東京大空襲体験者の証言を記録した映画『ペーパーシティ』上映会  未解決の空襲被害者の補償問題を考える  文箭祥人(編集担当)

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空襲被害者は1970年代、空襲被害に対する法律制定を求めて運動を始める。50年が経過、未だ法律は実現していない。

2月3日、衆議院第1議員会館で、全国空襲連主催の集会「映画で考える 空襲被害者の戦後~日本は被害者にどう向き合ってきたのか~」が行われた。オーストラリア人のエイドリアン・フランシス監督作品『ペーパーシティ 東京大空襲の記憶』を上映。その後、監督、全国空襲連のメンバーらが登壇。その模様を報告します。

映画『ペーパーシティ 東京大空襲の記憶』

1945年3月10日午前0時過ぎ、アメリカ軍の爆撃機が東京を襲撃し、木造の家屋や多くの紙材が密集していた街に火の粉を浴びせた。日の出までに10万人以上の死者を出し、東京の4分の1が焼失した史上最大の空襲だった。この凄まじい記憶が今もなお生存者の脳裏に焼きついている。戦争や空襲の記憶が失われつつある今、未曾有の悲劇の体験を後世に残そうとする3人の生存者に肉薄する。本作は東京を拠点にするオーストラリア人映画監督エイドリアン・フランシスの長編ドキュメンタリー・デビュー作。この悲劇で私たちは何を記憶し、なぜ忘れようとしているのか。戦争の影がしのび込んでくる今、生存者の体験と未来への思いを見つめる。

全国空襲被害者連絡協議会(略称:全国空襲連)

戦後、空襲被害者は国家から見放され、死者の追悼碑も資料館もなく、障害者や孤児になった人々は地を這うような苦労を重ねてきたが、全く何らの補償も受けていない。他方、軍人・軍属には60兆円以上の手厚い援助を行っている。この差別は戦争被災者への人権侵害である。全国空襲連は、空襲被害者の人間回復ための「差別なき戦後補償」を求めて、立法化運動を進めている。 

目次

なぜ、オーストラリア人監督が東京大空襲ドキュメンタリー映画を制作したのか

上映後のトークの冒頭、エイドリアン監督はこう応える。

「日本とオーストラリアは第2次世界大戦当時、敵対国でした。私は多くの同世代のオーストラリア人と同様、日本軍によって連合国の民間人や捕虜が受けた残酷な体験を聞きながら育ちました。一方、広島や長崎の原爆投下を除いて、日本の民間人がどのような戦争を体験したのか、何も教えられませんでした。東京で数年間暮らした後でも、焼夷弾攻撃について何も知りませんでした」

「そうした時、アメリカの映画監督エロール・モリスの『フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白』というドキュメンタリー映画を観ました。この映画に、アメリカ軍の攻撃を受けた東京と66の都市の映像がありました。東京は一夜にして、10万人が亡くなり、都市の4分の1が破壊されたのです。これは想像を絶するものでした」

東京を拠点にする監督。疑問をもったという。

「東京に痕跡はないのだろうか、どこに記念碑があるのだろうか。この疑問はとても奇妙でした。広島や長崎の人々は原爆投下を、ニューヨーカーは911のテロ攻撃を記憶しています。記憶によって、広島や長崎、ニューヨークの人々のアイデンティティーの一部が形成されると思います」

エイドリアン・フランシス監督

そして、監督は東京大空襲の被害者と出会う。

「生き残った人たちのことが気になり始めました。彼らは話したがらないのだろうか、むしろ、忘れたがっているのだろうか。ところが、私が東京大空襲の体験者、清岡美知子さん、星野弘さん、築山実さんとお会いした時、私の思い違いだったことに気付きました」

「まず、私が驚いたのは、いかに彼らが体験を語りたがっていることでした。映画に清岡さんと私が名刺交換をする場面がありますが、それは出会って数分後のことでした。清岡さんはすぐに、私を家に、清岡さんの人生に迎い入れてくれたのです」

空襲の体験を語らなければ、なかったことにされる

「当初、この映画は被害者の記憶を描いた、単なる過去の映像だと考えていました。しかし、被害者のみなさんと接触するうち、彼らは、後世に戦争の真実を伝えるために自分たちの体験を残そうと活動する<記憶の活動家>だと気付きました。彼らが一番心配していたのは、自分たちが語り継がなければ、あたかも空爆がなかったことにされてしまうのではないかという恐れだったと思います。だから、彼らの<記憶の活動>を映画に入れなければと思いました」

どうして、映画のタイトルを『ペーパーシティ』としたのか。

「映画『ペーパーシティ』は、空爆という大量殺りくによって民間人が抹消されたことだけではなく、戦後、彼らが歴史から抹消された話でもあるのです。敵であったアメリカ軍の手によって、それから、自分たちの政府の手によって抹消されました。私が『ペーパーシティ』というタイトルを選んだのは、空爆時、東京のほとんどの家が紙と木でできていたからです。アメリカ軍は焼夷弾攻撃を開発し、東京の家々をもっとも効率的に焼き尽くしたのです。紙はまた、記憶の記録の手段です。私が出会った被害者たちは、地図や証言、名前が書かれた巻物、絵画、写真など、紙を使って、自分たちの体験を記録し発信してきました。しかし、紙は記録を保存するには、もろい手段です。朽ち果てたり、燃えたりすることがあります。そのため、被害者たちは、何か確かなもの、例えば平和博物館、追悼碑、謝罪の言葉などを残そうとしたのです」

『ペーパーシティ』は、チェコの作家ミラン・クンデラの言葉から始まる。

<権力に対する人間の闘いは、忘却に対する記憶の闘いである>

「私が20代前半の頃、この言葉を読んだ時、深い感銘を受けました。しかし、この言葉の意味を理解したのは、『ペーパーシティ』の制作にとりかかってからです」

「『ペーパーシティ』の中で、星野さんが、アレッポの空爆で救出された5歳のシリア人少年のオムラン君の写真を手にする場面があります。オムラン君はもう13歳になっているはずです。でも、まだあの日の記憶に囚われています。そして、もし彼が長生きすれば、老後までその記憶を持ち続けるでしょう。ウクライナの被害者もトラウマを抱え込むことでしょう。被害者は決して、忘れないでしょう。たとえ、私たちが忘れたとしても」

「現在に目を向けると、すでに私たちは、ロシアや中国との新たな戦争を支持するよう仕向けられているような気がします」

海外からの疑問 <なぜ、日本政府は自国の戦争被害者に対して何もしないのか>

映画に登場する被害者は長年、民間人の空襲被害者に対する立法化を求めてきた。

「戦争について、国家対国家、善対悪、我々対彼らというように考える時、いかにその戦争観が限定的であるかとよく考えてみました。この映画は、日本の民間人の視点から物語を語っていますが、決して、日本の軍国主義を擁護するものではありません。加害国側であれ被害国側であれ、戦争の矢面に立つのは基本的に民間人です。ここで私たちが学べることは、政府や軍が、国民の犠牲の上に意思決定を行い、望まない戦争に我々を引きずり込もうとすることです。そして戦後。被害者が「政府は自分たちが死ぬのを待っているようだ」と言うのを聞いたことがあります。これは真実ではないかとすら思えます。被害者は平和博物館や記念碑、補償、謝罪の言葉を求めています。彼らの要求の本当に意図することは何なのでしょうか。それは、日本政府が自国民に強いた戦争に責任を持つよう求めていることです」

「戦争中、日本人は毎晩、「今夜は自分が爆撃される番かもしれない」と恐ろしい思いを抱きながら眠りにつきました。66の都市が空爆を受けましたが、それでも戦争は続きました。そして、戦争が終わると、政府は国民に対して、失われた生活を自分たちで再建するよう放置しました。一方、軍人やその家族らには手厚い支援を行いました。これまでにその額は60兆円になっています」

「『ペーパーシティ』は、オーストラリア、日本、アメリカ、ドイツ、ルーマニア、ナイジェリアの映画祭で上映されました。そして海外の多くの観客が理解できないのは、<なぜ、日本政府が自国の戦争被害者に対して何もしないのか>ということです。昨年、ドイツの映画祭で、この映画を上映した後、観客との質疑応答で、日本政府の戦後対応について数多くの質問が上がりました」

監督は、この映画は「未来についての映画」だという。

「今後数年間、日本では憲法第9条をめぐる議論が激化することでしょう。日本はどのような国になりたいのか、を決めることになります。戦争についてほとんど知らない一般の人たちは、政治家やメディアの議論に振り回されることになるでしょう。そして、恐らく日本は他国の基準に合わせて、海外で戦える軍隊を持つことになるでしょう。しかし、これが間違った方向であればどうでしょうか」

「まもなく、空襲の生々しい記憶を持つ最後の生存者がいなくなります。戦争との直接的なつながりは断ち切られます。しかし、彼らは私たちに豊かな物語という遺産を残してくれています。私たちは、彼らの物語に耳を傾け、過去から学びますか、それとも、忘れますか」

10万人が亡くなった東京大空襲、被害者の証言「鰯が焼けるような臭いがした」

続いて、全国空襲連運営委員長の黒岩哲彦弁護士が登壇。映画『ペーパーシティ』の感想をこう話す。

「3人の主人公のうち、私が直接、存じ上げているのは星野弘さんと清岡美知子さんです。星野さんは社会運動に一生懸命取り組んできましたが、定年できっぱりとそれらを辞めて、定年後は民間人空襲被害者の補償運動にかけました。私自身、星野さんからお誘いを受けて、この運動に参加しました。東京大空襲は星野さんが少年だった時です。「川に浮かんだ遺体を収容しました。強烈に印象に残っています」と何度も何度も聞きました。星野さんにとって非常にショックなことだったと思います。清岡さんは2008年、東京地裁で東京大空襲被害者として隅田川の言問橋の惨状を証言しました。この時、清岡さんは「音は覚えていません。しかし、臭いをすごく覚えています。鰯を焼いたような匂いでした。それは人間が焼ける匂いでした。鰯が焼ける臭いをかぐと隅田川に入っていた時のことを思い出し、今でも焼き魚は食べられません」と証言しました。子ども時代の戦争体験は心を深く傷つけると、ウクライナの戦争を見て、改めて実感しています」

そして、黒岩さんは日本の空襲被害の問題を解説。

「東京大空襲を実行した側がどんなことを言っているか。ここに本があります。東京大空襲を指揮したカーチス・ルメイが書いた『超・空の要塞:Bー29』です。7600メートルぐらいだったB29の高度を、東京大空襲があった日から、2000メートル前後に切り替えて、爆撃したと自慢しています。どうして低高度にしたか。一つは、乗員の技術が未熟だったこと。もう一つは日本の上空が悪天候であること。そして、低高度であれば、たくさんの爆弾が積めることができる。低高度を決めたのは自分だと言っています。彼らはアメリカの砂漠で実験を行いました。アメリカ・ユタ州の実験場に、日本の都市と同じ街をつくり、どういうふうに燃えるか、実験して、東京大空襲を実行しました。非常に残虐な方法だったということをルメイは自慢げにあけすけに語っています」

国民の対して、空襲から逃げることを禁じた防空法

空襲時、法律によって、国民は空襲から逃げることを禁じられていた。黒岩さんの解説が続く。

「日本の国民は、防空法という法律によって、空襲から逃げてはいけなかったのです。政府は国民が空襲から逃げたら処罰しました。今、私たちの要求を否定している人たちは、「民間人は国と雇用関係がなかった」と言います。実は、国が作成した本の中に、「防空というのは、国民全体が国に対する義務であった」とはっきり書かれています。国民に義務を課した防空法があった中で、国民は被害に遭ったのです。最近、こういう巨大なポスターを入手しました。主婦の友という雑誌の付録だと思いますが、こう書かれています。<持ち場を守れ 防空早わかり>。政府は、国民に対して、空襲から逃げたらダメだ、現場に居ろ、と強要しました。ポスターを使って、防空法の宣伝がなされたのです。これは非常に大事なことだと思います」

黒岩哲彦弁護士

日本は空襲被害者にどう向き合ってきたのか

戦後の日本政府の対応について。

「民間人に対して政府は、戦後補償はしないという考えですが、その理由の一つは、<時間が経ったからおしまい。空襲は78年前のことじゃないか、今さら昔のことをぶり返すな!>という意見があります。こんな意見は通じないと思います。先月、優生保護法の問題について熊本地裁の判決がありました。除斥期間といって、時間が経ったから自動的に権利が消えるという条文が民法にあります。熊本地裁は、除斥期間は不正義だということで、優生保護法の被害者救済について、除斥期間の適用を拒否しました。これが、正義だと思います。私たちの要求においても、時間が経ったという理由は通らない、と訴えたいと思います」

「私たちは戦後補償について、ドイツやイタリア、それからアメリカやイギリスの諸外国と比較してきました。まず、ドイツとイタリア。ともに第2次世界大戦の敗戦国です。両国は民間人に対して、極めて手厚い補償を行っています。ドイツやイタリアの考えは、ナチス・ドイツやムッソリーニの誤った政権が、誤った戦争をした、悪の戦争をした、国家が誤った戦争をしたのだから、国家がきちんと賠償しましょうというものです。<国家賠償>という考えです。アメリカやイギリスは、第2次世界大戦は正しい戦争だった、正義の戦争だった、正義の戦争の犠牲になったのだから、それを補償しましょう、<損失補償>という考えをとっています。では日本はどうか。国際政治や国内政治の中で、日本はずっと曖昧にしてきました。国、特に厚労省がずっと言っているのは、「社会保障で対応します」。具体的には、生活保護制度などを利用してください、ということです。社会保障は、原因を問わない。今、困っているから助けましょう、という仕組みです。<社会保障論>は、空襲の現実を見ない、こういう理屈を立てています」

最後に黒岩さんは、今後の課題や運動についてこう話す。

「<社会保障論>をどうやって打ち破るか、これが私たちの大きな課題だと思います。今、私が主張しているのは、空襲の被害者が80年近く補償されていないのは、<特別の犠牲>だ、<特別の犠牲>について、きちんと補償しなさい、こういう主張をしているところです」

「これまで述べたように、政府は一貫して救済をしていません。一方、国会はまともな審議も行わず、廃案を繰り返しました。裁判所は、空襲被害の事実は認定しましたが、国会がきちんとやりなさい、という立法裁量論で逃げました。結局、行政、立法、司法すべてが無責任だと強く実感しています。国会は国権の最高機関です。内閣には予算の編成権があります。政治がきちんと責任をとって解決しろ、と国会議員、そして岸田首相に対して強く求めていきたいと思っています。今の通常国会で解決するようがんばります」

その後、エイドリアン監督と黒岩さんの対談へ。司会の全国空襲連の福島宏希さんが二人に再度、「ドイツとイタリアは国家賠償、アメリカとイギリスは損失補償、日本は社会保障。この違いはどうして生まれたのか」と聞く。

エイドリアン監督

「この問題の専門ではありませんが、一つには、日本はハイコンテクスト・カルチャー、つまり多くを語らないで、その場の雰囲気を読んで同じ文化を共有して、くどくど話さなくても互いに分かり合えるという文化に属しているのではないかと思います。一方、西欧人はローコンテクスト・カルチャー、さまざまな人種が混ざり合って生きているので、たくさん話さないと分かり合えません。だから、日本においては、戦争についてもあまり多くを語らない、こういうことがベースにあるのではないかと思います。それから、日本は、過去は過去、起こったことは起こったこと、と処理しているのでないかと思います」

黒岩さん

「なぜ、日本は<社会保障論>をとるのか。日本政府は、第2次世界大戦の時の日本の戦争を悪だとは言いにくい、しかし、アメリカとの関係で正しい戦争だったとも言いにくい。こうして戦争の評価をあいまいにしたいために、<社会保障論>をとったのだと思います。しかし、すでに戦後80年近く経っているので、この問題について、きちんと決着をつけるべきだと思います。担当省庁を<社会保障論>の厚労省にすることは理念的に間違っていて、総務省に変える方が正しいのではないか、この議論をしているところです」

今後の展望について二人が話す。

エイドリアン監督

「この映画の鑑賞者を、アメリカ人と日本人の2つに大きく分けられると思います。アメリカ人は、第2次世界大戦は正しい戦争だったととらえて、その結果、市民の犠牲を考えていない人が多いと思います。市民側の視線から戦争を考えるきっかけになればと思います。日本側ですが、若い世代は空爆があったことを知らない人が多いと思います。だから、<忘れるということは何だろう>、<社会とは何だろう>、<教わったこと、教わらなかったことは何だろう>ということを考えるきっかけになってくれればと思います。それから、プーチンが市民に対して無差別攻撃を行っていますが、これは何を意味するのか、考えるきっかけになればと思います」

黒岩さんは、ロシアのウクライナ侵攻開始直後に行われた空襲議連の総会での自民党議員の言葉を紹介し、展望を話す。空襲議連は空襲被害者に対する法律制定に取り組む超党派の議員連盟。

「昨年3月の議連の総会で、自民党の参議院議員で議連の副会長がこう述べました。

<今のタイミングこそ、解決のために全面的に結集するべきだ。非武装の国民を守れなかったことをきちんと謝罪する時期に来ている。戦争はいけない、無差別爆撃はいけない、というメッセージを出すためにも、今の法案を通すべきだ>

私はこの発言に勇気付けられました。こういう意見を国会の中で、与党の議員に十分広げていくことができると確信しました」

政治決断を求めると黒岩さんはこう話す。

「予算権限、担当省庁を決める権限を、結局は内閣総理大臣が持っています。岸田首相にきちんと政治決断をするよう求めたいと思います。首相官邸前で宣伝行動をしました。岸田首相に決断を求めるためです。与党議員と同時に、政府に対して働き掛けを強めていきたいと思います」

「今年5月、広島でサミットがあります。これをきっかけに、未解決の戦後補償問題である、被爆者問題、シベリア抑留者問題、韓国人BC級戦犯者問題などに取り組んでいる人たちと共同して、世界に訴える取り組みができないか検討していきたいと思っています」

戦後の後始末がなされていない日本

トークは新たに二人が登壇。東京大空襲・戦災資料センターの吉田裕さん。吉田さんは、近現代史が専門、一橋大学名誉教授。そして、核の問題に取り組んでいる慶応大学生の高橋悠太さん。二人が<空襲被害者の戦後>を違った視点から話す。

吉田裕さん

吉田さんが、映画を観た上で、3つの問題を指摘する。

「一つ目。今年は1945年の敗戦の年から78年です。1945年の78年前は江戸時代です。どういうことか。明治維新から日本が近代国家の建設を始め戦争に打って出て敗戦に終わった、その歴史の長さより、戦後史の方がこれから長くなります。戦争の歴史そのものの実態を明らかにするだけでなく、戦後の日本社会がこの戦争にどう向き合ってきたか、を問わないといけない。映画『ペーパーシティ』はまさに、戦後を問う映画です」

「二つ目。軍民格差です。軍人軍属は、軍人恩給や遺族年金があります。軍人の遺族は軍歴証明を要求できます。例えば、孫が祖父の軍歴証明を取り寄せて、自分のおじいさんの戦争体験を調べみるため、軍歴証明の請求が行われるようになっています。空襲被害はどうか。軍歴証明に当たるものが全くありません。町内会で調べているわけです。ただし、軍人軍属側に十分な補償がなされているかと言えば、経済的な面はされていますが、遺骨がどうなっているかという問題があります。230万人が亡くなり、そのうち遺骨が収容できたのは128万人です。まだ半分ほどです。半分近くの遺骨がまだ、遺棄されています。つまり、戦争の後始末が出来ていません。軍歴証明にしても、元になる兵籍簿を焼いた場合が多く、データがない軍人がいます。こう考えると全体として、戦争の後始末が、この国ではきちんとなされていないことがわかります。大きな問題です」

「三つ目です。日本軍はニューギニアその他で、オーストラリア軍と激しい戦闘を交えました。オーストラリア北部の港湾都市は日本軍の空襲を体験しました。何よりも捕虜となったオーストラリア兵士に対する虐待、これは過酷だったことが知られています。このことを日本社会はほとんど知りません。十数年前だったか、オーストラリア外務省が日本政府に対して、「日本の教科書には、日本とオーストラリアが戦争をしたことが書かれていない。改善してほしい」と申し入れをしました。しかし、今でもほとんどの日本の教科書は、オーストラリアと日本の戦争に関して触れていません。日本の研究者として複雑な思いがありますが、改めて、きちんと日本人として学ぶ、教科書に書く、こういうことが求められていると思います」

空襲被害者を援助することが戦争禁止につながる

高橋さんは、核軍縮のロビーイングや政策提言を10年、国内外で続けている。

高橋悠太さん

「昨年6月、ウィーンで行われた国際会議に参加しました。最大の論点は、<核の被害者をどう援助するか>という問題です」

「2017年、核兵器禁止条約ができました。この時、<核兵器は何をもたらすか>という議論から始めなければいけない、となりました。多くの政治家、核のボタンを握っている人たちが、<核兵器は何をもたらすか>を知らないからです。具体的に洗い出しました。どれだけの人が犠牲になるのか、どれだけのお金が必要なのか、解決にどれだけの時間がかかるのか、医者、科学者、当事者らいろいろな人たちから具体的なことがたくさん、出て来ました。結果として、国際的に被害者を援助する支援がないからつくりましょうとなりました。そして、そもそも、<核兵器は何をもたらすか>を洗い出したことが、<核使用を抑止する力になるのではないか>につながったわけです。核の被害者の援助が、広く核兵器を廃絶することにつながってくるのです。空襲被害者を援助することが、戦争を禁止するために国内外でどう連携するのか、ということにつながってくるわけです」

今後、鍵になるのは何か、こう話す。

「最後に、ミクロな視点を話します。核兵器禁止条約ができた時、一番大きな力になったのは、マーシャル諸島の人たちや2000回以上繰り返された核実験に対して十分に声を上げられなかった人たちが声を上げたことです。彼らは「核が使われたら、もう生きることができません」と訴えました。これは日本の政治と違います。日本の場合、広島や長崎の原爆投下があったから、核を使ってはいけないと、過去から現在に対して語ります。一方、彼らの言い方は逆で、未来から現在を語ります。過去から現在、未来から現在、この両方が、世界には、政策をつくるには、法律をつくるには、必要です。このように考えると、それぞれの国や地域の人たちが何と言ってきたのか、狭い日本ではジェンダーの違いがあるでしょう、所属地域による違いがあるでしょう、年代による違いもあるでしょう、これらのミクロな視点をどう取りこぼさずに、包含しながら、一つの運動にしていくか、これが今後鍵になるのではないかと思います」

〇ドキュメンタリー映画「ペーパーシティ」公式サイト

https://papercityfilm.com/jp/?lang=ja

上映情報 シアター・イメージフォーラム(東京)2月25日から

     第七藝術劇場(大阪)3月11日から

     上田映画劇(長野)4月1日から

●全国空襲連サイト

https://www.zenkokukushuren.org/

〇ぶんや・よしと  1987年MBS入社。2021年2月早期退職。 ラジオ報道部、コンプライアンス室などに在籍。

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