水俣曼荼羅 「水俣病は終わった」に抗い、権力に挑みつづける患者の魅力  藤井満

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ジョニー・デップ主演の「MINAMATA」は、「水俣病は終わっていない」という情報を世界に発信したが、何がどう終わっていないかは伝えなかった。原一男監督は20年の歳月をかけて「終わってない」現実をひとりひとりの生き様を通して描き切った。その重みと豊かさを体感するには6時間の上映時間は短すぎると思った。

空から見た水俣©疾走プロダクション

目次

「日本政府の姿をこの目で見ました」言い残した元原告団長

関西訴訟判決©疾走プロダクション

2004年10月、水俣病関西訴訟の上告審で、国と熊本県の責任を認める判決がはじめて確定した。
この判決によって、認定の要件がゆるめられ、数万人にも及ぶ未認定患者が救済される……と私も期待した。
従来水俣病は末梢神経の障害とされてきたが、関西訴訟では「有機水銀が大脳の細胞に損傷を与えることが原因」とする革命的な病像論が提出された。認定審査でそれが採用されれば多くの患者が水俣病と認定されるはずだった。
ところが、国も熊本県も、裁判で敗れても認定基準を改めない。
関西訴訟原告団長の川上敏行さんは「国や権力にたてつくもんじゃない」と疲れきった表情で語った。
でもふたたび立ち上がり、患者への年金支給を拒否する熊本県を90歳で提訴して、2017年に最高裁で敗れた。
「日本政府の姿をはっきりこの目で見ました」
そう言い残して2020年に亡くなった。

水俣のジャンヌダルクは恋する寅さん

実子さん©疾走プロダクション

胎児性水俣病患者の田中実子さんはユージン・スミスによって水俣の悲劇の象徴となった。だが原監督の撮る「実子ちゃん」は、ニコニコ笑いながらふとんの上でメリーゴーランドのように回転しつづける。お父さんは笑顔で語る。
「この子は心も体も強かです」
私も35年前に実子さんを訪ねたが、「悲劇の患者」の寝姿に圧倒されて声をかけられなかった。

坂本しのぶさん©疾走プロダクション

坂本しのぶさんは闘う水俣病患者のシンボルだが、この映画では、何度も何度も恋をして失恋する姿が描かれる。
「何回も何回も電話してきて、なかなか電話に出ないと腹を立てて、こちらから電話してもブチッと切る。ワン切りもする」
「好きだった記者が転勤になると知って号泣したんだよね」……
かつての恋愛対象の男性が振り返ると、しのぶさんは照れて全身をよじらせた。
次々に人を好きになるけど成就しない。「フーテンの寅さん」のようなかわいらしさが描かれている。

生駒秀夫さんは、結婚できることになって舞い上がった。
「水俣病で結婚できると思わなかった。うれしかったぁ。とにかくうれしかったぁ」
「初夜はどうしました?」と原監督が尋ねると
「うれしくて、手も出せなくて、ひと晩中起きてた」と相好を崩した。

感覚障害とは「空の青さがわからないこと、文化がないこと……」

水俣病の症状は「感覚障害」と表現されるが、人によって症状も感じ方も大きく異なる。
緒方正実さんは、検査をすれば視野が狭く、指を針で刺しても痛みを感じないが、生まれたときから同じだから異常とは思っていなかった。味覚が鈍いから料理の味が濃くなり、高血圧になっていた。

二宮医師©疾走プロダクション

裁判の判決後の集会で酔っぱらった二宮正医師は激しい言葉で「感覚障害」の残酷さを突きつける。
「感覚障害ってどういうことかわかるか? それは空の青さがわからないことなんだ。それは文化がないことなんだ。おまんこしても感じないんだ!」

「水俣病は終わった」という社会の空気が患者を追い詰める

水俣病は何度も「終わった」ことにされた。
1995年の「政治決着」は、国の責任を明確にすることなく一時金260万円で和解になった。「命あるうちに救済を」という訴えは重いけれど、この政治決着によって切り捨てられた人は少なくなかった。
私自身、新聞記者として1997年にホームレス問題を取材したとき、水俣出身の男性に出会った。
手足の先がしびれ、「雲の上を歩くようにフラアフラアと揺れる」と言う。典型的な水俣病の症状だ。いくつかの病院に水俣病の認定ができないか問いあわせたが「政治決着の前ならなんとかなったんですが……」と言われた。
2011年の「ノーモア・ミナマタ訴訟」の和解では一時金は210万円だった。政府は1995年以上の額をがんとして出そうとしなかった。
今も、第2世代の患者が裁判をつづけている。その原告さえも「水俣では水俣病を話題に出さないようにしている」と言う。現地ではいまだに水俣病を語れず、外部では「終わった」とされつつある。
「水俣病は終わった、という日本社会の空気が変わらないと裁判は勝てない。四大公害訴訟のなかでも、水俣病はものすごいエネルギーをもっていた時代があり、運動にかかわっていた人が全国にいた。それがみんな沈黙してますもんね。その人たちがどこにいっちゃったんだ? その人たちが動き出してほしい」
舞台挨拶で原監督は訴えた。
学生時代に水俣を訪れていたのに、その後ほとんどかかわらなかった私には痛い指摘だった。

人生の舞台の幕がおりるまで

団体交渉©疾走プロダクション

何度裁判に勝っても認定基準は変わらない。圧倒的な権力に挑みつづける患者は老いて、一人二人とあの世に旅立つ。
でもなぜだろう。そんな患者たちが生き生きと舞台で踊っているように見える。底なしの苦しみの底にあっても、人は人とつながることで、時には笑いながら踊りつづけられる。団体交渉の相手の能面の官僚さえも、「私も書類ばかりを処理するうちに見えなくなってしまっていた」と、「人間」の姿を一瞬垣間見せる。そこにわずかな救いがある。
ふと思った。
患者たちは本当は許したいのではないか。許すための気持ちが伝わる場を求めて、「水俣病は終わった」という空気に抗いつづけている。
理想を求めて挫折をくり返すドン・キホーテのようにたたかっているのだ。
死ぬときはだれもが裸だ。だったら、人生という舞台の幕がおりるまで演じ切ろうよ。
ひと足早くあの世に行った患者さんから、そう呼びかけられているような気がした。

関西では以下の2館で公開予定
第七芸術劇場(阪急十三駅) 2022年1月2日〜
アップリンク京都(地下鉄烏丸御池駅) 2022年1月28日~
東京ではシアター・イメージフォーラム(JR渋谷駅)で公開中。
その他の予定は水俣曼荼羅のホームページをご覧ください。
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