大阪・十三の第七藝術劇場で『ミスター・ランズベルギス』観てきました!凄い映画でした。
こんなハイレベル、ハイクオリティの作品を次から次へと発表するセルゲイ・ロズニツァ監督にあらためて敬服します。アーカイブ映像のみで緻密に堅牢に構築された『粛清裁判』や『バビ・ヤール』といった傑作群とはまた違って、ソ連崩壊前後のリトアニア独立をめぐる闘争を、現在のランズベルギス氏のインタビューを柱にして描くという、一種の「一人称ドキュメンタリー」でもありつつ、どこか「大河ドラマ」のごとき風格も併せ持った、見事な作品だと思います。
1988年から1991年にいたるソ連・ゴルバチョフ政権との政治的闘争を語る、初代リトアニア最高会議議長ランズベルギス氏の言葉と、膨大な記録映像は、観る人に様々なことを気付かせ、教えてくれます。私が教えられたことの一つは、ランズベルギス氏とゴルバチョフ氏の、おそらくは経歴の違いに由来する「知性」の在り方の違いというか、思考形態の違いのようなもの、そこから生まれてくる論理や言語、行動様式の違いです。
一方は、ピアニストで音楽の教授。オノ・ヨーコらとともにリトアニアの前衛芸術運動に参加し、あのジョナス・メカス(感動的な『リトアニアへの旅の追憶』の監督!)とも親友だという、いわば「芸術的知性」の代表的人物。他方は、農業経済学を専攻し、モスクワ大学を優秀な成績で卒業後、若くしてソ連共産党の要職を歴任しつつ党内の権力闘争を勝ち抜いた、いわば「政治的知性」の大物。
ランズベルギス氏のインタビューや記録映像を見ていると、いたるところで彼の「芸術的知性」に裏付けられた「論理的」な思考と言葉と行動が伝わってきますし、おそらくそれが、ゴルバチョフ氏のソ連共産党イデオロギーと統治手段に縛られた硬直した思考と行動様式を、様々な局面で凌駕したのだろうと感じます。その「芸術的知性」に支えられた「論理」が、実はいまの時代にも、より必要とされる思考の在り方ではないのかとも思いました。「芸術」は感性の産物で「論理」とは結び付かないという見方もあるかもしれませんが、そんなことはない。たとえばピカソの「ゲルニカ」のような作品が、強靭な「論理」に支えられずに創造できるでしょうか。「芸術的知性」は、「政治的知性」よりも、より根源的で広く、長い射程距離をもった思考と行動を生むのだろうと、この作品観て思いました。
そして、そのランズベルギス氏の思考と行動は、いうまでもなくロズニツァ監督の創作活動の羅針盤ともなり、時代を超えた共闘を生んでいることにも感動します。
さらに、そのロズニツァ監督の作品を連続的に日本に輸入し配給されているサニーフィルムさんの思考と行動がなければ、我々は、一連の端倪すべからざる作品群に出会うことはできなかったし、松井寛子さんが頑張ってくれていなければ、関西でのロズニツァ監督作品を見せてもらえる環境も十分になかったのも事実でしょう。
30年以上前のヴィータウタス・ランズベルギス氏の闘いは、これほど深く広く長い射程距離をもった「芸術的知性」に支えられて、リトアニアとウクライナと日本を繋いでいるのだと、そんな感慨を持ちました。
多くの人に、ぜひ劇場で観てほしい作品です。
●「ミスター・ランズベルギス」上映情報などは、次のサニーフィルムのサイトに。
○そのざき あきお(毎日新聞大阪開発 エグゼクティブアドバイザー)
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