観客自身の内面との対話を迫る、破格のドキュメンタリー映画―『ビヨンド・ユートピア 脱北』 園崎明夫

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北朝鮮から「脱北」する人々の「今」を迫真の記録映像で描く、驚異的なドキュメンタリー映画。祖国を脱出し、総移動距離12,000㎞に及ぶ、命懸けの危険な旅を続ける5人家族の逃避行の行程を中心に、国に残してきた息子との再会を切望する母親や、自由を求めて「脱北」する人々を支援する韓国の牧師らの姿が描かれます。

「よくこんな映像が撮れたな、凄いな」という驚きが、まずあります。国境地帯や険しい山岳地帯や河を越え、それでも自由を求めて「脱北」を敢行する家族には、80代の老婆や幼い二人の子供もいて、その行程を捉える、隠しカメラや携帯電話で撮影されたとおぼしき映像は圧倒的な力を持って観る者に迫り、心を捉えます。

ロ一家 夫婦、女児2人、80代の祖母の計5人。親戚が脱北した結果、当局よりマークされ身の危険を感じて脱北を決意した。
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韓国で脱北者を支援するキム・ソンウン牧師 © TGW7N, LLC 2023 All Rights Reserved

この映画を作る行為そのものが、撮影クルーや脱北家族自身に身の危険が及ばないのか、観客として気が気でないのも事実で、もし見つかれば、当然無事ではいられない。そこまでして命懸けの国外脱出を決行させる、暮らしの過酷さ、社会の不条理が映像から切実に伝わります。

また、祖国に息子を残して「脱北」してきた母親が、強制収容所に送られる息子の現実を知ることとなる、もうひとつの物語の悲痛さも例えようがない。そんな観客のきわめてリアルな「切実感」にこそ、現実の「脱北」行為そのものを映画作品にする、このプロジェクトの意味や価値があるのでしょう。

リ・ソヨン 脱北者・活動家  息子のチョンを脱北させようと奮闘する © TGW7N, LLC 2023 All Rights Reserved

このような映像制作を可能にしている基本的な要因は、言うまでもなくスマホなど最新デジタル機器を使う映像制作テクノロジーの進化であって、今、ウクライナやガザ地区の惨状が、その現場にいる人のスマホで撮影され、ネットやテレビニュースで瞬時に世界に発信される時代、かつては見ることの出来なかった、より臨場感のある生々しいリアルな映像に時々刻々アクセスが可能で、理論やイデオロギーではなく、感情や感性に直接作用する映像が日常に溢れている時代を私たちは生きています。映像制作者の側からいえば、テクノロジーの進化が作品意図をより具体的にダイレクトに表現することを可能にしたともいえるでしょう。それによって現代の「ドキュメンタリー映画」は、特定の社会問題や社会体制に対する、リアルな「告発」もしくは「闘争」としての意味合いがより強化される。そしてそうした作品こそが、現代の「すぐれたドキュメンタリー映画」の条件であると理解すべきなのかもしれません。

ただ、ひとつ気になることがあります。その「すぐれたドキュメンタリー映画」を観ることと、観ている私自身の思考や想像力のあり方はどんな関係にあるのでしょう。現代の世界情勢には、すべて今の現実をつくった「歴史」があります。もとより朝鮮半島情勢についても。日韓併合以来の朝鮮半島の歴史に、国が南北に分断され朝鮮戦争に至る歴史に、戦後の帰還運動の歴史に、私たちの国は大きく関わっているのですから。「今」を知ることの重要さと同時に、「脱北」という現実の背景にある「歴史」についての思考や想像力も欠かせないと、この作品を観て強く感じます。

朝鮮半島の歴史と今について、観るべき映像作品の傑作は他にも多く、この上なく感動的なヤン・ヨンヒ監督の『ディア・ピョンヤン』に始まる3本の傑作ドキュメンタリー映画や、数年前に在日コリアン4世の監督が北朝鮮の強制収容所の実態を描いた3Dアニメ『トゥルーノース』などの、見事な映像作品とともにご覧になることで、『ビヨンド・ユートピア 脱北』という衝撃的な作品は、より広い視野からの思考や想像力を刺激してくれるような気がします。

さらに『ビヨンド・ユートピア 脱北』という作品は、撮られた映像と客観的事実との相関関係や制作者と被写体との関係、「映画」として観客の感情に直接訴えかけてくる強度、観客の自我や思考力や想像力に映像はどのように影響するのか、そうした諸々の「ドキュメンタリー映画」をめぐる根本的な関心事に深く深く訴えてきます。そして作品を観たひとが、今の「世界」について自分の内面と深く対話できる稀有な「現代のドキュメンタリー映画」だと思います。

●そのざき あきお (毎日新聞大阪開発エグゼクティブ・プロデューサー)

〇『ビヨンド・ユートピア脱北』 2024年1月12日(金)より全国公開

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