映画『はだしのゲンはまだ怒っている』が問いかける「今、私たちは怒っているのか⁈」 園崎明夫

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まもなく公開される映画『はだしのゲンはまだ怒っている』は、漫画『はだしのゲン』の誕生から現在への影響を描いたBS12の45分特別番組をもとに、90分のドキュメンタリー映画として制作されました。企画・監督・編集を担当した映像作家・込山正徳さんは「『はだしのゲン』は『アンネの日記』に匹敵する後世に伝えるべき戦争文学」だと語り、原作漫画が持つ熱量やその価値がいかに現在に受け継がれてきたかを描きます。漫画『はだしのゲン』は、昭和20年太平洋戦争の末期、広島市に暮らす小学2年生の少年・中岡元が、8月6日に投下された原子爆弾で被爆し、家族の死や貧困や偏見に苦しみながら終戦直後を生き抜いて、中学卒業後東京へ旅立つまでの8年間を描いた物語です。原爆・戦争をテーマとした漫画作品として、たしかに唯一無二の傑作だと思います。

作者 中沢啓治 (C)BS12 トゥエルビ

主人公のモデルは6歳のとき原爆を体験した作者・中沢啓治さん自身。終戦後を広島で過ごし、1961年に上京して1963年に漫画家デビュー。当時は被爆者に対する偏見・差別も多く、自身が原爆被爆者であることを隠していましたが、原爆後遺症で長年苦しんだ母親が亡くなり火葬したところ骨の跡形もなく、放射能が母の骨まで奪うことに怒り、以後被爆者であることを公言して漫画で原爆と闘うことを誓い、1973年(昭和48年)に週刊少年ジャンプで『はだしのゲン』の連載が始まりました。連載は掲載誌が変わりながらも1987年まで続きます。コミック版で10巻、文庫版で7巻という大作で、被爆の実相を知り、学び、考えようとするときの必読書だと思います。とりわけ原爆投下直後の惨状の表現は、おそらく戦後日本「漫画」にしか成し得なかった領域に達していて、それは原民喜や太田洋子や峠三吉の文学作品の忘れ難い衝撃とも、丸木位里・俊夫妻の圧倒的な絵画芸術『原爆の図』とも違う、まさに「漫画」表現でしか描けない世界を強烈な力で読者の胸に伝えます。さらに被爆直後の描写に止まらず、太平洋戦争末期にアメリカが日本に投下した究極の大量破壊兵器「原子爆弾」について、21世紀を生きる我々が学び考えるための歴史的事実や論点が様々な形でストーリーに織り込まれていて、その意味でもたいへん貴重な、興味尽きない作品です。もちろんストーリー漫画としては、言うまでもなく読み始めたら途中で巻を置く能わざる面白さがあります。もしも、まだ未読のかたがおられるならば、まず全巻をお読みいただきたいです。連載誌が何度か変わってはいますが、1970年代前半に週刊少年ジャンプで連載開始されたので、そこで語られる被爆から終戦直後を扱う第一部は読んだことがある人が多いようですが、とはいえ、ぜひ映画『はだしのゲンはまだ怒っている』公開のタイミングで、あらためて全巻読破していただきたいです。今では世界25ヶ国で翻訳出版されているとのことで、けっして過去の名作漫画ではないということをご理解いただけるでしょう。

(C)BS12 トゥエルビ

さて、このドキュメンタリー映画は、『はだしのゲン』という今から半世紀前に誕生した不朽の反戦漫画で、かつ核兵器についての今日的視点を呼び覚ます最高度の漫画表現に、今一度命を吹き込み、今も戦火が続き、むしろ核の脅威が増している世界の未来を、ゲンとともに見つめようという力強くかつ優しい視線に貫かれていると感じます。そして同時に「中岡ゲンはいまもまだ怒っているが、今を生きているあなたたちは怒っているのか?」と厳しく問いかけている映画だと思います。

(C)BS12 トゥエルビ
(C)BS12 トゥエルビ
(C)BS12 トゥエルビ

映画の中では『はだしのゲン』について「歴史観が偏っている」という識者の発言や、「描写が過激」だとして広島市の平和教材から消えてしまう動きなども紹介されます。しかし、この作品は別に専門の歴史書でもなくストーリー漫画なので、作中の登場人物のセリフとして語られる軍国日本についての認識や太平洋戦争に至る歴史についての見方は、作者の表現の自由であり、どう受け止めるかは読者の自由でしょう。

また被爆直後の描写などについては、現実に爆心地の惨状は数多くの著名な文学作品やジャーナリストの記録、被爆者の証言や広島原爆資料館にある被爆者の絵なども残っています。自分の目で見て、知って、読んで記憶すべき残虐な歴史的事実というものは存在するのではないでしょうか。

「表現の自由」の問題を、また別の視点から見てみると『はだしのゲン』のなかには、確かに今の時代の少年向けメディアならば掲載が難しいかもと思われる表現もあるように思います。すこし考えてみていただきたいのは70年代前半という時代のことです。当時はマスを対象にした映画、漫画、テレビ番組なども表現に関しては今よりもかなり自由度は高かった実感があります。思い出すままにですが、映画では東映で広島の終戦直後を描いた『仁義なき戦い』(1973)や実録やくざ映画が全盛期、東宝で沖縄返還の前年1971年に岡本喜八が撮った『沖縄決戦』も随所に悲惨な悲痛な状況が描かれます。(まったく別ジャンルの『子連れ狼』などの表現の過激さも特筆ものですが)。また『はだしのゲン』の挿話で未成年の主要キャラクターが複数の殺人を犯して逃走しますが、アメリカ映画でもチャールズ・ブロンソン主演の『狼よさらば』では正義の殺人者がシリーズでヒーローになったりしています。漫画では山上たつひこが近未来の軍国日本を描いた傑作『光る風』から良識の欠片もない『喜劇新思想体系』(こちらも凄い作品ですが)シリーズへ転換してゆく頃ですし、人間世界の破壊に至る『デビルマン』(永井豪にはあのころ『けっこう仮面』もありました)が活躍したのも70年代前半です。どの作品も『はだしのゲン』とはテーマも表現のあり方も関連はないでしょう。ただ同時代の作品ではあります。表現の自由のレベル、許容度というものは時代によって明らかに違います。そしてそれを意識することは大切なことだと思いますが。あの時代、あの原爆の悲惨をあの唯一無二の表現で描いた漫画作品『はだしのゲン』が、大手出版社の人気少年漫画雑誌に連載できていたことを歴史的に評価すべきだと、むしろそう考えるべきではないでしょうか。

(C)BS12 トゥエルビ

いずれにしても映画『はだしのゲンはまだ怒っている』とともに、是非『はだしのゲン』の世界に出会っていただきたいと思います。

●総合デザイナー協会特別顧問 園崎明夫

○映画『はだしのゲンはまだ怒っている』  11月14日(金)より広島・サロンシネマ、11月15日(土)より全国順次公開。近畿地方では、11月22日(土)より大阪・第七藝術劇場、11月21日(金)より京都シネマ、11月22日(土)より神戸・元町映画館で公開。公式サイトは以下のURL

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