驚くべき映像作品です。是非、多くの人に観られるべき人間記録です。それ以外にいうべき言葉は見当たりませんが、ほんの少し個人的な感想をメモしておきます。
「私、みんな受けとめて、逃げなかった。」という言葉通り、10歳で療養所に入所し、ずっと瀬戸内海の長島で生きてきた宮崎かづゑさんの晩年に寄り添い、「本当のらい患者の感情、飾っていない患者生活を残したい」という、彼女の覚悟を受け止めて、8年もの歳月を記録し続けた、熊谷博子監督の文字通り画期的な労作です。
膨大な映像記録のなかから選び抜かれたであろう、すべてのシーン・カットに監督の「作家性」とかづゑさんの「行動哲学」(というべきか)が明瞭に刻印されていると感じます。「作家性」といっても、いわゆる「社会派ドキュメンタリー」と呼ばれる、監督の主張を映像化した作品群とは、感触がまったく違います。20世紀初頭、映画の草創期、いまだ「ドキュメンタリー」と「フィクション」が未分化であったころのフィルムのような、誤解を恐れずに申し上げれば、純粋なドキュメンタリーとドラマ的ショットが奇跡的に見事に融合していると感じる瞬間が何度もありました。それは監督の演出というものではなく、いうならば、長い時間を共有してきた監督とかづゑさんがともに残したいと願った「瞬間」が、奇跡的にキャメラに投影された結果とでも言うほかないのかもしれません。熊谷監督の表現意図とかづゑさんの行為(ぎりぎり、それを演技と言ってもよいのかも)が完全に共鳴している瞬間がそこにあるのだと思います。そのことによって、稀に見る感動的な瞬間に満ちた、圧倒的な映像作品が誕生したのではないでしょうか。
映画冒頭の買い物シーンがまさしく、作品タイトルである「かづゑ的」アクションそのもの。つづいて、本人が望んだという、「入浴シーン」で、かづゑさんと熊谷監督の「覚悟」がこれ以上なく明瞭に映し出されます。
愛読者の目前で自分の著書に、ほとんど見えない目で、指を失った手で、サインをするシーン。
エッセイの長い一節を携帯電話に録音しながらいっきに口述するシーン。
あるいは数十年ぶりに帰郷し、母親の墓石をいつまでもいつまでも抱擁して離れないかづゑさんを長いワンカットで捉えたシーン。
ラスト近く、瀬戸内海と島を遠く眺めながら、「あの島は不思議な島、天国だし、地獄だし」と話す逆光の後ろ姿のショット。
一人の映画監督が、主人公の稀有な人生の時間を観客に伝えたいと願い、その力が主人公と見事に共鳴して生まれたショットが全編に刻み込まれた作品。是非多くの人に観られるべき映画だと思います。
●そのざき あきお(毎日新聞大阪開発エグゼクティブ・プロデューサー)
〇2024年3月2日(土)よりポレポレ東中野、ヒューマントラストシネマ有楽町にてロードショー 他全国順次公開
関西では、4月12日から京都シネマ、4月13日から大阪・第七藝術劇場、兵庫・元町映画館で上映
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