ホロコースト証言シリーズ映画『メンゲレと私』 監督トークイベント「歴史に学ぶことが今の我々にとって非常に重要だと思う」 文箭祥人(編集担当)

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映画『メンゲレと私』

わずか12歳で、アウシュヴィッツ強制収容所に連行されたダニエル・ハノッホ。“死の天使”の異名を持つヨーゼフ・メンゲレ医師の寵愛を受けた少年ダニエルは、人体実験、伝染病、カニバリズム、人類史の最暗部を目撃する。91歳のダニエルが語る、真の地獄とは。

製作はブラックボックス・フィルム&メディアプロダクション。オーストリアのウィーンを拠点に国際的に活動するドキュメンタリー映画の製作プロダクション。ホロコースト証言シリーズ『ゲッベルスと私』(2018年)、『ユダヤ人の私』(2021年)を製作。本作がシリーズ第3弾となる。

昨年12月6日、大阪・十三の第七藝術劇場で映画『メンゲレと私』の上映後、オーストリアから来日したクリスティアン・クレーネス監督とフロリアン・ヴァイゲンザマー監督が登壇、トークイベントが行われた。聞き手、通訳はドイツ現代政治・平和学が専門の元大阪大学教授の木戸衛一さん。その模様を報告します。

フロリアン・ヴァイゲンザマー監督(右)、クリスティアン・クレーネス監督(中央)、木戸衛一さん(左)
目次

研究が始まりつつある、強制収容所でのカニバリズム

木戸さん

「まず、私から3つ質問しようと思います。この映画でもっとも衝撃的で、新しい事実として描かれているのは、強制収容所におけるカニバリズムです。人肉を食べたということです。これまでに、この事実を聞いたことがあるという人がいるのか。これが最初の質問です」

監督

「人間が人間の肉を食べる、あってはならない想像を絶する世界です。タブーということがありますが、カニバリズムは自分が見た真実だとダニエルは証言しています。ダニエルが住んでいるイスラエルでも、カニバリズムはあり得ないテーマでした。けれども、ダニエルの証言を機に、実はもっとあるはずだ、他の強制収容所でもあったはずだということで、徐々に研究が始まりつつあります。人間が人間を虐待する、あるいは飢餓状況に追い込むと、どういう現実が生まれるのかを知る上でも研究を進めてほしいと思っています」

木戸さん

「2つ目の質問です。第2次世界大戦後、ダニエルは難民船に乗って、「約束の地」イスラエルに移住します。日本では、イスラエルという国はホロコーストの生き残りの人たちの国だという言説があります。けれども、これは神話なんです。第2次世界大戦が終わった後、イスラエルに移住した人たちは、けっこう冷遇されています。なぜかと言うと、ナチスの時代にドイツに住むユダヤ人に対しては、「ドイツから去れ」、「ヨーロッパから去れ」とたくさん警告が発せられました。戦後イスラエルでは、「何をぐずぐずしていたんだ」、「600万人が殺されるまでお前らは何をやっていたんだ」、そういう空気が強かったんです。2つ目の質問は、イスラエルに移住して落胆したのかどうか、戦後すぐのイスラエル社会はダニエルにどう映ったのかです」

監督

「ダニエルは小さい時から、パレスチナへのあこがれを持っていました。暖かくて、オレンジがたわわに実って、そういうイメージをずっと持っていました。ダニエルは他の人と違って、運がよかったと思います。というのも、イスラエルに移って難民収容所に収容されずに、ある家庭に迎えられました。その家庭の人たちは本当にダニエルに理解があって、ダニエルにとっては新しい家族をイスラエルで見出したということがあるわけです。イスラエルに移ってがっかりしたということは、ダニエルの場合はなかったということです」

監督

「ダニエルを含めイスラエルに移ったユダヤ人は、不法難民船で渡った不法移民です。当時のパレスチナはイギリスの保護領で、イギリス当局の本音はユダヤ人に来てほしくありませんでした。1948年にイスラエルという国家ができ、すぐに中東戦争が起こり、一般的には戦後すぐのイスラエルの歴史は容易ならざるものがあったといえると思います。ただし、ダニエルは運がよかったというのは当時、ダニエルは若かった、おおげさに言えば、人生を一からやり直せる、それだけのものの考え方というか、いろいろな意味での柔軟性を持っていたということがあると思います」

強制収容所解放後、多くの人たちが故郷に戻れずにイスラエルに移住した

監督は「忘れてはならない!」と強調して、こう話しを続ける。

「強制収容所から解放されても、ドイツであろうが、オーストリアであろうが、ポーランドであろうが、本当であれば、自分の故郷に戻っていいはずの人たちが結局は、どうして戻って来たんだ、そういう扱いを受けて、決して好んだわけでもないのにイスラエルに移住した人がたくさんいます」

ダニエルは1932年2月2日、リトアニアのカウナスで古くから続くユダヤ人一家の、3人の子どもの末っ子として生まれた。

木戸さん

「3番目の質問です。映画『メンゲレと私』は第2次世界大戦を子どもとして体験したユダヤ人の映画です。1990年代に、『ヨーロッパ・ヨーロッパ』というタイトルの映画が日本でも上映されました。ダニエルより7歳上のユダヤ人ザロモン・ペレルの自伝を映画化したものです。ザロモンはドイツ生まれ、ナチスの時代にやむなく家族とポーランドに移ります。ドイツ軍侵攻後ザロモンは民族ドイツ人だと偽り、ヒトラーユーゲント(ナチスの青少年団体)に加わります。そうしてユダヤ人であることを隠しながら生き延びます。ダニエルもザロモンも戦後、イスラエルで平和運動に携わります。ザロモンは今年、亡くなりました。二人に接点はあったのかどうか、これが3番目の質問です」

監督

「二人はともに、自由を愛し、平和を熱望したところでは共通点があります。ダニエルは強制収容所の苛酷な日常を生き延びたのに対して、サロモンはドイツのエリート学校に通ったりしました。あの時代を生き延びたといっても、別の道をたどったわけで、全く別々のドラマだと思います」

監督

「ダニエルは子どもでありながら、何をすべきか、どうしたらいいか、と考えざるを得ない事態に直面した時に、その事態を分析し、行動に移す、そういう順応性を発揮する場面が映画に出て来ます。サロモンも同じように、どうやったら自分が迫害を避けることが出来るか、非常に巧みに行動に移したと思います。子どもですから、政治的社会的背景をそれほど理解できないにしても、ある現実に直面して、どうしたらいいのかと洞察し、そして行動に移す、その子どもの凄さ、力は二人に共通していると思います」

日本政府は歴史問題に向き合うことをずっと拒んでいる

トークイベントは会場との質疑応答へ。

会場から

「吹田市から電動車椅子で来ました。障がい者です。ヒトラーがガスの実験室に最初に集めたのが障がい者でした。障がい者は生産性がないから劣っている、ユダヤ人は劣っている、このいわゆる優生思想がこの大きな戦争を生んだ要因だと思います。日本でも関東大震災で朝鮮人を虐殺しました。優生思想についてお聞かせください」

監督

「いきなりユダヤ人がガスで大量殺戮されたわけではありません。その前史があり、障がい者が殺されたり、しばしば死に至るような実験材料にもされました。ナチスはそれをどのように正当化したか。障がい者がいることでいかにコストになるのか、極論すれば、殺した方が安上がりであるということで殺戮を正当化しました。アーリア人の優生思想を考えれば、そもそもアーリア人が優秀だというのは、それ自体がでっち上げです」

監督

「日本について勉強しました。日本政府はかつての植民地支配や100年前の朝鮮人虐殺など、歴史の問題に向き合うことをずっと拒んでいると思います。いかがなものかと思います」

過去の清算が進まなかったオーストリア

会場から

「ダニエルさんはいつから自分の体験を話し始めたのですか」

監督

「ずっと話してきました。証言活動を続けて来ただけでなく、毎年オーストリアのかつての強制収容所で行われる解放何周年というセレモニーに出席してスピーチをする、そういうこともしてきました。様々な出来事を断片的に話すのではなく、自分の一生を通じての話をするわけです。オーストリアで話をするというのは、単に何周年という記念ということではなく、強制収容所から解放された後、自分たちがオーストリアにどういう扱いを受けたのか、という話もします。扱いは非常に冷たいわけです。オーストリアが過去の清算をするのに非常に時間がかかりました。1990年代ぐらいまで、ほとんど何も行われず、過去の清算の取り組みを行おうとすると、もういいじゃないかと封殺する動きがありました。これがオーストリアの政治社会の現実です。そういう意味でダニエルが強制収容所に来て、スピーチをしてくれるのは、すごく意味があると言えると思います」

モニターに登場したアンナさん(右)とゲイルさん(左)

ネットでイスラエルと会場がつながっていて、監督の後ろに置かれたモニターにダニエルの孫のアンナさんとゲイルさんが登場する。

会場からアンナさんに質問。

会場

「ダニエルさんの体調はいかがですか」

アンナさん

「きちんと食べていますし、寝ています。おばあさんがケアしていて、静かな暮らしをしています。ただ、すごく年をとっているので、おとなしく暮らしています。今の状況に関しては、とても悲しんでいます。もともとアクティブに活動していた人ですけれど、とても難しい状況に対して、難しく考えているではないでしょうか」

会場

「ダニエルさんがこれだけ語り続けるからには、いろいろな精神的な波があったんじゃないかなあと思います。家族としてどのように支えてきたのですか」

アンナさん

「そもそもおじいさんは話すのが大好きで、活発に会話をする人です。特に、ホロコーストに関しては、昔からずっと話をしていて、私たちも聞かされてきました。家族が何か特別な支援をすることはありません。むしろ、映画ができるというおじいさんの夢が叶って、家族として喜んでいます」

会場

「アンナさんはお友達とホロコーストについて話したことはありますか。あるのであれば、何か抵抗を感じることはありましたか」

アンナさん

「イスラエルには、ホロコーストを否定する人はいません。ホロコーストに関して話すことは難しいことではありません。むしろ、当たり前のことです。自分たちも含めて、生存者の方たちに敬意を持っています。友達ともホロコーストについてよく話をします。おじいさんも自分たちの学校に来て、自分自身の体験を話しました。ホロコーストの話をすることは自分も含めてですが、家族の仕事のような義務のようなものです」

イスラエル、ガザにおいて、大多数が平和的共存を望んでいるはず

会場

「今のイスラエルのガザ侵攻について、どう思っていますか」

アンナさん

「自分がきちんと答えられるか、わからないですし、そもそも答える資格があるのかわかりません。政治学者でもアカデミックな専門家でもありません。ただ、人として言えることは、とにかく今の状況はひどいです。一般市民として、ガザの人たちが苦しんでいる、私たちも苦しんでいる、みんな苦しんでいます。大切な人を失う悲しみ、安全に暮らせることがなくなる不安、ということを悲しく思っていますし、感じています」

会場

「イスラエルとハマスがこのような争いになったことで、映画公開に関して、何か影響を受けていますか」

監督

「変化したということはありません」

続けてこう話す。

「絶対的な正義とか、絶対的な間違いはないわけです。いわば、二つの真実の間をどうやって架橋するか、理性的に橋を架けるか、それが非常に重要だと思います。ところが、現実を見ると、どちらにおいても非常に過激な勢力が力を増しています。パレスチナのハマスもそうですけれど、イスラエル政府自体も非常に極右的です、そういう問題があります。実は、イスラエルにおいてもガザにおいても、大多数の人は平和的な共存を望んでいるはずです。なのに、そういう声を省みない勢力によって、こういう紛争が引き起こされているのが重大な問題だと思います」

大虐殺はなぜ起こるのか

会場

「大虐殺がなぜ起こるのか。恐怖や不安から来る自己防衛、自衛から来る意識が、大きな原因になっているんじゃないか、こういう論説が聞かれます。人間がこれほど残虐になるのは、自己防衛だけでは説明がつかない、何か大きなキーワードが足りないのではないかと思っています。私自身、考え続けていますが、監督は大虐殺が起こる原因についてどう考えていますか」

監督

「大量殺戮がなぜ起こるのか、不思議としか言いようがありません。ひょっとしたら、そもそも人間というのは平和的ではないのかもしれない、そういう思いにかられることがないわけではありません。確かに、自己防衛の意識だけで起こるのではないでしょう。権力の問題であるとか、金銭がからんでいたり、あるいは宗教、しかも宗教が政治の中で役割を果たす場合の問題もあると思います。というわけで、なぜ大量殺戮が起こるのか、今の私には何とも答えられません」

続けてこう話す。

「悪というのは、決して抽象的とか、特別なものということではなくて、ひょっとしたら我々の中にあるのかもしれません。例えば、ナチ独裁の歴史を見ても、それを実行した人間というのは普通の人だったわけです。だからこそ、歴史に学ぶ、過去を見つめる、ということが今の我々にとって非常に重要なことだと思います」

〇ぶんや よしと 1987年毎日放送入社、ラジオ局、コンプライアンス室に勤務。2021年早期定年退職。

●1月26日から全国ロードショー。関西では1月27日から、大阪・シアターセブン、神戸・元町映画館で上映。『メンゲレと私』の公式サイトは以下です。1945年1月27日、アウシュヴィッツ強制収容所は解放される。

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