報告 ドキュメンタリー映画「愛国の告白」トークショー 文箭祥人(編集担当) 

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11月27日、大阪・十三の第七芸術劇場で、ドキュメンタリー映画「愛国の告白-沈黙を破る・Part2―」の上映後、トークショーが行われた。その模様を報告します。

兵士か、人間か。

これが映画のチラシに書かれている言葉だ。

元イスラエル兵士たちがNGO「沈黙を破る」を結成する。映画「愛国の告白」はこのNGOメンバーの告白を伝える。

ユダ・シャウール(NGO「沈黙を破る」創設者) (c)DOI Toshikuni

映画の公式ホームページにこう書かれている。

「“占領軍”となった若いイスラエル兵士たちが、パレスチナ人住民に絶大な権力を行使する兵役の中で道徳心・倫理観を麻痺させ、それがやがてイスラエル社会のモラルも崩壊するという危機感を抱く。その元将兵たちは、“占領”を告発するNGO「沈黙を破る」を立ち上げる。前作『沈黙を破る』(2009年公開)では、そんな若者たちの姿と証言、そして占領地の凄まじい実態を描いた。

あれから13年、イスラエルは一層右傾化し、占領と武力攻撃はさらに強化されている。その情勢の中で「沈黙を破る」の活動は、イスラエル社会でさらに重要な存在意味と役割を持つようになった。それに従い、政府や右派勢力からの攻撃も急激に強まっていく。それでも彼らは屈せず、活動を続ける。

これは現在も続くウクライナ侵攻するロシア軍、ビルマ(ミャンマー)で圧政を続ける国軍の兵士などにも共通する心理で、自国の加害と真摯に向き合う元将兵たちの生き方は、私たち日本人にも大きな問いかけをしている」

「愛国の告白―沈黙を破るPart2」はパレスチナ取材歴34年の土井敏邦監督の集大成。

トークショーには元朝日新聞中東アフリカ総局長で中東ジャーナリストの川上泰徳さん、土井敏邦監督が登壇。

土井敏邦監督(右)、川上泰徳さん(左)
目次

パレスチナ問題の映画を上映する意味は?

なぜ今、日本で、パレスチナの映画を上映するのか、土井監督が投げかける。

「この映画を日本で観せていくのはむずかしいだろうなと思っています。パレスチナは遠いじゃないですか。私が13年前に「沈黙を破る」を公開した時は、パレスチナ問題に関心があって、割にお客さんも入った。今の時代、アフガニスタンだ、シリアだ、今だとウクライナだと。パレスチナ問題は聞いたことがない、ニュースにもならない。どうして今、この映画をやるんだ、とみなさんも思っているでしょう。なぜ今、日本人にパレスチナ問題を伝えるのか?これは僕たちの課題でもあるんですけれども、川上さん、いまパレスチナ問題を日本人に伝えていく意味はなんだろう?」

川上さん

「なぜ、パレスチナのことを知らせたいかというと、人間が生きる原点だと思います。パレスチナには、抑圧と闘う人がいる、占領されて追われて難民生活をする人がいる、ボートに乗ってヨーロッパに渡る人もいる、救いのない自爆テロをする人もいる、攻撃を受けて家族を失った人もいる。人間の血みどろの生き方を生きている存在です。逆に言うと、日本はずっと平和にやってきたけれど、それはある意味、幸運なことであって、いつそれが崩れて歯止めがないような状況になるかわかりません。ウクライナがそうです。シリアは内戦が続いていて、ひどいところだとみなさんは思っているかもしれませんが、私が1994年から中東に駐在して、シリア内戦が始まる2011年までのシリアは中東でもっとも安定した、もっとも安全な国だったんです。強権政権で独裁政権でしたが、アラブ世界の中でも非常に文化的な社会がありました。ところが内戦が始まって、そういうものがあっという間に全部、崩れる、もう地獄です。地獄のような様相が広がる。それを70年以上にわたって経験しているのがパレスチナで、延々と今も地獄のような様相が続いています。

私たち日本人は今、平和で何も考えずに生きています。しかし、もしかしてパラレルワールドがあるかもしれないと思うわけです。かつて日本も77年前にはあったんです。それを私たちは忘れています。でも、いつか、暗黒のパラレルワールドに私たち自身が入っていくかもしれません。そう考えたら、私たちはいま何も知らないで、平和、平和、平和で生きていく、それでいいのか。みなさんは中東は危険だと思っているかもしれませんが、中東はイスラムの教えがあり、街を歩いていても危険を感じるようなことはありません、非常に安全なんです。ところが一旦、戦争が起こると、安全も平和も崩れてしまう。戦争や紛争を遠い世界のことだと考えるのではなく、自分たちにつながっているんだ、自分たちだって5年後、10年後、そういう世界に生きているかもしれません。そのことを教えてくれるのが中東だと思います」

土井監督

「どうして、あんなに遠いパレスチナに30年以上通うのか、とよく聞かれます。僕もそうだし、同僚の古居みずえという女性のジャーナリストも言うんですけど、パレスチナに行くと元気になる。占領、戦争がある場所に人間がいると、人間の醜さ、その一方で人間のキラッと光る美しさ、やさしさ、が出てくるんです、むきだしに。

私は1993年10月から、ガザ地区の難民キャンプに住み込んで、ある家族を追いかけました。14人家族で働いているのは一人だけ。この一人にすがるように家族は生きているんです、貧しいですよ。この時、私の通訳をしてくれた青年がいまして、非常に優秀で英語が堪能でした。僕は彼に聞いたんです、「奨学金をもらって、アメリカに留学して自分が幸せになる道を探したらどうだ?」と。これに対してこの青年がこう言いました。

「私の幸せは、この家族の中にある。この難民キャンプのコミュニティーの中に僕の幸せがある。自分一人、幸せにはなれない」

僕はすごくショックを受けたんですよ。私は彼よりお金を持っているかもしれない。でも僕は自分のことしか考えていないんですよ。僕はその時、思ったんです。人間の豊かさって何だろうか。こういう体験をすると、自分が教えられるんですよ。「人間って何なのか、家族って何なのか、幸せって何なのか」

私の目の前で、逮捕されたり撃たれたり殺されたりするわけです。そうすると、「人間の抑圧は何なのか、自由とは何なのか、生きるってどういうことなのか」を、本からではなく、「知識」としてではなく、身体で知るわけです。つまり、人間が生きる上で何が大切なのかを身体で学ぶんですよ。僕は、パレスチナは私の“人生の学校”だとよく話します。私はジャーナリストとしても、そして人間としても、パレスチナで育てられたと思っています。私が人間として生きている手応えを感じる場所です。だから、34年も通い続けたんです」

この映画はパレスチナ・イスラエル問題の映画ではない

土井敏邦監督

土井監督は続けて、こう会場の人たちに問う。

「みなさんは、どうしてこの映画を日本人に観せるのか、と思われているかもしれません。僕は、この映画はパレスチナ・イスラエルの映画だとは思っていない。僕があえて、「愛国」という言葉を使ったのか。みなさん、愛国とは何ですか。安倍晋三さんが言ったように、日本の加害の歴史を隠して、歴史のいいとこ取りをして、日本はこんなに素晴らしい、だからこの国を愛せよと。それが愛国なんでしょうか。

NGO「沈黙を破る」の彼ら彼女らは、「イスラエル社会がこのままいくとだめになる、若者がモラルを失ってだめになる、だから、私たちが反対するんだ」と言う。だから命がけで闘う。でも、彼ら彼女らは「裏切り者」だと言われる、「非国民だ」と言われる、「敵のスパイだ」と言われる。でも、みなさん思いませんか、彼ら彼女らこそ、イスラエルの将来を案じて闘っているんですよ。“愛国”ってそういうことじゃないでしょうか。親が子どもを愛するとき、いいとこ取りはしないでしょ、「この子は困った子だね」と言いながら、丸ごと受け止めるじゃないですか。「愛する」というのは、そういうことじゃないですか。自国の“負の歴史”、“加害の歴史”をも引き受ける覚悟がない人が簡単に「愛国」という言葉を使ってはいけないと思います。こういうことをNGO「沈黙を破る」は我々に突き付けていると思うんです」

土井監督の話が続く。

「我々は自分の国の加害の歴史とどう向き合うのか。NGO「沈黙を破る」は、自分たちの国の加害と闘っているんです。加害を訴えている。

日本はどうか。我々は加害の歴史を教科書から消している。「強制連行」は「徴用」にして無かったことにする、南京大虐殺は教えない、慰安婦問題も教えない、「きれいなこと」だけを教えていく。それで「愛国」という。そんなばかなことがあるか。こういうことをNGO「沈黙を破る」は我々に突き付けている」

さらに。

「絶対的な武力と権力をもって、占領するパレスチナ民衆の前に立つとき、どれほど人間が崩れていくか。NGO「沈黙を破る」のメンバーのアヒヤ・シャッツがこう言います。

「ハンマーを持って外の世界を歩き回る時、すぐに打つ釘を探すのです。血に飢えた兵士になるんです。それが「優秀な兵士」なのです。」

まさに、この心理です。人を自由に動かせることに快感を持つ、そこに中毒になっている、それはイスラエル兵士だけでしょうか。私たち日本人が、中国に侵略し、そこで何をやってきたのか。日本では「いいお父さん」、「いいお兄さん」であった兵士が、中国大陸で占領軍として立った時に、何をやったのか。あれだけの虐殺をし、レイプをやり、南京虐殺をやった。それは日本だけではありません。今のウクライナで言えば、ロシア兵がブチャの虐殺に象徴されるように、ものすごく残虐なことをやってしまう、おそらく、このロシア兵もウクライナに行く前は普通の青年だったと思うんです。この映画が示しているのは、占領軍となった時、若者がどう変わっていくのかをNGO「沈黙を破る」は語っています。そういう意味で、この映画が決して、パレスチナ・イスラエル問題の映画ではありません。この映画を鏡にして、我々の生き方、あり方が問われている、そういう思いでこの映画を公開しようと思ったんです」

川上泰徳さん

川上さんは自身の取材経験を通してこう話す。

「私は2002年春、第2次インティファーダ(民衆蜂起)が激しくなり、イスラエル軍がヨルダン川西岸のパレスチナ自治区に侵攻した時、私は朝日新聞の特派員としてエルサレムに駐在していました。イスラエル人はイスラエル軍がパレスチナの民間人を拘束したり、殺戮していることを「国防」として正当化するわけです。NGO「沈黙を破る」のメンバーは、兵士として与えられた任務を行っているが、それは人間としてやってはいけないことだと気付いて、沈黙を破って占領の実態を語り始める、それが自分自身の人間性の回復になる、と考えるわけです。この映画「愛国の告白」を通して、イスラエルは軍隊でパレスチナ人を抑えているだけではなく、イスラエルにも「沈黙を破る」のメンバーのような人がいるんだ、人間が見える。

僕が2003年にイスラエル軍が侵攻し、破壊したパレスチナ自治区のジェニンの現場に行き、そこで家を破壊されたパレスチナ人の話を聞いていると、その家のおじいさんが現れて、客人である私にお茶を出そうとしたんです。どんな状況でも、人間らしく振舞おうとします。ベイルートのパレスチナ難民キャンプで難民の70年の歴史の話を聞いていても、そこに暮らすパレスチナ人たちは厳しい現実の中で決して人間であることを失っていないと常に感じます。こうした人たちを見ていると、日本人は人間性という意味で弱いのではないかと思うわけです。パレスチナ人の問題は外国のことで、自分たちとは関係がないと考える、切り捨てていく。日本の国内でも弱者が切り捨てられている。人間として日本人は弱くなったと思います。一方、イスラエルのNGO「沈黙を破る」の人々はパレスチナ占領での加害を告白する、そうすることで、自分たちの人間性を取り戻そうとしている。この映画はパレスチナ・イスラエル問題の映画ではないと思います」

土井監督

「僕はこの映画でパレスチナ問題の知識を得てほしいとは思っていません。そこで生きている人間を見てほしい。だから、人間を「マス」(集団)で描かない。「パレスチナ人」、「イスラエル人」ではなく、一人一人の人間の等身大で、固有名詞で描く、そして彼らに語らせる。

今度のネタニヤフ政権はこれまでよりもっと右翼になるかもしれない。そういう中で、NGO「沈黙を破る」のメンバーは文字通り、命がけで必死に闘っている。こういう人たちの声を聞くことは、決して遠い国のことではない。私たちがそういう立場に追い込まれた時にどうするのか、そう突き付けていかなければ、「遠いパレスチナ・イスラエル問題」となってしまいます」

川上さん

「イスラエルでは11月の選挙でネタニヤフ元首相が率いる右派勢力が勝利して、1年半ぶりに政権復帰のための組閣作業を進めています。この映画「愛国の告白」が描くガザ攻撃はネタニヤフ政権下で行われました。イスラエルで軍によるパレスチナ占領の実態を告白し、批判したら、イスラエルでは政府を敵に回すことになります。首相のほとんどが軍人出身で、元参謀総長も多い。NGO「沈黙を破る」に参加する元兵士たちは、そういう状況で、国と軍の加害を告白し、告発します。彼ら彼女らの思いがイスラエルという国が人間性を回復するための希望だと思います」

日本人一人一人が問われている

土井監督

「みなさんは、映画を観ていて、何を観ていると思いますか。僕は映画は“鏡”だと思っています。映し出しているのは“自分”なんですね。「自分はどうしたらいいんだ」、「自分だったらこうする」、「この生き方でいいのか」・・・

人間が一番関心を持つのは人間だし、自分自身なんですよね。だから、この映画の中のNGO「沈黙を破る」の人たちの生き方を観て、「自分はどう生きているんだろう」、「自分は何を大切に生きているのだろう」、「自分の生き方はこれでいいのだろうか」と自問する。

知識であれば、テレビの教養番組を観ればいいですよ。僕は教養番組をつくろうとは思わない。描き出したいのは“人間”ですよ。それはなぜかというと、私自身が彼らの声を聞きながら、彼らに「お前はどう生きるんだ?」、「俺たちはこう生きている。お前はどう生きるんだ?」と突き付けられている。NGO「沈黙を破る」の青年たちの言葉に、それだけの力がある。一人一人、自分が問われている映画だと私は思っています」

●映画「愛国の告白」公式サイト

http://doi-toshikuni.net/j/aikoku/

〇ぶんや・よしと  1987年MBS入社。2021年2月早期退職。 ラジオ制作部、ラジオ報道部、コンプライアンス室などに在籍。 福島原発事故発生当時、 小出裕章さんが連日出演した「たねまきジャーナル」の初代プロデューサー

冒頭の写真のコピーライツは (c)DOI Toshikuni

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