1月1日の発災から一か月近くが経過し、被災地の状況も人命救助から避難生活への整備、そして全域の復興へと移りつつあると思います。時の推移の過程で、取り残される方がないよう、漏れのない救済がおこなわれますように。
先日、震災後の輪島塗の存続と継承に向けての新聞記事がアップされていましたが、その写真にある白髪姿の男性を見て、「あっ、小森先生だ」と思わず声がでました。
●「輪島塗の伝統、必ず次代に 全事業所が被災、生産再開見通せず 能登半島地震」(朝日新聞デジタル)
※有料記事。紙面では1月26日(金)夕刊一面に掲載。
実は十年ほど前に小森先生の工芸技術記録映画を演出していました。この作品も文化庁の企画ですから35㎜フィルムによる映画です。
製作工程の最初から最後までを忠実に記録するという方針でしたので、10か月あまりの間、輪島と東京を往復しながらの撮影になりました。
●「動画で見る無形の文化財」(文化遺産オンライン)
※小森先生の映画を10分にダイジェストした動画がアップされている
重ねた俳句は小森先生の自作。
小森邦衞さんは国の重要無形文化財「髹漆」(きゅうしつ。漆塗り全般を指す)の保持者、いわゆる人間国宝の漆芸家です。
作家にとっての髹漆は、漆の美を活かすための色と形を表現することから、分業制の輪島塗と異なり素地・下地・中塗り・上塗りと工程を一貫しておこないます。深みのある製作主題や美の感覚も要求されます。輪島市出身の小森さんは輪島塗職人としてキャリアを始め、漆芸家となってからは伝統的な素地づくりである〈曲輪〉で器形を成し、そこに細い竹で編んだ網代を接着して意匠とする作品を生み出してきました。網代模様がつくりだす細やかな立体感は、漆を塗るとさざ波のような小さなきらめきへと変容します。蒔絵や沈金といった加飾に頼らず、漆の色や塗りあじで作品の表情を演出する小森さん独自の漆芸です。
●日本伝統工芸会・小森邦衞さんの紹介
小森さんの作品には輪島塗を土台とした技術が息づいています。曲輪素地だけでなく、補強の布着せ、輪島地粉を使った下地、徹底した研ぎつけによる造形、圧着させた漆の層…堅牢かつ軽量なうつわづくりは輪島塗の特性そのものです。道具もまたしかりで〈能登アテ〉材のヘラ、小刀、砥石も職人さんたちが使われているものと変わりありません。産地が現代漆工芸をけん引する作家を生み出す土壌となり、作家が活躍することによって産地の技術的、芸術的水準の高さを示す機会となる。この相互作用も輪島塗ならではのことと思います。
輪島塗に育まれた漆芸家は小森さんのほかにも前 史雄さん、山岸一男さん(共に沈金)が人間国宝に認定されています(物故者も含めると五名の人間国宝を輩出)。そして多くの漆芸家が輪島を拠点に作品作りに向き合っています。また輪島市には漆芸技術研修所があり、重要無形文化財保持者の指導のもと、技術伝承者の養成と漆芸の未来を担う人たちの研鑽の場となっています。
●石川県立輪島漆芸技術研修所
研修生の中には修了後も輪島にとどまって職人さんに転身される方がいます。 小森さんの撮影時にその方たちと接する機会がありました。伝統という重い装束をまといがちな輪島塗のうつわに、自分たちの技術を通じてスッキリした感覚を与えたい…そんな話をした記憶があります。全国から集まってきた研修生たちは市内周辺に居住しながら学んでいます。ですので避難後果たして輪島に戻ってくるのか、心配です。震災による人材の流出は、建物や街づくりといった復興の道程を虚しく形骸化させるほどの深刻な問題です。輪島塗でも次代の担い手があらわれなければ、時代と共に歩む伝統文化は停滞し、やがて途絶へと向かいかねません。
一方でそうはさせまいとする動きが出てきていることを知ることができました。
●「全壊した輪島塗メーカー、重要無形文化財の復興へ向けた挑戦 クラファンには多くの支援者〈業界全体を立て直したい〉
※このニュースは前掲の朝日新聞デジタルの記事にも含まれている
●田谷漆器店HP
※〈お知らせ〉のページに震災の被害と復興への決意が寄せられている
この漆器店は創業二百年を数える塗師屋で、十代目となる若い後継者が復興の陣頭指揮を執っているとのことです。調べると、ホテル勤務で培った外部からの視点と人脈を得て実家に戻り、老舗に新しい風を吹き込もうと取り組んで数年後に震災に襲われたことがわかりました。自社ギャラリーの設立も十代目が先頭をきって動いていたと想像します。
ギャラリーの焼失、社屋や工場の倒壊と、身も心もつぶされそうな状況であっても、働く人たちは無事に生き残った。そして生き残っただけでなく存続への気骨に満ちていることに希望の光を感じます。輪島塗は、それが漆芸品であれ生活のうつわであれ、高度な手仕事によってのみつくられるものです。輪島塗の存続を支援することは、すなわち塗りものに携わる人々の手を支えることにほかならない。当たり前のことながらそのことをあらためて実感します。
田谷漆器店は震災直後に十代目への代替わりがおこなわれたことを知り、驚きました。既定の人事と震災とが偶然重なっていたのかもしれません。しかし経緯がどうであれ、老舗の行方が大きく揺らぐさなかに、先代は経験値の少ない後継者に未来を託したのです。
この先代の決断の重さ、そして未来を見据える視界の広さに深く心を揺さぶられました。
小森邦衞さんは国の重要無形文化財「輪島塗」の保持団体として指定された、輪島塗技術保存会の会長もつとめられています。その保存会が5年の歳月をかけて製作した漆芸作品〈夜の地球儀〉が石川県輪島漆芸美術館に常設展示されています。
うつわや調度品といった形をもった輪島塗の作品ではなく、輪島でしか実現できないものづくりを、という意図のもと直径1mの真球を漆黒で覆い、薄く盛り上げた陸地部分を蒔絵で輪郭づけ、更に夜景の限りない光の集積を沈金で表現したものです。輪島塗を特徴づける分業ごとの精緻な手わざによって、静謐な夜の闇に浮かびあがる、文明の光にひきこまれます。
●〈夜の地球儀〉についての紹介
※石川県輪島漆芸美術館は現在震災対応のため当分の間閉館している。展示の再開を待つ間、ページ内にある地球儀制作のドキュメントを是非ご覧いただきたい。保存会の手による丹念な記録である
“地球儀を眺めることは、世界を俯瞰で捉えること。対立や分断を超えて他者に思いを巡らすことの意味を、輪島の片隅から世界に向けて伝えていきたい…”
保存会は地球儀制作にあたってのコンセプトをそう伝えています。この作品が制作されている頃、世界はコロナ禍に覆われていました。展示がはじまった時にはロシアによるウクライナ侵攻が激しさを増していました。
そして震災の局面に晒された今、この地球儀の持つ意味がより重く感じられます。
地球という巨大な天体、その上っ面の膜のような陸地に私たちの生活がある。天体の地下深くからせりあがる胎動に私たちの生はいかにはかないものだろう。しかもこの胎動は地球の時間から見れば瞬きでしかない。二度、三度と瞬く間に繰り返される天災、そして人災。私たち人間は過酷な体験をし、その目撃者にもなった。それでも弱く小さな光でしかない私たちは、互いに共感しあいながら支えあって乗り越えていくしかない。消えた光もこの天体が回転し、太陽のまわりを何周も巡るうちにきっと輝きを取り戻す。
つい目の前の出来事に動揺し、一喜一憂してしまう私に、広く遠い視界を持て、とこの地球儀が励ましてくれる気がします。その励ましがこの星に生きる皆さんと共有できますように。
井上実(記録映画演出)
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