1月7日、大阪・十三の第七芸術劇場でドキュメンタリー映画『チョコレートな人々』上映後、トークイベントが行われた。その模様を報告します。
「チョコレートは、失敗しても温めればやり直せる」
映画で、このナレーションが何度も繰り返し流れる。ナレーションは俳優・宮本信子さん。
チラシに映画の紹介がこう書かれている。
「愛知県豊橋市の街角にある「久遠チョコレート」。世界各地のカカオと、生産者の顔が見えるこだわりのフレーバー。品のよい甘さと彩り豊かなデザインで、たちまち多くのファンができました。その人気は日本中に広がり、いまではショップやラボなど全国に52の拠点を持ち、華やかなデパートのイベントの常連となっています。
「久遠チョコレート」は、ほかのブランドとは一味違っています。代表の夏目浩次さんたちスタッフは、かれらが作るチョコレートのように、考え方がユニークでカラフル。心や体に障がいがある人、シングルペアレントや不登校経験者、セクシャルマイノリティなど多様な人たちが働きやすく、しっかり稼ぐことができる職場づくりを続けてきました。
はじまりは2003年、26歳の夏目さんが3人のスタッフとはじめた小さなパン屋さん。その後、いくつもの事業を展開してきた夏目さんですが、トップショコラティエの野口和男さんとの出会いが大きな転機になります。「チョコレートは失敗しても温めれば、作り直しことができる」。しかもチョコレートはアイデア次第で付加価値が高まる魔法の食材。多様な人々を受け入れる夢の扉が見えました。こうして、新しくて優しいチョコレートブランドの凸凹な物語がはじまりました」
『人生フルーツ』の東海テレビドキュメンタリー劇場最新作で第14弾。2021年、日本民間放送連盟賞テレビ部門グランプリ受賞作が映画化。監督は鈴木祐司、プロデューサー阿武野勝彦。
トークイベントに監督の鈴木祐司さん、プロデューサーの阿武野勝彦さん、そして、「久遠チョコレート」の夏目浩次さんの3人が登壇した。
「チョコレートな人々」 取材は20年前に始まる
鈴木監督と夏目さんの出会いのエピソードからトークイベントが始める。
鈴木監督
「夏目さんと知り合って20年になります。テレビ局に入社して記者になった25歳の時でした。愛知県豊橋市の商店街に取材に行きまして、夏目さんはこの商店街の空き店舗でパン屋さんをつくる準備をしていました。夏目さんに話しかけ、この時夏目さんはこう話しました。
<障がいがある人もない人もみんな同じ、みんなで話し合って決めて、みんなでパン屋をつくる、そしてみんなで稼ぐ。こういうことを誰もしないから、自分がモデルになって、社会に見てもらいたい>
すごいことを言うなぁと思いました。これがスタートです。それからも、たまに顔を出して、撮影させてもらったりしました。それがずっと続いて今に至っています」
映画化の経緯を鈴木監督が振り返る。
「夏目さんは今、チョコレートのお店をどんどん増やしていますが、その前はパン屋であったり、印刷業であったり、清掃業、クリーニング、飲食店といろいろな事業をやってきて、その都度、テレビニュースの企画として、放送してきました。チョコレートのお店を始めて、急激に従業員が増えて、全国にお店ができて、とうとう夏目さんが当初、思っていたことがようやく、花開き出したなぁと。それで、夏目さんを撮影したこれまでの映像をまとめたいなぁと思っていた時、プロデューサーの阿武野さんから声を掛けていただいて、今回の映画となりました」
阿武野プロデューサー
「きれいな話ししますね(会場、笑い)。鈴木監督のことを僕は祐ちゃんと呼んでいます。祐ちゃんが入社した時からの知り合いで、祐ちゃんはあまり器用ではないんですよ。それでも一途な人で、取材も一生懸命やります。いくつかのドキュメンタリーを一緒につくり、その後、東海テレビの岐阜支局の記者になり、それから本社に戻ってニュースの統括するニュースデスクになります。だけで、なんか暗くて、生き生きしていなかった。そんな折、祐ちゃんに人事異動の話が出てきて、朝のワイド番組のプロデューサーをやれということになりかかったんです。適材適所があるし、人には向き不向きがあるし、祐ちゃんのことを知って、こういう人事異動をやろうとするのかと、怒りが沸いてきました。東海テレビは、ドキュメンタリーをつくり始まると人事異動を免れるということがあるので、これを上手にというか、悪用というか、使おうと考えました。そして、祐ちゃんに「何かやりたいことある?」と聞くと、「夏目さんの映像をまとめたいです」と返事がありました。それで人事異動が免れ、ドキュメンタリー番組の制作、そして映画化へと進みました」
夏目さん
「鈴木さんは、本当に不器用なんですけど、20年間、こつこつ来てくれました。さきほど、鈴木さんは「たまに顔を出して」と言っていましたが、鈴木さんは休みの時は必ず、ハンディカメラを持って、僕たちに、自然体で空気のように寄り添って撮影をしていました。来れない時も、「どうですか?」「今、何をしているんですか?」と電話がかかってきました。不器用ですから、質問は20年間、変わらないんです(会場、笑い)。質問は進化せず、同じ質問をして、だからこの映画が出来たんだなぁと思います。撮影される僕は、鈴木さんに「カッコよくしないでください、僕はありのままを出します、恥ずかしいことも出します、もがいている姿をみんなにみてもらいたい」、こう言いました。鈴木さんだから出来たと思います」
鈴木監督
「取材を始めた時、障がいがあるというと、1か月働いても数千円という給料だったり、就職先が見つからなくて福祉施設に行くとか、ずっと家の中にいる人もいました。これはおかしいと思いました。自分が障がい者の立場になったらどう思うだろう、と考えました。僕であれば、何かにチャレンジしたいし、ほしいものがあれば買えるようにがんばりたい。数千円の給料だとか、就職先が見つからないとか、家の中にずっといるとか、とてもいやだと思いました。夏目さんは、こうした状況を変えようとしています。僕ができることは映像で伝えることしかありません。なにかあれば、テレビに映像を出してやろうと思って、ずっと撮り続けました」
阿武野プロデューサー
「人を見ずに人事異動させようと考えた会社になぜか、感謝しますね。人事異動の話がなければ、私の中に怒りが浮かばずに、祐ちゃんに「何かやりたいことある?」と聞くことはなかったんです。人事異動という理不尽を受け取る側がそれを別の形に変えた、だから番組になり、映画になった、幸せな結末があるんだなぁと思いました」
休日を使って夏目さんを撮り続けた鈴木監督。阿武野プロデューサーは『チョコレートな人々』の編集マン、奥田繁さんの話を始める。
「彼は、ただ単に将棋好きな編集マンなんですけど、奥田編集マンがあるところに将棋を指しに行って、そこには、すごい子がいると思い始めます。藤井聡太さんです。後に将棋のプロになり、五冠に輝きます。奥田編集マンはまだ少年だった藤井聡太君を追い始めます。そして、2017年に「藤井聡太14歳」という番組をつくりました。そして、今年1月2日に、「藤井聡20歳」をつくりました。こうみると、余白みたいなものが残っている会社だなぁと思って、もっと余白を、もっと余白を、とやっていくのが大事かなぁと思っています」
<どんよりした曇り空の下>より<スカッと晴れた空の下>で働きたい
司会者から夏目さんに「原動力は何ですか?」と質問があった。
夏目さん
「これまで映画の取材で何人かの記者さんに同じ質問を受けました。とても苦手な質問です。これです!というカッコいい答はありません。僕も一人の人間なんで、起きたくない朝もたくさんありました。表面的なことだけをみていろいろ言われたり、批判や意見もいろいろ受けました。心が強いわけではないので、辞めたいと思う時もあります。こういう時、最後の最後に思うようにしていることがあります。
<どんよりした曇り空の下で仕事をしたいのか、それとも、スカッと晴れた空の下で仕事をしたのか、どっちがいいのか>
スカッと透き通った社会がいいなぁ。だれかだけが下を向くんじゃなくて、みんなが胸を張って、スカッとした社会がいいなぁ。そんな社会で自分の子どもたちや孫たち、その次の世代が、スカッとした空の社会の下で暮らしていってほしいと思います。小難しい社会ではなく、スッキリ、シンプルで凸凹があったって、みんなが優しく、認め合って、そういう社会がいいなぁと思います」
20年前の一言が、自分を大きく変えてくれた
トークイベントの後半は会場との質疑応答に。
会場から、一人の女性がこう質問する。
「39歳の娘が知的障がい者です。いろいろな苦労がありました。『チョコレートな人々』に出てくる障がい者のおかあさんたちの言葉が心に刺さりました。夏目さんが、「もう少し成長してください」と言われるシーンがあります。この言葉を受けてから変化したことはありますか」
『チョコレートな人々』に描かれたこの場面。
「授産所で黙々と作業に取り組んでいる堀部美香さん。17年前、彼女は夏目さんのパン屋の看板娘だった。トラブルがあると自分を傷つけてしまうプラダー・ウィリー症候群を抱え、作業が遅れる度に仲間といさかいになった。「頑張れば障がいは乗り越えられる」と信じていた夏目さん。できていないことはきちんと伝えてきた。「就職して仕事に挑戦したいという言葉は重たい。だからこそ、人より何倍も苦労もいる」と話す夏目さんに、美香さんの母・カツ子さんはこう言った。「もう少し成長してください」。美香さんは涙を拭いながら、カツ子さんと商店街を去って行った」
夏目さん
「美香さんと美香さんのおかあさん、カツ子さんのことは、ずっと申し訳なかったという思いがあって、でもこれで仕方がなかったと自分で無理矢理ふたをしていたところもありました。今回の映画の機会をいただいて、パッとふたが開いた感じなんです。あのとき、自分自身と自分の事業に力がなかったんで、美香さんに寄り添えきれなくて、ああいう結果になりました。それから変わったというのは、「一人一人の時間軸を大事にしながら、一人一人の時間軸に寄り添っていきながら、それでもどうやってやっていくかを一緒にもがいていきます」と宣言しました。飾ったわけでもなく、本心です。美香さんのおかあさん、カツ子さんの一言だったり、あの体験があって、そして、自分自身が折れずにやってきて、力をつけることができました。あの言葉が、自分を大きく変えてくれた、20年前の出来事だと思います」
働くことの尊厳を守るための戦い
一人の男性が手をあげる。
「少し前に難病が発覚しました。今、休職するとか、仕事がままならない。次の連休明けに入院することになりましたが、退院してから仕事をどうしようかという状況です。私に限らず、困っている人は多くいると思います。みなさんからなにか、励ましの言葉がほしいのですが…」
鈴木監督
「僕は、自分だけがうれしくても、うれしくありません。障がいがあっても、できるだけ困らないとか、安心して暮らしていけるとか、働きたい時に働ける仕組みだとか、そういうものをどうしていけばよいのか。だれでも年をとりますし、けがもします。一人だけが困ってしまうのではなく、メディアが伝えることも重要だし、行政が考えることも必要です。それぞれが手を差し伸べて、助け合ったら、みんなが安心だし、助かるし、そういう社会になってほしいと思っています。そのために夏目さんを紹介したいと思っています」
阿武野プロデューサー
「『チョコレートな人々』のパンフレットに、作家の重松清さんが文章を寄せてくれています。そのなかにこういう文章があります。
<夏目さんの奮闘は、障がいを持つ人たちやさまざまなマイノリティの居場所をつくるだけではなく、彼らが働くことの尊厳を守るための戦いでもあるのだ>
<働くことの尊厳を守るための戦い>という言葉が、僕の中でずっとエコーしているというか、消えないままずっとあります。
重松さんは文章の最後の方にこう書いています。
<「生産性」だの「タイムパフォーマンス」だの「時短」だのと、嫌な言葉が幅を利かせるご時世に『チョコレートな人々』を送り出した東海テレビだもの、期待してしまうじゃないか>
重松さんが何を期待しているのかというと。
<「働くこと」も東海テレビのドキュメンタリーのDNAになるといいな>
今の世の中で、「働くこと」って、何だろう、ドキュメンタリーで深めてみろよ、という示唆を重松さんからもらったと思っています。
重松さんはこうも書いています。
<第1弾の『平成ジレンマ』の公開は2011年だから、11年で14作、すごいな、ほんとうに。まずは、「つくりつづけた」ことそのものに、大きな拍手を贈りたい。だが、それ以上に僕が感嘆するのは、「つくりつづけた」おかげで、過去作の評価がどんどん更新され、個々の作品の味わい方がさまざまに変化していくことである>
僕は、この仕事で突っ切るしかないなぁと、それが自分の社会活動の一つなんだと思います。
知らないうちにこんなふうになってしまった社会を、もう一度、見直していくための材料として、ドキュメンタリーを一本一本、丁寧につくっていきたい、そして、みなさんの前に出したいなぁと思います」
夏目さん
「僕は必ず、やります。誰かだけが、下を向く社会なんて、ナンセンスです。テレビ放送の後、1か月に満たない期間に、全国から700通ほど、「働かせてください」というような問合せがありました。ものすごく悶々としました。豊橋という小さな街のチョコレートブランドに、ようやく見つけた1点の光のように、わっと言ってくる。どうして、それぞれの周りに、たくさんでなくていいけど、2つか3つの選択肢がないのか、日本は豊かな国ではなかったのかと、すごく悶々としました。少なくとも2つか3つの選択肢がない社会は、センスがあるとはとても思えません。だから、僕は絶対にセンスのある社会をつくります。誰かだけが、理不尽な思いをする暮らしや経済ではなくて、誰だって、胸を張って歩んでいける、単純でシンプルな社会がやはり、次の世代に対して、つくらないといけないと思っています。どうぞ安心してください。最高にみんなが、誰もが誇らしく思える、そういう社会を僕は絶対にやりますから」
凸 『チョコレートな人々』公式サイト
凹 ぶんや・よしと 1987年MBS入社。2021年2月早期退職。 ラジオ制作部、ラジオ報道部、コンプライアンス室などに在籍。 福島原発事故発生当時、 小出裕章さんが連日出演した「たねまきジャーナル」の初代プロデューサー
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