組織委員会会長。五百旗頭監督は舞台挨拶の冒頭でこう話す。

森喜朗元首相 ©石川テレビ放送

「上映が東京、金沢で始まりました。東京では森さんが出てくると無茶苦茶受けるんですけど、金沢では全然、笑いが起こらなくてシーンとしていました」

舞台挨拶は第七藝術劇場の小坂誠さんが進行役。

「五百旗頭監督は富山で1作、石川で1作、映画を制作してきて、大阪に住んでいると、富山・石川を、‘北陸’と一つにまとめて語ることが多いのですが、この2つの県の違いとか共通点はどういうものですか」

五百旗頭監督

「どちらもすごいです。富山は数字的には日本一の保守王国なんです。有権者に占める自民党員の割合が一番高い、石川は2位か3位。ただ、石川県庁に行くと、肌感覚として、忖度の度合いの強さとかは圧倒的に石川の方が強い。コロナのこともありますが、石川県庁の職員がメディアに向ける警戒感のようなものをすごくひしひしと感じました」

「はじめて、石川県議会を取材したとき、富山でも寝ている議員がいましたが、石川の場合、それに加えて、議場の後ろに座っているベテラン議員が横を向いたり後ろを向いたりして、しゃべっているんです。それも知事が答弁している時です。学級崩壊状態です。そして、この様子を撮ってくださいとカメラマンに指示すると、いつも通りでおかしいと思わない、と返してきました。このカメラマンの言葉にも違和感を覚えました」

なぜ、県政、ムスリム、バンライファーの3つを軸にしたのか

小坂さん

「前作の『はりぼて』は、富山市議会の不正問題を取り上げて、この人が敵だ、とはっきりわかりましたが、今回は、この人が敵だ、と観るのが難しい。県政、ムスリム、バンライファーの3つを取材対象にしたのはどういうことですか」

五百旗頭監督

「さきほど話した、石川県議会の学級崩壊状態とそれを取材するカメラマンが発した言葉に対して違和感を覚えたこと、それと、このとき、未知のウイルスの感染が拡大しましたが、人間や社会の本質がむき出しになっていると感じました。この目には見えない<空気>を映像化できないか、と考えたのがこの映画の出発点です」

「政治や行政によって、世の中の<空気>が醸成され、市井の人たちへ広く伝わりますが、石川の<空気>を描くには、おかしな県政の取材が必要です。その次に取材に向かったのはムスリムです。コロナ感染が拡大し、たまたまデスクに取材をすすめられて、ムスリムの家族を取材しました。『今は全く困っていない、むしろ居心地がいい。ただ、コロナが終わって、また攻撃されるのが怖い』と。この視点を全く持っていなかったので、この人たちをウォッチしたいと考えました」

ムスリムの家族。金沢市生まれの松井誠志さんはボランティア活動で訪れたインドネシアでヒクマ・バルベイドさんに出会い、2000年に松井さんはムスリムに改宗し、ヒクマさんと結婚。01年、金沢市の老舗飴屋「あめの俵屋」に入社。06年、石川ムスリム協会副会長に就任。22年、金沢市内にムスリムサポートセンターを開設。長女アリーヤさん、次女カリーマさん、長男ユスフさんと暮らしている。

「ヒクマさんの日本社会の矛盾をえぐる言葉の強さにすごく引きつけられました。このムスリムの家族とムスリムのコミュニティーを取材してみようと。県政とムスリムは対比が利いています。男性中心のムラ社会の象徴が長期県政、一方、ムラ社会からはじきだされたのがムスリムという対比です」

松井誠志さん、ヒクマ・バルベイドさん ©石川テレビ放送

そして、3つめの取材対象がバンライファー。バンライフは「バン(VAN)」と「ライフ(LIFE)」の造語。クルマを中心にしたライフスタイル全般を意味する。完全にクルマの中で寝泊まりする人もあれば、自宅とクルマでの生活を両立させる人もいる。目的も動機も人によってさまざま。

「県政もムスリムも金沢市の中心部の事象です。都会の事象だけを追っかけても、石川県の<空気>を描くことはできないと考え、都会の周辺部で同調圧力に気にせずに生きている人を探して見つけたのが、バンライファーの中川さんです」

中川生馬さん。13年石川県穴水町に、妻・結花子さん、長女・結生ちゃん、次女・杏抽ちゃんと暮らしている。中川さんは神奈川県の小・中学校卒業後、単身でアメリカ・オレゴン州に留学。卒業後、ソニーなどに勤務。会社員を10年で辞める。現在、バンライフを送りながらフリーランスとして企業広報の仕事をしている。

中川生馬さん、結生ちゃん ©石川テレビ放送

「この3つの題材がそろった時に、今の映画の形に落とし込めるとは想像していませんでした。ただ、それぞれの題材が魅力的でした。取材を始めて、いずれ、何かこの3つの関連性が浮かび上がってきたら、作品としてパワーを持つのではないかというイメージはありました。これは取材経験に基づく直観です。わからないからどんどん取材をしていく、その中で見えてくるものを自分なりに物語にして描いていく、そういう始まりでした。取材を始めた段階でゴールが見えることほど、おもしろくないものはないです」

目には見えない<空気>を映像化

<空気>を描く…

「<空気>は単純なものではありません。そもそも人間も社会も複雑で多面的です。一言で片づけられないものです。テレビは単純な図式に落とし込んで、視聴者が分かりやすく理解できるようにかみ砕いて、善悪二元論とか、単純化する。そこに違和感をずっと抱いてきました。それはやりたくない。<空気>は複雑で多面的で、その通りに描く、だけど、物語にするので意図をもって取材した映像を編集しました」

五百旗頭さん自身が経験した<空気>

「以前、勤めていたチューリップテレビにもこの世の中の同調圧力や忖度の<空気>が押し入っていました。本来なら現場の意思が尊重されなければならない番組という作品がないがしろにされる、そういう事態が起こっていました。結局、そういう<空気>に追われて、チューリップテレビを出たんです。だから、<空気>を描こうとしたんだと、映画をつくり終えてから腑に落ちました。無意識のうちに自分のなかに<空気>を描かなければというのがあったのだと感じています」

映画には五百旗頭監督が取材する姿が映されている。

五百旗頭幸男監督 ©石川テレビ

「そもそも、ドキュメンタリーは現場に介入するわけですから、ドキュメンタリーはありのままではありません。カメラを持って被写体に向き合うことは暴力性を伴います。それに対して、自覚的でないとだめで自覚的だからこそ、取材者である私もきっちりと映し込まれています」

映画「裸のムラ」は五百旗頭さんが制作した「裸のムラ」と「日本国男村」の2本のテレビドキュメンタリー番組がベースになっている。21年5月、「裸のムラ」が放送された。

「放送後、『わけがわからない』、『テレビはわかりやすくつくるものだ』とひたすら、言われ続けました。けれど、社内の20代、30代の若手がおもしろがってくれたり、映画を観た中学生はけっこう理解してくれました。いかにテレビの作り手が観る人の力を信用していないかということだと思います。観る人の観る力を喚起できる作品をつくっていかなければいけないと思います」

映画「裸のムラ」が描く世界は…

「比較的印象悪く描いた為政者の人たちですら、前知事の谷本さんは気のいいおじさんだし、憎みきれないところも描いたつもりです。新知事の馳さんもそうです。市井の人たちに対しても多面的に描いています。全体的にいろいろな対比を利かしています。ムラ社会の県政とムラ社会からはじき出されたムスリムの対比が一番の軸になります。為政者の言葉の軽さと市井の人たちの言葉の手触り感の対比もあります。バンライファーの中でも、自由に生きているようにみえる中川さんもいれば、自由になりたかったけれど村の視線から逃れられずに自由になれない秋葉さんもいます。中川さんは娘の結生ちゃんと毎日日記をつける約束をしますが、映画がすすむにつれ、二人の見え方が変わってきます。ムスリムは、思ったことを何でもしゃべる妻のヒクマさんに対して夫の松井さんが忖度して思ったことが言えません。クリスマスのシーンがありますが、子どもたちは宗教についてはなかなか両親に思っていることを言えない、そこにも忖度があります。そういう対比をいろいろ利かせていく中で、社会の矛盾を浮き彫りにする、こういう構成です」

前作「はりぼて」は富山市議会に矛先を向けた。「裸のムラ」は誰に向けているのか。

「この映画が描いている世界は、みなさんがうすうす気付いていたり、知っていたりするけど、見て見ぬふりをしてきた世界です。それは最終的に映画を観ている人に跳ね返ってくる、そういうイメージでつくりました。ムラ社会の2つの普遍性と言っているんですが、<変わらない普遍>と<いろいろなことに通じる普遍>を感じてもらえるようにつくりました。だから、私が向ける一番の矛先は実は、みなさんです」

ドキュメンタリーは放送局の「財産」

質疑応答ではメディアに関する質問や意見が続いた。

「東京でドキュメンタリーをつくる考えはありますか」

五百旗頭監督

「地方にこそ、この国の縮図があったり、地方で見つめた題材をウォッチしていると、そこに今の日本がみえたりとか、もしかしたら世界がみえたりとか、そういったものがいっぱい転がっているんです。それをいかに見つけて描くか。東京のキー局では、「裸のムラ」はつくれないと思います、いろいろな横やりが入るでしょうし。その点、石川テレビはストップはかからないし、自由にやれと背中を押してくれます、ドキュメンタリー制作部という専門の部署もあります。こうした環境は今のテレビ業界では稀有だと思います」

「ドキュメンタリー番組は深夜遅くに放送され、だれが見るんやと感じています」

五百旗頭監督

「ドキュメンタリーは放送局にとって貴重な財産です。番組をローカルで放送して、映画化して、その先にさらに配信もできるわけです。国内に止まらず、アジアや世界で流すことも可能です。こういう発想でやっていけば、どんどん可能性が広がっていく。自由に番組を制作できる石川テレビのようなローカル局に可能性を感じています」

●映画「裸のムラ」上映情報

https://www.hadakanomura.jp/

○ぶんや・よしと  1987年MBS入社。2021年2月早期退職。 ラジオ制作部、ラジオ報道部、コンプライアンス室などに在籍。 福島原発事故発生当時、 小出裕章さんが連日出演した「たねまきジャーナル」の初代プロデューサー

なお、冒頭の写真のコピーライツは ©石川テレビ

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