『イニシェリン島の精霊』―過酷な「世界」と「人生」の感動的な寓話  園崎明夫

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「1923年、アイルランド西海岸沖のイニシェリン島。内戦に揺れる本土とは対照的な、平和な島に暮らす素朴な男パードリックは、ある日突然、親友コルムから絶交を告げられる。理由さえわからず困惑するパードリックは、妹や隣人も巻き込んで関係修復を図るが、コルムは頑なに彼を拒絶。両者の対立は想像を絶する事態へと突き進んでいくのだった……。
『スリー・ビルボード』の鬼才マーティン・マクドナー監督、待望の最新作。(プレス資料より)

 来年公開の話題作『イニシェリン島の精霊』、一足先に試写で観せていただきました。
海外での評価も高いようですが、たしかに傑作だと思います。感動的です!
これほど衝撃的かつ多様な魅力に溢れ、様々な観方、楽しみ方のできる映画はめったにありません。
100人の観客がいれば、100通りの魅力、感動、面白さがあるでしょう。
「人生」と「世界」のありようについての深い洞察や希望や諦観へと誘うストーリーとショットが全編に詰まっています!
 素晴らしく価値ある時間が過ごせます。

 冒頭の島の全景を空から捉えた俯瞰ショットから、パードリックが親友コルムを訪ねて窓越しに声をかけるまでの数ショットを観ただけで、これは凄い映画になると感じてしまいます。
 ことの始まりは、友人同士のささいな諍いであったはずが、次第に混乱と狂気に満ちた、破壊的な事態へと突き進んでいく。
 ありえない、救いがたいストーリーだと思いつつ、シナリオの完成度、登場人物の絶妙な魅力、キャメラワークの類稀な美しさ、それらが混然一体となって、圧倒的な傑作が紡がれてゆく快感は素晴らしい映画体験です!

 どの登場人物の思考や行動を理解し共感するのか、反感や嫌悪を感じるのかといったことは、それぞれの観客に委ねられていて、個人的感想は控えますが、私はいつも「正気と狂気の境界線は何処なのか、そもそもそんな境界線は存在するのか」ということに関心があって、この映画は、まさにそのツボを真正面から描きます。凄いです。
「正気と狂気のあいだ」という心理学的(あるいは哲学的)キーワードが頭にあって、映画観ながら思い浮かべていたのは、その問題と文学的に格闘していた(と私には思われる)、泉鏡花や夢野久作の作品のことでした。自分でも意外でしたが。
 突拍子もない連想のようですが、それなりに、けっこうそれぞれの作品世界が纏っている感性は近接している感じがします。面白いものです。
 彼らが日本で活躍した明治・大正~昭和初期と『イニシェリン島の精霊』の舞台となっている時代は、洋の東西は違うとはいえ、ほぼ重なっているでしょう。マーティン・マクドナー監督が1920~30年代を、どんな時代だったと考えているのかは、とても興味あるテーマだと思いますし、アイルランド出身の監督にとって、祖国が内戦で揺れ、同時に急速に近代化・都市化・機械化が進み、非科学的なもの、非都会的なものとの相克が、個人の日常生活にも顕在化していた時代の地方の寒村が、まさに映画の舞台でなければならなかったのは、なるほどと思います。
 泉鏡花の初期作品の多く(よく知られた『外科室』や『義血侠血』とか)は、「個人の情念こそがすべての行動規範」みたいなかなり過激なものですし、夢野久作には『いなか、の、じけん』という小品もあって、ちいさな村落共同体の闇や「正気と狂気の谷間」が不気味な雰囲気をもって描かれています。そのあたりの人間存在についての考察が『イニシェリン島の精霊』とかなり被ってきます。そもそも正気とか狂気とかは見定めがたいもので、「人間の多様な心的現象が世界のすべてを支配する(あるいはそうあるべきだ)」といった哲学がそこにあるように思えます。

『イニシェリン島の精霊』という映画が描くのは、徹底的に自己を縛ろうとする現実(パードリックの存在と言動)を、なんとしてでも拒否しようとする(コルムの)情念が、ついに自己破壊へと向かうドラマであって、さらにそれを許容し難いものとして暴走する(パードリックの)怒りが、世界そのものの破壊へと向かうドラマが追い打ちをかけます。
 それが、当時のアイルランド内戦の縮図とも、あるいは世界各地で戦争が続く現代のアナロジーとも解釈できますし、マクドナー監督の歴史観・世界観の表出でもあるのでしょう。
 いずれにせよ、この作品、「世界」と「人生」についての感動的な寓話とも言うべき、抜きんでた表現力と深い洞察に裏打ちされた、近年稀にみる見事な映画です。

 こういう映画は、できれば、ぜひ若い方々に事前情報少なめで見ていただきたいと思います。
 そして自分が作品のどこに感動し、登場人物の誰に共感したか、誰に反感を持ったか。どのシーンの映像が美しかったか。どのセリフが記憶に残ったか。映画観ながら、何を想い、何を連想していたか。自分なりに、何を理解し、どこが理解できないか。
 そういう、「映画を観る」ということの快楽や醍醐味を、ぜひ満喫していただきたいと思います。
 そしてさらに、観たあと作品について誰かと議論してほしいです。
観た人どうし、感じたこと、考えたことを何でも語り合ってください。それも映画の愉しみの一つ、というか「映画を観ること」のひとつですから。
 どのような議論でも受け入れる度量の広さが、この映画にはあります。
 それが傑作というものでしょう。

 そのざき・あきお(毎日新聞大阪開発 エグゼクティブ・アドヴァイザー)

2023年1月27日より全国公開です。
●予告編・動画 https://www.searchlightpictures.jp/movies/bansheesofinisherin

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