
新しい映像作家の発見や育成を目的とする「ぴあフィルムフェスティバル(PFF)」のプロデュース作品。瑞々しい映像感覚が溢れる中野広道監督の商業映画デビュー作品です。奈良県御所市の古民家を購入し、大阪から移住してきた青年・駒井が主人公。住居の改修工事を進めるなか、元所有者の老人・梅本がたびたび訪ねてきては、昔の御所や古い建築、懐かしい人々の思い出などを語ります。二人の語らうシーンを中心に、時が止まったかのような静かな街並みや、駒井と地域の人々とのふれあい、夢の中の出来事のような列車の沿線風景が、ゆったりと見事に美しく綴られてゆきます。そこには恋物語もなく、事件も起こらない。これほどシンプルで静謐な映像に身を浸し、このうえなく充実した映画体験をさせてくれる作品もめったにないでしょう。過ぎ去った時間、忘れられた場所への哀惜の情が、心を満たします。そして、もう戻ってこない時間や人たちや風景への痛切な想い、すべては過ぎ去って二度と再び戻らないという真理が、映画の随所に美しい虚しさとでも形容したい映像表現として感動的に刻まれています。


映画初出演とのことですが、三世桐竹勘十郎のもはや演技という範疇を超えたような存在感が凄いです。語り口とそのたたずまいに、必ず誰もが心奪われるでしょう。これ以上の適役はあり得ないと思わせるまでに梅本老人その人になっていて、そのセリフの語り口は一言一言を思わず頭の中で反芻してしまうほどの心地よさ。閑散とした昼間の御所の街並み、まるでモノクロのリアルな風景画のような背景を横切って梅本老人が歩く、ただそれだけのシーンに圧倒的な感動があります。映画とはこういうものだったと改めて気づかされると言えばいいでしょうか。

そして文楽の桐竹勘十郎の存在もあって『道行き』という題名がとても奥深いものになっていると思います。私が「道行」という言葉から連想するのは、近松門左衛門の「此の世の名残り 夜も名残り 死にに行く身を例うれば」から始まる『曽根崎心中』「道行」の名場面とか、吉良邸討ち入りを果たして泉岳寺へ向かう赤穂浪士の一隊とか、映画『昭和残侠伝』シリーズの高倉健と池辺良の殴り込みシーンとかですが、いずれも「死」や「終末」へと向かって「いく」道程です。題名の孕む意味合いがそのまま監督の表現したいことと重なるだろうとは思いませんが、いくつかのシーンでは、太宰治が書いた27歳の青年の最後の告白「いまは自分には、幸福も不幸もありません。ただ、一さいは過ぎて行きます」(『人間失格』)という一節もよぎりました。

この映画はほんとうに観る人によって全く違うさまざまな相貌をあらわすはずなので、観客それぞれがご自分の感性で自由に楽しめる、紛れもなく新しく稀有な映像作品でしょう。
中野監督は作品についてのインタビューのなかで語っています。
Q:それにしても大変オリジナリティーの強い作品ですね。
A:個性を意識しているのではなく、意図せずそうなっているのかもしれません。自分としては、映画を観ていただいた方に普遍的な何かを感じ取ってもらえるような作品を目指したつもりです。
確かに、観客それぞれが「普遍的な何か」を感じ取れる傑作で、監督の意図は見事に果たされたのではないでしょうか。出来る限り多くの方に映画『道行き』の世界に出会っていただければ嬉しいです。
〇総合デザイナー協会特別顧問 園崎明夫
●『道行き』は2月13日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、テアトル新宿 2月20日(金)よりシネリーブル神戸 2月27日(金)よりテアトル梅田 全国順次ロードショー
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