大阪のメディアを考える「大阪読売新聞 その興亡」19(京都編5) 安富信

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軍部暴走の引き金「軍令」草案

斎藤デスクの持ち込みネタでない特ダネを書きたい! 京都に転勤になってから9か月が過ぎ、年が明けて昭和61年(1986年)になった。「京都駅」の連載を抱えながらも比較的落ち着いて大学回りに専念していた。京都大だけでなく、同志社や立命館の広報課などにも顔を出し、広報誌や学内向けの文書なども読んでいた。
その頃、立命館大学が明治の元老西園寺公望公を開学の祖と仰ぎ、前年から「西園寺伝」編纂室を開室して古文書の分析を進めていた。その過程で、「軍令」草案が見つかったということを学内向けの文書に書いていた。「軍令」って、あの軍令?と、引っかかった。それも西園寺公の直筆という。これは大発見かもしれない。早速、編集委員長の岩井忠熊・元同大学文学部教授に連絡を取って、現物を見せてもらい、解説してもらった。直観は当たった。
明治40年(1900)1月の文書で、明治の末期、軍部が内閣を無視して直接天皇に上奏することを可能にし、一大政治勢力に成長する重要な出発点となったことを示す一級の資料だった。西園寺は当時の首相で、この草案には反対したとされる。しかし、草案は無修正で制度化され、「軍令1号」として軍法上の最高規定となった。文官統制を拒否し、以後、日中戦争、第二次世界大戦へと軍部が暴走する「暗黒の昭和史」の引き金となったとされているが、背景や製作過程を示す生の資料はこれまでなかった。初めて自分の力で取って来た特ダネだ!

明治末期、軍部独走のきっかけとなる生の資料を発見 そのサイド記事
その原文 立命館大学衣笠キャンパス

斎藤デスクに胸を張って報告した。「それは、凄い!」とデスクは唸った。すぐに、当時市役所担当だった先輩のHさんが呼ばれ、記事作成の応援にかかった。というのも、斎藤デスクはこのネタを1面トップ、社会面トップ、別面で文書の全文、と目論んだ。Hさんは、その後の京都支局、総局、地方部時代にも散々登場する人物なので少し説明する。見かけは一言で言って「モアイ像」。高校・大学と硬式野球部の投手で、ちょっとえらそうな性格だ。筆者より6期上だが、いつも相当「上から目線」で言われた。そのHさんが手伝ってくれるという。斎藤デスクの按配だったが、ちょっと複雑な気持ちだった。

豪腕デスク、強引に紙面確保

ともかく、斎藤デスクの紙面取りの真骨頂をまたもや見せつけられた。Hさんは、いわゆる「社会面受け原稿、もしくはサイド原稿」と呼ばれる記事を担当した。この場合、この軍令草案の発見の驚きとか意義さを情緒たっぷりと書くのだ。この特ダネを取って来た筆者は当然、本筋を書く。別面もHさんらが書いた。斎藤デスクの手練手管はここからだ。このサイド記事を、本社に常駐している整理部の社会面担当デスクに声をかけて見せる。社会部にいた時からの仲の良い同期だ。「●●ちゃん、凄い発見があったよ。サイド記事を送るから読んでみて。社会面トップ間違いないよ」。
そういう下ごしらえをしておいて、やおら、地方部デスクに出稿を打診する。整理部社会面デスクは既に社会面トップを約束してくれている。だから、本記は当然1面トップだと。ついでに全文は3面辺りかな?と。受けた地方部デスクはいい気がしないが、既に外堀を埋められているから、仕方なく“斎藤マジック”に従わざるを得ない。その日、大きな事件事故がなく、すんなりと1面トップ、社会面トップ、3面に全文と落ち着いた。1月24日付の紙面だ。もちろん、これは大阪本社発行の新聞だけで、東京本社発行の新聞では3面に本記記事だけが載った。それでも、斎藤デスクは涼しい顔。本社地方部のデスクは面白くない。
こうしたやや汚い手口での紙面獲得方法は本社でも物議をかもしたが、斎藤デスクはどこ吹く風だった。数か月後、筆者も同じような手口に巻き込まれた。今度は1年下のN山さんが取って来たネタだ。古都税問題が噴出していた頃、筆者は度々この問題で取材に駆り出されるようになり、後述する大学入試門問題騒ぎもあったのでN山さんと大学担当をダブルで受け持っていた。

最古でないなら「最古級や!」

その彼が、京都府城陽市の古墳についての“大発見”を聞き込んできた。これに斎藤デスク食らいついた。1面トップ、社会面トップだ!と。今度は筆者にサイド原稿のお鉢が回って来た。正直言って、今も確信しているのだが、このネタは弱かった。考古学の専門家ではないが、この古墳を「最古の古墳発見」とは言えないようだった。難しい記述は本意ではないので省くが、簡単に言えば、「最古の古墳」ではなく「最後の墳丘墓」と識者に聞いても判断された。
しかし、斎藤デスクは引かない。「よし、それじゃあ、“最古級の古墳”で行こう」ときた。「いやいや、最古に級なんかないですよ」と出稿に反対したが、聞き入れてもらえない。「とにかく、社会面サイド記事を書いて」と押し切られた。嫌々ながら眉に唾つけながら書いた。翌日の紙面、1面トップ、社会面トップになった。かなり恥ずかしかったし、悔しかった。
ともあれ、先の軍令草案には局長賞(2人で賞金6万円)、後の最古級の古墳には部長賞(1万円)が出た。もちろん、先輩のHさんとは山分けして別々に使った。

旧帝大二分の入試改革案に京大猛反発

ところで、筆者の35年の新聞記者生活を一言で表現すると、「事件持ち」である。どの世界でもいるだろう。やたらと、事件やトラブルに巻き込まれる人。新聞業界で「事件持ち」と呼ばれる人種は、はっきり言って疎まれる。だって、この人が来れば、それまで平穏な地が一転、大事故や大事件に巻き込まれるからだ。第1章の松江編でも、それまでは平穏な島根県が大事件やややこしい問題に襲われたように。
やがて、ここ京都でもその本領が発揮されることになる。古都税問題やそれ以前にあった「お東紛争」(これも後述するが)は、筆者が原因ではないが。しかし、今から振り返ると、新聞記者やっていて事件持ちの方が勉強になった。なんせ、いろんなことが体験できるのだから、と今なら思える。
本来、大学担当は「事件のない」持ち場だ。しかし、とうとう始まった。昭和61年(1986)4月3日、国立大学の受験機会の複数化を図ってきた国立大学協会が旧7帝大を2つのグループに分けて翌年3月の2次試験を実施する、と発表した。3月1日からのAグループに京都大、名古屋大、大阪大、九州大。3月5日からのBグループに東京大、北海道大、東北大にするという。水面下では着々と進められていたのだろうが、マスコミには寝耳に水だった。
京都大学関係者にも知らない人がいたようで、吉田キャンパスはハチの巣をつついたような騒ぎとなった。12日には京都大教養部教官の過半数がこのグループ分けに反対だとして西島安則学長(故人)にグループ分けに参加しないよう申し入れた。西島学長は14日に態度を保留すると表明し、国大協内で批判が相次ぐ。さらに、法学部が16日に学部長名で反対を表明し、17日には文学部と教養部が教授会で改革延期の決議をしたのを受けて西島学長は19日に記者会見し、「京都大はAグループの基本姿勢は変わらないが、試験日程は各学部の判断に任せる」と発表した。当に玉虫色の決着を図った。そして、法学部は、定員400人を200人ずつに分けるAB分割方式を実施することを選択した。

旧帝大を2分する入試改革案   早速反対する京都大教養部

なぜ、京都大がこれほどまでに頑なに反対したのか? それは簡単に言えば、京都大が東京大と別のグループに入れば、これまでは一応同等に試験を実施してきたが、グループ分けされることで、優劣が付く。すなわち、京大が東大の後塵を拝することが予測されるためだ。A日程とB日程になって複数受験する、例えばA日程で京大を受験して合格しても、B日程で東大に受かれば流れてしまうという危機感だ。確かにそれは頷ける。しかし、ある意味では京大のプライドをかなぐり捨てた決断だったともいえる。入学試験に関しては、その後も文部科学省の方針転換でコロコロとやり方を変えてるのが現実だ。

(左上から)京大学長、苦悩の保留発言 ▽根回し不足と批判される京都大 ▽文学部も反対表明 ▽学部別にと京大学長 ▽京都大学法学部は分割入試へ ▽京都大学吉田キャンパス

とにかく、このAB分割騒動に筆者は巻き込まれた。とくに法学部の教授会はネタが取れず、肝心なところで京都新聞や朝日新聞に抜かれた。京都新聞のK大学担当キャップは京大出身でネタ元があるようだ。朝日はまた違ったとこからネタを引いているようだ。毎日も強かった。筆者は同志社大卒、悲しいかなネタ元がない。しかたないので、斎藤デスクが、社会部にいる京大法学部卒のM先輩に聞いてくれた。Mさんは、法学部でも最も発言権を持っていた故高坂正堯(まさたか)教授のゼミのOBだった。
Mさんは最後の黒田軍団の若手だ(後に阪神支局の次席、3席の関係になってさらに深い付き合いとなるが、それは後ほどに)。斎藤デスクの申し入れを聞いてくれて、筆者に現役の法学部生を紹介してくれた。後に大阪読売の記者になったHさんだ。女子学生だったHさんは、教授会でのやり取り、結論を高坂教授から聞き出してくれた。やっと、他社に追いつくことが出来た。そのHさんも今は大阪読売の幹部だ。
京都支局で大学担当になって、今から思えば非常に勉強になったし、後々の筆者の記者人生に有意義でかつ芽生えとも言えた。原子力発電の問題も、松江から引き継いで京都でも反原発団体の取材を続けることが出来たし、当時、徐々に問題化していた「脳死」についても勉強をした。環境問題も勉強を深めることが出来た。研究者との付き合いで、真理の探究と実学とのバランスも考えるようにもなった。
しかし、ある意味牧歌的な京都支局生活が、暗転する。(つづく

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