人影消えた里で寺ときずなの再生模索 輪島市・南志見

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2011年の西光寺。地震で本堂はなくなり、手前の墓地も被害をうけた

 能登半島地震で全住民700人が集団避難した輪島市・南志見(なじみ)地区では、豪雨被害もかさなって、住民の姿が消え、大半の寺が無住になってしまった。南志見川沿いにある西光寺も本堂をうしない、一時は避難生活をおくっていたが、吉森公昭住職(60歳)と妻の応子(まさこ)(59歳)さんは離ればなれになった住民がつどう寺を再生しようと模索している。

目次

ライフライン途絶、チェーンソーで道をひらく

 南志見地区の中心・里町から南志見川を2キロさかのぼった西光寺(輪島市西院内町)は2024年元日の地震で、鐘楼や地蔵堂が全壊した。かたむいた本堂も、9月の豪雨で裏山の擁壁が突き刺さって解体をよぎなくされた。
 07年の能登半島地震後にたてられた2階建ての庫裏は、室内の蛍光灯がすべて落ちてガラスが床中にちらばったが、建物はもちこたえた。
 電気も水道も携帯電話もとぎれた。県道から寺にはいる橋は50センチ以上の段差ができて自動車をだせなくなった。
 吉森さんは翌日の2日、地震でくずれおちた擁壁のブロックを階段状につんで、U字溝の蓋(クレーチング)でスロープをつくり、車2台を脱出させた。
 公民館や役場の出張所のある里町の「農村環境改善センター」に行くと、病人と老人は和室にいて、体育館は数百人がつどってすわる場所もない。食べ物もないから、寺のお供え用の餅と、年頭参りにくる子どものために用意していた菓子袋をもっていった。
 吉森さん夫妻は自動車に泊まった。ガソリンを節約するためエンジンはかけず、湯たんぽを抱いて寝るが、真冬の寒さはこたえた。
 寺から4キロはなれた海沿いは携帯電話がつながるときいて4日になって姉と娘に「無事だからってみんなに連絡しといて」とつたえた。
 県道がくずれて、隣の東印内集落は孤立していた。5日、チェーンソーを所有する住民5人で道路をふさいでいた倒木を除去した。
 その人たちが午後から寺にきて、本堂の床一面にちらばっていた位牌を庫裏にはこんだ。

深夜のSAで知った輪島の火事

 その日、消防の赤い自動車が上流側からやってきた。
「通れるの?」
「輪島からすごい時間がかかりました」
  電気も水もガスもない場所にすみつづけられない。公昭さんの奈良の実家に避難することにして、午後6時に出発した。
 2キロ上流の金蔵集落で迷子になったが、焚き火をかこんでいる人に道をきいて、「通行止め」の柵をずらして真っ暗なな道をたどった。ふだん20分ほどの穴水町の市街地まで3時間かかった。穴水は街灯がともり携帯電話も通じた。さらに4時間後、北陸自動車道にはいって徳光サービスエリア(白山市)で休憩した。テレビのニュースで街が燃えている。
「え、輪島が燃えてる!?」
 このときはじめて元日の輪島の火災を知った。

無人の里、復旧半ばで豪雨

 奈良に避難したが、寺の本堂の仏像などが心配で10日に寺にもどり、仏像を布にくるんで自動車につんだ。周囲には人っ子ひとりいない。
 そこに大宮正・市議会議員がとおりがかった。
「みんな避難したからおらんよ」
 南志見地区の住民約700人は前日の9日にヘリコプターなどで集団避難したのだった。
 1月と2月は、奈良の実家と寺を計5往復した。水のポリタンクとフリーズドライ食品とカセットコンロを車につんできて、車に寝泊まりして寺や庫裏をかたづける。風呂もトイレも電気もないから3泊が限界だった。
 南志見は無人だから情報がまったくはいらないが、3月になると、車で30分ほどはなれた場所に自衛隊の風呂があることを知った。
 3月22日には山水をためる水槽を設置してポンプで家の水道に送水できるようにした。風呂やトイレがつかえるようになった。4月に南志見の中心に仮設住宅ができるころには、給水もはじまった。
 5月には市の水道が、寺の入口の水道メーターまで復旧した。
「敷地内の作業は自分で業者にたのんでください」と言われたが、きてくれる業者はいない。偶然とおりがかった名古屋市水道局の人がつないでくれた。水道が復旧して、仏具の清掃や拭き掃除ができるようになった。

地震以上に豪雨で壊滅的な被害がでた南志見の中心=2024年12月15日


 ライフラインが復旧した矢先の9月21日、豪雨がおそった。その日、公昭さんは高野山に、応子さんは奈良にいた。「地震のときといっしょで、道もとおれんよ」と南志見の人に言われた。10日後にもどると、水道も電気もふたたび途絶していた。
 このときも名古屋市水道局の人が水道を修理してくれた。
「隣の集落には同級生が1人すんでいた。あそこに1人ですんでます、と言うと、人がいるかぎり工事します、って、1カ月かけて工事してくれた。本当にありがたかった」
 応子さんはふりかえる。

人が消え、治安が不安

西光寺近くの里、下見板張りの屋敷が点在していた=2011年

 西光寺の檀家50軒のうち約30軒が南志見に住んでいた。そのうち豪雨後も自宅にいるのは2軒だけ。仮設住宅に15人ほどいるが、そのほかは金沢や県外に移住してしまった。
 西光寺のある西院内町は、下見板張りの立派な屋敷が点在し、2020年には15軒に36人がすんでいた。
 寺の向かいの家は蒔絵師だから、作業部屋に明かりがともっていると「仕事をがんばってるな」とわかった。家に鍵をかけたこともない。近所の人は「おるー?」と言いながら勝手に家にはいってきた。
 いま、集落には西光寺のほか1軒しかすんでいない。

田植え後はつややかで美しい=2011年

 地震翌日の1月2日にはこんなことがあった。
 応子さんがお墓で作業をしていたら、くずれていたむかいの家の前に軽自動車がとまり、4人の男がワラワラとおりてきた。家のがれきをちょっとだけもちあげて、「ダレカイマスカ」と片言の日本語で声をかけている。
「そこにはだれもいませんよ」
 応子さんが声をかけると車に乗りこんで次の家にむかった。
 隣の東印内集落では、橋が落ちて出入りできないはずの家に泥棒がはいった。こじあけられた金庫が庭にほうりだされ、トイレには大便が山盛りになっていた。
「家の明かりがなくなって、夜ひとりでおるのはこわい。ひとりのときは、家中のかぎをかけて寝ています」

すみつづけたい、でも……

完成したばかりの仮設住宅=2024年4月22日

 仮設住宅にいる高齢者の大半は自宅にもどりたい。でも、土砂災害特別警戒区域は再建できないし、住宅の建築費は、輪島は地震前の2倍、珠洲は3倍に高騰したといわれる。以前は3000万円で2階建てをたてられたが、地震後は、1部屋と水回りだけの平屋で3000万円と見積もられた例もある。住宅再建にたいする公的な支援金は最大300万円だ。一方、中小事業者の再建に利用できる「なりわい再建支援補助金」は施設の復旧費用の最大3/4を補助してくれる。
「余力がある人でも住宅再建は躊躇してしまう。業者さんへの補助のような制度が家をたてる人にもできないんでしょうか。せめて金沢とおなじくらいの値段でたてられるように補助してくれたら帰ってこられる人もでてくると思うんですが」(公昭さん)
 再建をあきらめるなら復興公営住宅をまつしかない。当初は「南志見にすみつづけたい」という人が多かったが、「車が運転できなければ買い物もできんし、公営住宅なら輪島(市街)がいいかも……」となやむ人も増えてきているという。

「お講」復活をめざす

墓石は手作業で積み直した=2025年11月

 南志見地区には7カ寺あったが、西光寺以外は再開できていない。「うちの寺はお参りにもいかれん」となげくお年寄りもいる。せまい仮設住宅に仏壇をおけずに手放す人もいる。
 西光寺の墓地も地震で多くの墓石がたおれ、下からお骨が見えていた。吉森さんは避難先の奈良でブルーシートを購入して、檀家総代らと墓にシートをかけた。
 2024年の8月15日には、重機がないから、5人ほどで三角の櫓(やぐら)をたてて滑車をかけ、10基ほどの墓石をつみなおした。ふつうは何十万円かかる作業だが、1基1万円で修理した。「お盆にいいがになってよかった」と檀家はよろこんでくれた。

庫裏の2階の仮本堂=2025年11月

 無事だった庫裏の2階を仮本堂にした。床の間に本尊や掛け軸をおき、バラバラになった位牌を本堂からはこんでくみたてて壁際にならべた。2007年の地震後に耐震構造でたてた庫裏があったから寺を再開できた。
 地震前、西光寺では2カ月に1度「お講」をひらき、20人ほどがつどっていた。当番の檀家が、畑の野菜や山菜、海藻で精進料理を用意し、1人200円ほどで提供した。輪島塗の器にもられた料理は見た目も豪華でおいしかった。
 そんな場をもう一度復活できないかと吉森さん夫妻は考えている。
 ただ、お寺の近所にすむ人はいなくなり、仮設住宅は手押し車で歩いてこられる距離ではない。移動手段を用意しなければならない。檀家はみな80代だから食事をつくるボランティアも必要になりそうだ。
「仮設では隣の人とつきあいがなくてさびしい人がいる。お寺は人がいやされる場だと思う。2カ月に1度は100円とか200円で気軽にあつまってごはんを食べて、ワイワイできるようにしたいんです」
    □
 3時間ほど吉森さん夫婦の話をきいて午後6時すぎに外にでると、周囲は真っ暗で、200メートルほどはなれた家1軒にだけ黄色い明かりがともっている。西光寺以外で、集落で唯一住民がのこっている家だという。

■南志見地区の人口(令和2年国勢調査)

東山町 9世帯20人
西院内町 15世帯36人
東印内町 10世帯20人
小西山 17世帯39人
大西山 16世帯36人
里町 62世帯151人
名舟町 94世帯175人
尊利地町 24世帯66人
小田屋町 44世帯92人
渋田町 23世帯68人
忍町 5世帯6人

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