『どうすればよかったか?』
映画冒頭、約8分間に及ぶ藤野監督が語る「家族の物語」に、その答えがあるのではないでしょうか。それは「このようにしてはいけなかった」というかたちで、明確に「監督の言葉」で語られていると思います。その後、監督の視点で記録された、数十年に亘る姉と両親の姿を見つめながら、私たちはその「監督の言葉と視点」について、心揺さぶられ、考え続けることになります。そして「どうすればよかったか?」の答えが理解できたとしても、「そのようにできたかどうか」は別の問題だということに思い当たります。
日々を生きてゆくうえで、「こうすればよかったのに、それができなかった」という、そういう困難や後悔と無関係でいられる人はまずいないでしょう。そのことが、それぞれの人生を生きている観客への重い問いかけとなって、それぞれの胸を強く揺さぶる、この映画はそういう映像作品なのだと思います。きっと「直接に自分自身への問いかけ」として観る以外に無い作品、客観的な鑑賞の仕方ができない作品だと言えるでしょう。
そしてこの作品からの問いかけの核になっているのが、監督の姉「まこちゃん」の存在です。一本の映画作品として観て、もしこのような言い方が許されるならば、彼女は何ものにも代え難い「圧倒的な孤高のヒロイン」です。藤野監督が限られた機会に撮った映像は、その姉への強く深い想いが全編に溢れていて、彼女の在りし日の姿の記憶や、その人生を想い、その死を追悼することが、観客の映画的想像力の源泉となります。そして、その想像力こそが、それだけが監督からの問いかけを観客が「自分のこと」として考え続けることに繋がるのでしょう。『どうすればよかったか?』という破格の映像作品と観客との関係においては、その受け止め方しかないと私には思えます。
〇Mエンターテインメントエグゼクティブ・プロデューサー 園崎明夫
●映画『どうすればよかったか?』公式サイト
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