大阪のメディアを考える「大阪読売新聞 その興亡」43(社会部編19) 安富信

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息抜きのサウナを出たら「主婦殺害」

 一課担史上、最大の事件が解決してまた、苦しい日々が続く。まあ、それでも、この不健康極まりないながら、ある意味で規則的な生活に慣れて来た。殺人事件は2か月に1度くらいは発生し、帳場(捜査本部)が立ち、いつもの夜回りが続く。
 
 平成元年(1989)12月6日夜、一課担トリオはいつものように夕食で軽く飲んでバカ話をしていたが、その日は「たまには息抜きや!」とか言ってサウナ風呂に行った。もちろん、ポケベルも外して入った。そういう時に限って事件は起きるものだ。大阪市住之江区で主婦が殺害された。何も知らずにサウナで「整えて」出たら、3人とものポケベルに着信記録が残っていた。慌てて、駿河キャップが府警ボックスに電話を入れると、「何しとんのや! 住之江で殺しや! すぐに行かんかい!」と叱責を受けて、現場に急行。午前0時を過ぎていた。遊軍席から加藤譲さんが来ていた。一課担の大先輩だ。アホな後輩たちを見つけてやって来た加藤さんは、3人の頭に平手をかざし、「ていっ!ていっ!」と大叱責をした。3人は一言もなかった。事件の概要はこうだ。
 
 6日午後10時15分ごろ、大阪市住之江区南港中の公団住宅団地の1室で貴金属店員の女性(42)が6畳間のベッドで全裸で死んでいるのを訪ねて来た甥が見つけた。大阪府警捜査一課は、女性の首に絞められた跡があることから殺人事件とみて住之江署に捜査本部を設置。室内に物色の跡がなく、玄関のドアの鍵がかかっていたことから顔見知りによる犯行とみて、女性の交友関係を調べている。1年ほど前から火曜日と水曜日によく訪ねて来る中年の男性がいることを、捜査本部はつかんでおり、男性の割り出しを急いでいる。というような記事だ。まあ、よくあるパターンの殺人事件だった。解決は間もないとみられていた。
 しかし、この男にはアリバイがあり、約1か月後の年が明けた平成2年1月10日付朝刊の社会面トップに、この団地に住む「顔見知りの男が姿消す」という読売の特ダネが飾った。確か、所轄回りのM記者のネタだったように思う。初動で失敗した一課担トリオには、ツキがなかった。

 1週間後の1月17日、捜査本部が住之江署で容疑者逮捕の発表をした。この日のことはよく覚えている。府警ボックスで宿直勤務をした明けの朝だった。テレビを付けると、映画「座頭市」などで有名な俳優・故勝新太郎(当時58歳)がハワイで、コカインや乾燥大麻などを隠し持っていたとして麻薬密輸の疑いで逮捕され、罰金1000ドルを支払って国外退去になったと、大騒ぎしていた。どうやらパンツに中に麻薬を隠していた、というのが印象に残っている。“長屋”のお世話をするおばちゃんたちとワイワイ言っていたら、住之江署で逮捕レクがあると広報が流して、慌てて同署に駆け付けた。前打ち通りで、なんと、犯人は女性の隣室の男(当時34歳)で、金目当てで深夜にベランダから女性宅に忍び込んだが、女性に気づかれて騒がれたため、頭や胸などを殴り、手で首を絞めて窒息死させた。容疑者は事件直後から姿をくらましていた。

 まあ、発生から1か月少しで解決した事件だったが、この事件には後日談があった。住之江署で発表を聞いて、夕刊用の原稿を本社に送って、府警ボックスに帰る途中だった。100mほど前を走っていたM記者のタクシーが右折したトラックに衝突したのだ。筆者が乗っていたタクシーも急停車した。見ると、運転席から頭を血だらけにした運転手が飛び出した。うわっ!と言った瞬間、後部座席にドアが開いて、M記者の上半身がダランと地面に落ちるように出て来た。「やばい!」。筆者は慌てて府警ボックスに自動車電話をかけた。出て来た江崎サブキャップに叫んだ。「事故です。住之江署から帰る途中、Mさんが事故に遭いました。救急車を頼みます」。江崎サブキャップに叱られた。「なんで君が直接119番しないんだ。落ちつけ」。ようやく我に返った筆者が119番と110番をかけて、救急車が来て、近くの病院にMさんと運転手は運ばれた。運転手は軽傷で、Mさんは腰の骨が折れて入院したが、1か月ほどで退院した。身から出た錆だが、散々な事件だった。

「伝説の事件記者」に戦々恐々

 そうこうするうちに、一課担当も1年が終わり、府警ボックスも新しいメンバーになった。新キャップに怖い怖い一課担の大先輩・加藤譲さんが就任。一課担は2人制となり、筆者がキャップで、永田広道さんが来た。この体制は、筆者にとってさらにきついものだった。と言うのも、四ノ宮前キャップは2課担OBで一課担の仕事には大きな事件を除いてほとんど介入して来なかったが、加藤さんはそうはいかない。この連載でも散々登場したように伝説の事件記者なのだ。でもって、意外に事件取材に対して細かい。戦々恐々としていた。ある意味、この加藤キャップとの戦いが、筆者の「黒歴史」の始まりだった。決して加藤さんが悪いのではない。筆者の力不足が原因だった。
 
3月中旬に新しい体制になってすぐに起きた事件が、兵庫県尼崎市のスーパー長崎屋での放火事件だった。原則的には兵庫県警菅内の事件だし、尼崎は社会部阪神支局の菅内だから、大阪府警捜査一課担当が取材に行くことはない。だが、永田記者が社会部に来る前に神戸総局で兵庫県警を回っていたこともあって応援要請が来た。確か3月18日正午過ぎの発生だったから、新体制になって4日目のことだ。いきなり、筆者1人の船出だ。大きな事件が起きないことを祈るばかりだった。
 

スーパー長崎屋の放火事件

花博「ウォーターライド」事故に右往左往

 事件は起きなかった。しかし、大事故が起きた。それも、捜査一課が出動しなければならない大事故が。「ギョーカ」と呼ばれる、業務上過失致傷事件は捜査一課の特殊班が扱う。それは、3月31日に大阪・鶴見緑地で始まった「花の万博」で起きた。実は、長崎屋の放火事件が一段落したので、筆者は「永田記者を早く返してくれ」と加藤キャップにお願いして、社会部長の許可を得て、帰って来た翌日の30日に各社の一課担の記者たちは、花博の遊戯施設などに試乗して安全性を確かめていた。その中で、「比較的安全だな」と感想を持っていた遊戯施設が事故を起こした。概要は以下の通りだ。
 4月2日正午過ぎ、花の万博会場を高架水路で巡る輸送施設・ウォーターライド「アドベンチャークルーズ」(ジャスコなど出展、往復2㌔)が街の駅付近で水路から外れ、3両のうち1両が7㍍下に転落、1両が宙づりになり、乗客約70人のうち、6人(女性5人、子供1人)がけがを負った。ウォーターライドは最高7㍍の高架水路に1編成、計72人乗りのボートを浮かべて、時速4㌔で片道14~16分で走る。主催者側の説明では、後ろの車両が前の車両に追突したため、水路から外れて転落したらしい。けが人はさらに増える見込みだった。
 まあ、華やかに開幕した「花博」を汚すお粗末な事故だった。それにしても、一課担新体制のスタートが、ギョーカ事件とは! 殺人事件の捜査班とは違う業過班が担当する。もちろん、鑑識課や科捜研の科学捜査も重要だ。殺しも苦手だが、ギョーカはもっと苦手だ。大体、これまでそんな取材をほとんどしたことがない。先輩の一課担記者には、科学捜査がお得意で、ギョーカが大好きな人がいましたが。業過班の捜査員が誰だかもわからない状態での取材だった。
 それでも、ポイントは、事故の原因究明と管理体制、そして、業務上過失致傷として主催者らを立件できるかだ。現場は枚方支局守口通信部菅内だったので、1年後輩のU記者と3人で取材を進めた。この手の事故では、毎日のように主催者側の記者会見が開かれるので、それを基本に夜回りで得た情報などを絡めて続報を書き続ける。朝刊、夕刊とほぼ連日書き続けなければならない。これも苦しい! とにかく、やれ「監視員がいなかった」とか「ウォーターライド館の館長が運行管理を知らなかった」とか「運転は大半がバイトだった」とか「異常に慣れて事故を招いた」などと書き続けた。しかし、事件の処理がどうなったかは記憶にない。

花博事故を報じる読売新聞

デパート、スーパー……連続放火

今度は連続放火事件

 
 そうこうするうちに、新たな事件が起きた。4月末に、大阪市内南部のデパートやスーパー、ターミナルビルの売り場4店で連続放火が相次いでいるという。捜査一課は捜査本部を置き、大型連休を前に警戒を強めているという記事が5月2日の夕刊社会面トップを飾った。書いたのは、動物園回りのM記者だ。今度は放火班の登場だ。これも苦手だったが、唯一曽根崎署時代から付き合いのあるN警部補がいた。さて、どうなるやら?(つづく)

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