5月6日、大阪・十三の第七藝術劇場でドキュメンタリー映画「ハマのドン」の上映が始まった。
横浜カジノ阻止に向け、最高権力者に挑んだハマのドン
カジノ阻止に向けて立ち上がった ‘ハマのドン’こと藤木幸夫、御年91歳を追ったドキュメンタリー映画「ハマのドン」。
2019年8月、藤木幸夫が横浜港をめぐるカジノ阻止に向けて立ち上がった。地元政財界に顔が効き、歴代総理経験者や自民党幹部との人脈、田岡一雄・山口組三代目組長ともつながりがあり、隠然たる政治力をもつとされる保守の重鎮だ。
その藤木が、カジノを推し進める政権中枢に対して、真っ向から反旗を翻した。今の時代が、戦前の「ものを言えない空気」に似てきたと警鐘を鳴らし、時の最高権力者、菅総理と全面対決した。
決戦の場となったのは横浜市長選。藤木が賭けたのは、住民投票を求める署名を法定数の3倍をも集めた市民の力だった。裏の権力者とされる藤木が、市民とカジノ反対の一点で手を結び、時の総理と官房長官が推し進めた「カジノ誘致」の国策阻止を成し遂げた。
監督はテレビ朝日の松原文枝さん。1991年テレビ朝日入社、92年政治部・経済部記者。2000年から「ニュースステーション」、「報道ステーション」のディレクターを経て、「報道ステーション」のチーフプロデューサーを務めた。
カジノ誘致が阻止された横浜。一方、大阪は4月に行われた大阪府知事・大阪市長の大阪ダブル選で大阪維新の会が完勝。吉村洋文知事はカジノに関して、「進めていくことに一定の民意を得たと思う」と述べた。
ハマのドンが発する言葉 「主権は官邸にあらず、主権在民」「主役は横浜市民、俺は脇役」
7日の上映後、松原文枝監督と、教育現場に迫る危機を描いたドキュメンタリー映画「教育と愛国」の斉加尚代監督のトークイベントが行われた。満席の会場から大きな拍手が起こり、二人が登壇。
松原監督
「斉加さんは、ものすごく強い制作者です。いろいろ勉強させていただいています。取材相手に対してとてもやさしく聞き始めるんですが、最後には相手が全部しゃべってしまう。そういう素晴らしい制作者なんです。「教育と愛国」では目に見えない政権からの圧力を描き、常に今の社会の問題点に切り込んでいます」
斉加さん
「2016年に松原さんが制作した「報道ステーション」の特集「ドイツ・ワイマール憲法の教訓」。安倍政権は憲法に緊急事態条項を入れようと打ち出しましたが、それがいかに危険かを痛切に衝く内容でした。ギャラクシー賞テレビ部門大賞を受賞しました。もう一つ、忘れられないのは、「ケンブリッジ・アナリティカ事件」。Facebookのユーザーの個人情報を大量に抜いて、それを選挙に利用するという選挙マーケティング会社「ケンブリッジ・アナリティカ社」の存在を一早く察知して報じたのが松原さんでした。松原さんは政治の危うさを伝えてきた人だと思います。そして、「ハマのドン」に行き着いたと思います」
松原監督
「「ハマのドン」は2019年に取材を始めました。この時、横浜市の林市長は「カジノは白紙」と言い続けていましたが、裏ではずっと動いていて、市民をごまかしていたんです。カジノ事業者は横浜と大阪を狙っていて、横浜は菅さんのお膝元ですし、菅さんがすすめていることで、それに物を言う人はいませんでした。ところが、ハマのドン・藤木さんが89歳の時、港の元締めで、裏の権力者とされる藤木さんは最高権力者の菅さんに対して、「カジノ阻止」と旗幟鮮明にしました。権力者が権力者に対抗する、それは大変です。負ければ、補助金、税制、許認可による不利益を被る可能性もあるし、藤木さんの事業にも影響が及ぶかもしれない。物申すことがなかなかできない時でしたので、今もそれが続いていると思いますが、物申す藤木さんに驚きました」
時の最高権力者、菅首相との対決の場は横浜市長選。
松原監督
「むずかしい戦いになるだろうと見ていました。そうしたら、藤木さんと横浜市民との力が融合していくことになるんです。横浜市民は本当によくがんばったし、藤木さんだけではもちろんないし、いろいろな人の力がありました。おそらくこの波動はどこの地域でもできることだと思います」
斉加さん
「藤木さんを取材するプロセスは簡単ではなかったと思います。なかなか懐に入れない、そういうこともあったのではないですか」
松原監督
「むずかしいですよね。最初は港湾の幹部から不審な目で見られていたと思います。明らかによそ者ですし。ただ、藤木さんはオープンで取材を拒まない。周囲に丁寧に取材の意図を説明して、次第に理解を得るようになりました。少しずつ門戸が開いていった感じです」
斉加さん
「藤木さんの言葉の力を感じました」
松原監督
「読書量とか知識量とか半端じゃなくて、並みの政治家はかなわないと思いました。毎朝2、3時間、本を読んで、その後新聞を読んで、記事に線を引いて、さらにその切り抜きを持ってくるんです。長年、選挙をやってきたということもあるんでしょうけど、「主権は官邸にあらず、主権在民」という藤木さんの言葉は、用意した言葉ではなくて、横浜市長選の結果が出た後にマイクを向けると興奮してしゃべった言葉です。もう一つは、「主役は横浜市民、俺は脇役」。これは最初に取材した時の言葉です。最初からこの考えを持っていた。それを貫いたのです。映画を通してこの「主役は市民だ」を伝えたかったです」
斉加さん
「映画を拝見して、強く印象に残ったのが、藤木さんの言葉です。もちろん藤木さんが語っているのですが、死者の思い、港湾労働者の思いを自分は語っている、死者が語らせている、例えば、戦時の空襲で亡くなった先生が語らせているんじゃないか、そういう藤木さんの語り。もう一つは、藤木さんが15歳の時につくった野球チーム「レディアンツ」のメンバーが藤木さんの仲間として選挙を支えたというところに感銘を受けました」
松原監督
「港を大事にしたいという思いがすごく強いんですね。港湾荷役業の藤木企業を創業したおとうさんの時代のことも、開けっ広げにしゃべります。いろいろ誤解もあるし、実際いろいろなことがあったと思うんですよ、日本の裏面史かもしれませんけれど、そういうことも隠さずにしゃべるんです。児玉誉士夫さんの話も出れば、稲川会も出る、いろいろな話を平気でする人なんです。でも、やっぱり、港を大事にしたい、地域を大事にしたい、そういう気持ちがある人なんだなあと思います。あと、戦後すぐ15歳の時に野球チームをつくって、野球もするし、みんなで本を読んで議論もするし、社会奉仕もする、藤木さんは、地域の人たちを仲間を大事にしたい、そういう思いがずっとあるんだなあと思います」
藤木さんは2004年、神奈川新聞社から「ミナトのせがれ」という本を出している。
松原監督
「この本は伝記です。伝記ですが、おとうさんのことを半分ぐらい書いているんです。野球チームをつくったことも書かれています。当時少年だったメンバーを取材しましたが、当時の写真や記録帖、自分たちで発行した新聞を今も大切に持っているんです。少年時代のつながりが今もあるんだなあと感じさせられます」
権力側から放送局にかかってくる電話 「事実が間違っていなければ跳ねのければいい」
斉加さん
「これまで取材に対して、政権から嫌がらせとか妨害とかはあったんですか」
松原監督
「今回の場合は特になかったです。この映画はドキュメンタリー番組から始まっていて、放送するに当たって、政治のテーマで、特に最高権力者と対峙する内容なので脇を締めてというのは当たり前ですがありました。斉加さんはどうですか」
斉加さん
「東京の官邸の圧の方が断然、強いと思います」
松原監督
「「報道ステーション」の時もそうですが、とにかく、事実関係だけは間違ってはいけない。訴えられないように事実関係をしっかりやる。しっかりやっておかないと、すぐ来ます。事実さえ間違ってなければ、跳ねのければいいんです」
斉加さん
「「すぐ来ます」は、どういうことですか」
松原監督
「電話がまず来ます。電話は秘書官とか自民党の議員とかからです。権力者が放送に対して何か言ってくるのは、自民党政権だけではありません。権力者はそういうことをやるでしょうと思います。電話やメール、SNSで何か言われても、事実が間違っていなければ、跳ねのければいいんです。毎日毎日来るわけではなくて、選挙の前は特にピリピリします。政治家は生き死にが、かかっていますから。でも、放送する方もそれが分かっているので、絶対に間違ってはいけない。神経を使い事実を積み重ねます。以前は、選挙の前に毎日、選挙報道を放送していました。党もその放送を見ています。こちらも絶対に事実関係を間違わないようにしないといけないと考えていました。最近、選挙報道は選挙当日しかしないと批判がありますが、少し前まで毎日、選挙のいろいろな企画を放送していました。そういう放送に戻さないといけないと思います」
斉加さん
「その節目が2016年だと思います。「報道ステーション」の古館伊知郎さん、NHKの「クローズアップ現代」の国谷裕子さん、TBSの「NEWS23」の岸井成格さん、報道番組のキャスターが次々降板させられました」
松原監督
「安保法制が国会で審議されたのが2015年です。その前の選挙あたりから、放送局に対していろいろな文書が出されました。これが今につながっているところがあります。ネット上でも、おそらく、この頃からバッシング的なことが始まったと思います」
斉加さん
「ネットの中で、政権の意に沿わない記者や制作者を個人的にバッシングする、そういう動きがスキームみたいにつくられたのが2016年から18年頃だと思います」
斉加さんは2018年、ネットでのバッシングを取材し、MBSテレビでドキュメンタリー番組を制作。
MBSテレビ「映像18 バッシング~その発信源の背後に何が」(2018年12月16日放送)。今や誰もが簡単に自由に言論を展開できるようになったインターネット空間。自由な発信によって様々な摩擦も引き起こす。ひとたび放たれた言論は評価されることもなく、誰も責任をとらずに連打され、特定の個人に攻撃を呼び掛ける呼び水となっているかにみえる。バッシングの背後にあるものは何なのか。その正体を探っていく。
2023年3月には「映像23 バッシング~陰謀論と情報戦」を制作。
斉加さん
「誹謗中傷が殺到したとしても、それは人が書いているのではなく、ボットというソフトを使って、誹謗中傷を拡散しているんです。私の取材の感覚で言えば、300から400ぐらいの誹謗中傷が来ても、それは、発信する側のスキームで、つくられたもので、大したことないなあと思うようになりました」
松原監督
「ソフトを使ったバッシングの攻撃力は激しいですが、誹謗中傷を書いた人はいるわけで、そこを斉加さんは突き止めました」
斉加さん
「そうですね。炎上が起こる時は、その発火点が必ずあります。それがわかると、「ああ、なるほどな」と思います。政治家が呼び水的な発言をしたりとか、出版社が記者を攻撃したりとか、どうしてバッシングが起きたのかを明らかにすると、逆に落ち着ける、というのはあります。観察を続けると、この人たちはこんなふうに指令を受け取って拡散しているんだ、すごく楽しそうにやっているとか、大学のサークル活動に似ているなあとか、いろいろ相手を分析するようになると、ちょっと楽しくなってくるというか、おかしいですかね」
松原監督
「大した人なんです、斉加さん。大阪の宝ですね」
ハマのドン 「自分の意見を言え」
斉加さん
「映画を観て感じたのは、政治家も含めて圧倒的に男性が多いですね」
松原監督
「いろいろな会合を取材しましたが、黒ずくめのスーツ姿の男性たちが並んで「おはようございます」とあいさつするんです」
斉加さん
「任侠映画みたいですね」
松原監督
「藤木さんは「任侠映画みたいだな」と言って会合の会場に入ってくるんです。確かに一見近付きがたいですよね。お辞儀の仕方も映画っぽいですし。でも、港の人たちがどういう歴史を持っているのか、どう生きてきたのか、いろいろな場所で懇切丁寧に藤木さんは話します。港を知って欲しいという強烈な思いがある。確かに、横浜は港から始まって、港が横浜の街の原点なんです。昔は、港で水上生活を送っている子どもたちがいて、そこは危険なんです、亡くなった人も多くいます。さらに、雨が降れば仕事に出かけられない、それを何とか改善したいと尽力したんです。そういう自分たちが背負ってきたものを、この世代のものすごく多く港湾の人たちは共通して持っています」
斉加さん
「映画に何度も「家庭を壊してはいけない、崩壊させてはいけない」というフレーズが出て来ますね」
松原監督
「DVで家庭にいられない子どもたちのシェルターになっている児童養護施設が映画にでてきます。元は、学校に通うのもままならなかった水上生活の子どもたちのために作られた全寮制の学園です。藤木さんはこの児童施設の理事長を訪ねて、ギャンブルで家庭が崩壊した子どもたちの話を聞くんです。それだけではなく、毎年クリスマスに日には、別の養護施設にクリスマスケーキを届けたり、いろいろなことをしています」
斉加さん
「子どもたちへの愛情は昔からですか」
松原監督
「野球チーム「レディアンツ」の人たちに言わせると、そうらしいですね。変わっていないいと。人を大事にしていると思います。あと、人も大好き。意見が違うと、敵だ味方だと分断するみたいな風潮が今の社会にあると思うんですけど、野球チーム「レディアンツ」の頃から、藤木さんは自分の意見を言えと当時から言っていたそうです。「レディアンツ」のメンバーは、「勉強会で人の意見と違っていても違っていなくても、自分の意見を言いなさいと藤木さんに言われ、自分たちはそうやってきた」と言います。藤木さんは、意見が違っても、一緒に生活していく、巻き込んでいく、そういう人物なんだと思います」
さらに松原監督が続ける。
「私はずっと長く政治部にいましたけど、自民党の中にも、そういう人たちが結構いたんです。ある時から、小選挙区制度の影響もあるんでしょうけど、特に安倍政権になってから、意見が違えば、敵だ!みたいになってしまって、物言えば唇寒し。それが社会にも広がっていると思います。そういう中で、「自分の意見を言え」という藤木さんの生き方は大事だと思います」
子どもの関心を引くようにデザインされているカジノ
斉加さん
「自由に意見を表明する姿勢がこの社会にとって大事だと私も思います。大阪では、大阪維新の会一色に染まりがちな傾向ですが、その大阪でカジノが推進されようとしています。松原さんはどう見ていますか」
松原監督
「映画に村尾武洋さんが登場します。村尾さんはニューヨーク在住のカジノ設計者です。カジノ事業者の「シーザーズ・エンターテインメント」など名だたるカジノの設計を全米で30件近く手がけてきた人物です。カジノ問題を話すことは彼にリスクがあって、映画の英語版は絶対にやめてと言われました。日本語版だからということで、映画に協力するというよりも日本支援のために自分はやりたいと話しています」
映画の中で村尾さんはカジノ手口を仔細に明かしている。松原監督は、「村尾さんの話は具体的で驚くことばかりなので、もっと多く映画に入れたかったのですが、それでは村尾さんの映画になってしまうと配給さんから言われ、削りました」。それほど、カジノには多くの問題があるということだ。
松原監督
「削ったところで言えば、例えば、ホテルが娼婦宿になってしまう。カジノで賭けて、お酒を飲んで、そして女性も、という話になる、事前にホテルに何人も女性を用意しておいて、客から「女性を用意してほしい」と連絡があれば、女性は客として同じホテルに泊まっているからどこの部屋にも行くことができる。ホテル側も文句が言えない。部屋の中でお金を支払うから、ホテルは娼婦宿になってしまう」
村尾さんは、テレビ朝日のニュースサイトで藤木さんを知る。藤木さんの言葉に打たれた村尾さんは藤木さんに協力すべく横浜で記者会見を行い、カジノの実態を公にした。
松原監督
「村尾さんは大阪維新の会にも手紙を書いたんですって」
斉加さん
「本当ですか!」
松原監督
「村尾さんが一生懸命、横浜の事情を調べていくうちに、大阪もかなり話が進んでいるということで、大阪で誰が反対と言っているのかわからないから、大阪維新の会というのは、改革の党だと書いてあるから手紙を出したそうです(会場、大笑い)」
斉加さん
「騙されたんですね」
松原監督
「何の返事も来なかったと村尾さんは言っていました」
斉加さん
「家族でカジノに行った時に、子どもはカジノができないけれど、チラチラとカジノの様子を子どもが見えるようになっていて、子どもが成長したら、カジノに戻ってくるように仕掛けがされていると聞いて、びっくりしました。私は教育現場をよく取材するので、高校の尊敬する先生たちが、生徒たちが非行に走って風俗に行ってしまったとか、危ない仕事をしていると現場まで行って連れ戻してくる、親がほっといてくれと言っても、連れ戻してくる、そういう先生がたくさんいるのを知っているので、どうなるんだろうと心配になりました」
松原監督
「村尾さんが話していましたが、カジノフロアは、どこから通ってもそのフロアが見えるようにデザインをしている。子どもが通るところにスロットマシーンが見えるようになっている。それもアニメで楽しいそうな画面にして、子どもたちが関心を持つようにすると。子どもの頃からカジノに対する抵抗感をなくして、何かおもしろいだろうと思わせる工夫までする、いかにお客さんにするか、ち密に計算されています」
大阪カジノ。2029 年秋から冬頃の開業を目指すという。
●映画「ハマのドン」公式サイト
〇「ハマのドン 横浜カジノ阻止をめぐる闘いの記録」(著:松原文枝、集英社新書、5月17日発行)
●ぶんや・よしと 1987年MBS入社。2021年2月早期退職。 ラジオ制作部、ラジオ報道部、コンプライアンス室などに在籍。 福島原発事故発生当時、 小出裕章さんが連日出演した「たねまきジャーナル」の初代プロデューサー
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