大阪のメディアを考える「大阪読売新聞 その興亡」33(社会部編9) 安富信

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「読売新聞大阪社会部」の誇り背負った先輩記者

実は、この32、33回を書くにあたって、読者にエクスキューズしなければなりません。この2回は、ほとんど「警察官ネコババ事件-おなかの赤ちゃんが助けてくれたー読売新聞大阪社会部」という講談社文庫を参考にしている。言い訳だけど、筆者は全くこの事件に関与していないのだから。と書いて、今気づいたのだけど、「読売新聞大阪社会部」という表記に強い誇りが感じられる。黒田軍団崩壊後にして、ひょっとしたら、それとは違う、本来の誇りなのかも? とふと、思った。

連載が単行本になり、文庫化された

 それは、この連載を書くために、補足と言うか、ほとんど筆者が関与していない避けられない事件を書くために、加藤譲さん(73)や中山公さん(74)ら先輩記者たちに改まってお会いした時に、感じたことだ。当たり前のことなのだが、「この先輩たちは、間違いなく大阪読売社会部を背負ってた方々やな」と背筋をまっすぐにしたい気分だった。(実際は、筆者はホンマに失礼な後輩で、ほとんどため口で取材したのだが)。加藤さんについては詳報したので、ここで中山公さんについて、少し述べたい。

 中山さんに電話で「今度書くときは中山さんの風貌をぼくなりに表現しますよ」と伝えたら、「えっ、まず歳は64歳にしといてや」とかましてきたので、やんわりと、「それやったら、ぼくより年下ですやん」とかわした。初めて会った時の印象は、「おもろそうな人やな!」だった。聞けば、島根県松江市出身で2年ほど他の仕事を経験してから新聞記者になったという変わり種だ。初対面の時「初任地は松江です」と言ったら、松江のローカル話で盛り上がった記憶がある。「和製ジャック・ニコルソン」と言われた大地康雄さんにクリソツだ。独特の巻き舌で畳みかけるような話し方、実直な性格。大好きな先輩の一人だ。こんな風に書いていたら、大阪読売新聞で好きな先輩、後輩をたくさん書かなければならないのだが、それは今後、「必要最小限」とする。

捜査2課乗り出し潮目かわるも「あの女、そのうち逮捕する」と副署長

その中山記者が昭和63年(1988)3月6日の朝刊社会面トップに書いた特ダネは、明らかに流れを変えた。15万円拾得現場の所轄署・堺南署だけで“捜査”を進めていたのが、大阪府警本部の知るところとなったのである。通常、こうした事案に都道府県警が乗り出す際は、まず、捜査二課が出張って来る。いきなり警務監察事案とはならないのが通常で、大阪府警も直ぐに捜査二課が出て来た。捜査二課はいわゆる知能犯、汚職や詐欺事件などを担当する課であるが、府警内の複雑な“事件”の前さばきもする。要するに、外部の事件もさることながら、内部のややこしい事案の前処理にも臨む、いわば供述捜査のスペシャリストなのだ。

3月6日日曜日の午前7時、堺南署の刑事課長にI署長から電話が入り、この事件の捜査には捜査二課が当たると、告げられた。捜査二課は、「この事件が主婦のネコババ事件ではない」と直感したのだろう。当然のことだ。その日のうちに同課調査官(次長、警視)と管理官(3席、警視)班長(警部)が堺南署に出向き、翌7日には捜査会議が開かれた。この日から、具足さん夫妻に対する警察の態度が明らかに変わったという。10日昼過ぎには、捜査二課の警部補と巡査部長が名刺を出して、「ぼくらはあの新聞を見て初めて動きました」と丁寧に挨拶した。明らかに潮目が変わって来たのだが、まだこの時点では堺南署では、あくまでみち子さん逮捕に固執していた。T副署長は中山記者に対し、「迷惑している。主婦の言い分ばかり書いた内容だ。抗議する」と言い、「あの女、そのうち逮捕する」と息巻いた。読売新聞の報道から5日後の3月11日、大阪府議会警察常任委員会で議員の質問に備えて大阪府警が準備していた答弁書は「ネコババの犯人は警察官ではなく主婦」だった。大阪府警の監察室も、堺南署からの報告を鵜吞みにしていたことが分かる。今でこそ、テレビドラマなどで警察内部の監察が活躍する場面もあるが、当時は署の幹部が言って来たことをそのまま疑いもせずにいたことが如実である。要するに、冤罪を作りやすい体質だったことが分かる。今は??

署幹部なお主婦逮捕に執念も、立証された巡査のネコババ

捜査二課が乗り出して、ようやく「みち子さんが犯人」という道筋は、軌道修正されてきた。しかし、堺南署の幹部たちは、尚もみち子さん逮捕に執念を燃やしていた。同署の部長刑事と上司の捜査係長は、大阪地方検察庁堺支部に行き、みち子さんの逮捕状を取り、身柄を拘束したい、と申し入れている。検察庁は「逮捕状は取れるが、自供しなかったらどうなる。みち子さんが『15万円を受け取った巡査に体格が似ている』と言ったN巡査の行動の時間的詰めも不十分だ。もう少し考えた方がいい」とブレーキをかけた。しかし、捜査二課の捜査で次第に、N巡査がネコババした、と立証されて行く。

読売の記事をきっかけに捜査の方向が変わる。そのことを丹念に追った連載記事

署長や警務部長ら減給処分、夫婦は納得せず

そして、上海列車事故が起きた2日目の3月25日午後11時20分、突然、大阪府警本部で深夜の緊急記者会見が行われた。堺南署槇塚台派出所での15万円蒸発事件について、府警本部監察室長は「拾得届は確かに出ていた。受け付けた警察官N巡査が受理手続きを怠り、受け付けの事実を隠していたことが判明した。明日付で懲戒免職処分に付し、業務上横領容疑で検察庁に書類送検する」と述べ、「善意の届け出人に誠に申し訳ないことをした」と謝罪した。みち子さんが15万円を届けて以来、実に48日ぶりの結論だった。
着服、横領したのはN巡査、と断定したのは捜査二課だが、今から考えると、捜査のベテラン組織が出張って来なくても、普通に捜査しておれば、簡単にわかった事案であると思うのだが。捜査二課の刑事たちはみち子さんから届けの際の状況を聞き、堺南署全署員の顔写真を見せて、「お金を渡したお巡りさん」としてN巡査が選び出され、N巡査を聴取。一旦は否認するが、翌日には自供した。しかし、拾得金の15万円は焼却したという。府警本部はそのまま発表した。上海列車事故であふれかえる紙面が当然予測されるタイミングで。明らかに、大阪府警の不祥事を新聞紙面で小さくしたいという、超姑息な手段だった。
大阪府警は5月17日付で当時の堺南署長だった井上正雄・阿倍野署長ら幹部4人を監督責任と捜査に対する責任で減給と厳重注意処分にした。
しかしみち子さんと夫の清治さんが待つ正義を求める強い心と、大阪読売新聞社会部の記者の矜持がそれを許さなかった。具足さん夫妻は5月25日、「ニセの証拠で犯人にでっちあげられそうになった。不当捜査を明らかにしたい」と大阪地裁に慰謝料請求訴訟を起こした。大阪府警は23日午前、記者会見を開き、長尾良次・警務部長は自らの減給を含めた処分内容を発表した。記者会見場に充てられた府警本部2階の記者クラブホールには、約50人の報道陣が詰めかけた。しかし、具足さん夫妻は納得しなかった。

次々と大阪府警は、事件の幕引きを図る

夫婦が提訴、明らかになった壮絶な冤罪の構図

この損害賠償訴訟の内容を見た、読売新聞大阪本社社会部の幹部たちは驚いた。「みち子さんが堺南署からどうように犯人扱いされ、自白を迫られたか、その実態の一端を知ったのはこの訴状を見てからだった。ここまで酷い扱いをされていたとは気づかなかった。報道する側として、この時点まで重大な事件を見過ごしてしまっていたことになる」。取材に当たった記者たちが座談会で話し合った際、1人の記者の告白である。そう、初めてこの時、この事件は単なる警察官のネコババ事件ではなく、壮絶な冤罪を生み出す構図に溢れていたことに、大阪読売社会部員が気づくのである。
大阪読売社会部の真骨頂は「事件に強い」ことである。そのためには、大阪府警の警察官と仲良くなり、ネタをもらうことである。多くの記者が凶悪事件を解決し、悪質な詐欺商法や公務員の汚職を摘発する大阪府警の捜査員に敬意さえ払っていた。シンパの刑事には情がわくし、捜査の進展、影響を考えれば、ズバッと書けないこともある。筆者もそんなジレンマを感じたこともある。「しかし、そうしたことがあっても、この事件の真相はどうしても書いておかなければならないと思った。拾得金蒸発事件を最初に報道しながら、みち子さん側が国家賠償請求訴訟を起こすまで、犯人扱いされた実態を見過ごしていたわれわれの不明への忸怩たる思いからであった」。そう思った取材班の堺・泉北ニュータウン通いが始まった。しかし、提訴はしたものの事件そのもののことは早く忘れてしまいたいと感じていたし、何より身重だったみち子さんの口は決して滑らかではなかった。しかし、取材意図がわかると、快く時間を割いてくれた。1日3,4時間の聞き取りが何日も続いた。テープを逐一起こして、内容を確認する作業もあった。わからないことはわからない、違うことは違うと、決して取材に迎合しない話しぶりは一点の曇りもなかった、という。
6月13日夕刊から、その追跡レポートが始まった。
事件発覚から約3か月後の6月23日、国家公安員会は、新田勇・大阪府警本部長を減給(100分の1)1か月、長尾良次警務部長(ともに当時)同(100分の2)1か月の懲戒処分を決め、大阪府警は堺南署長だった井上正雄・阿倍野署長の引責辞任と、捜査を担当した堺南署刑事課巡査部長を他署の警ら課へ配置転換することを発表した。しかし、連載はブレずに続いた。(つづく

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