「ミラクルシティコザ」 沖縄人も米兵も音楽に救いを求めた 水野阿修羅

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釜ヶ崎もコザも「暴動」は抗議の声

映画「ミラクルシティコザ」を観て、沖縄を考えた。1970年はわたしにとって大変な年だった。大阪万博に反対し、日米安保条約に反対し、釜ヶ崎に移り住んだ。すると日雇い労働者に沖縄人が多いことにビックリ。コザ暴動はわたしにとっても衝撃だった。釜ヶ崎も夏には暴動が多い。
世間では「暴動」というととんでもないという反応だが釜ヶ崎にいると「抗議の声」と感じる。当然「コザ暴動」も抗議の声と感じた。だけどその声を当時のわたしはあまり実感できなかった。

映画の一場面©Office Crescendo Inc.

那覇港でパトカーがお出迎え

75年に釜ヶ崎で一緒に活動してた船本州治が米軍嘉手納基地前で焼身自殺した。そこでその現場を見に行くことになり始めて沖縄に渡った。フェリーで大阪南港から27時間、那覇についた時、下にパトカーが来てる。なんか事件でもあったのかと思いながら下船すると、我々についてくるではないか。当時の沖縄は日本に「返還?」されたばかりだったが車の通行はまだアメリカ式で左右逆だった。那覇に1ドルハウスという簡易旅館があったが、当時の1ドルは360円だったが一泊1000円というので泊まるのをあきらめ知り合いの家に泊まった。
朝、職安前に日雇い労働者が集まるというので行ってみるが、ついてきた刑事が労働者と沖縄語で喋ってるのが全く理解できず文化が違うことを思い知らされた。米軍基地の島に占める大きさも実感した。後ろにパトカーを付けたままそれでも沖縄中を走り回り、車がつぶれたのでスクラップ屋に売ってその金で帰ってきた。

映画の一場面©Office Crescendo Inc.

沖縄の基地を日本に引き取ろう

この映画を観て改めてコザ暴動の意味が良くわかった。ベトナム戦争が米兵にどれだけしんどかったか、だけどそのうっぷんをぶちまけられる沖縄人のしんどさ。音楽に救いを求める若者。そこは沖縄人も米兵も同じ。
あらためて日本人としてのわたしが問われている。関西沖縄文庫の金城馨さんから基地問題を問われた。「基地反対だけでは何の実効性もない」「沖縄の基地を日本に引き取ることで責任を取ろう」という運動があることを知り、わたしも加わることにした。この映画を観てその思いをつよくした。

ミラクルシティコザhttps://miraclecitykoza.com/)
関西では、シネ・リーブル梅田(2022/2/4~)、MOVIX堺(2022/2/4~)、
アップリンク京都(2022/2/4~)、イオンシネマ和歌山(2022/2/11〜)で公開。
みずの・あしゅら 釜ヶ崎在住
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