大阪のメディアを考える  「大阪読売新聞 その興亡 」 1  安富信

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序に替えて

新聞記者は、1を聞いて10を書く。

いやいや、100を聞いて10を書く。

どっちが正解か? 理想的なのは、もちろん、後者だろう。

しかし、昔々、私が新聞記者をやっていたころは?

なぜ、こんなことを今、書き始めたのだろう?

どうも、今の新聞記者たち、100を聞いて、1も書かないのではないだろうか、失礼ながら。不思議でしょうがない。例えば、内閣記者会での会見の様子を見ると、誰が記事を書いているのだろうか? と思ってしまう。

そんなことを日々、感じていた。この十数年。やばいっ、このままじゃ、とひしひしと感じるようになった。今、書き残さなきゃいけないと思った。

そもそも、新聞記者はなぜこんなに大人しく、かつ行儀よくなったのだろうか? 昔は「インテリやくざ」と呼ばれていたのに。つまり、ある程度の教養はあるが、取材でやることは、道義的にも方法論的にも問題が多い。いや、問題が多いどころか、犯罪すれすれだった。いや今、そのことを自慢する気もないし、罪を許してくれと言うわけでもない。もちろんだが。要するに言いたいことは、なぜ、ここまで怖気づいているのか?

最近、最も驚いた「事件」は、2021年6月に北海道新聞旭川支社の1年生記者が、旭川医科大学の非公開の学長選考会議を取材中に建造物等侵入容疑で逮捕されたことである。有り得ない! 報道の現場は今、こんなことになっているのか? 記者たちはどんな取材をしているのだろうか? 暗澹たる気持ちになる。そんな思いを抱きながら、今こそ書かなくては!いや、書き残しておかなければならない、という義憤に似た気持ちを持った。但し、結構、ええ加減な楽しい記者生活を送ってきたので、馬鹿馬鹿しい話や時には「それって?」という内容も含まれるだろう。それは、若気の至りだろうし、「時効」ということもあるので、お許し願いたい。また、ほとんどは自分自身が体験したこと、見聞きしたことを柱に書こうと思っているが、中には伝聞も含まれる。なるべく再取材を重ねたいと思っているが、記憶違いがあれば、とみにお許し願いたい。では、始めましょう!

なんで大阪読売新聞に?

子供のころから、おっちょこちょいで、小学校の通信簿の性格判定では、必ず「情緒不安定」と書かれた。いわゆる今で言うところの多動性障害児童だった。生まれ育った神戸市灘区の下町は、そんな男子にとって極めて魅力的な街だった。近くに水道筋商店街という約450mのアーケードがある楽しい遊び場があり、小学生時代は夏場の4と7の付く日は、金魚すくいやりんご飴などの出店が100以上も並んだ。神戸まつりの前身となる「みなとの祭り」(毎年5月)では、商店街のすぐ南を東西に走る山手幹線を、ミス神戸を乗せた花電車(市電に花で装飾した電車)が何台もパレードをした。

小学5年生のころ、神戸市灘区の自宅前で弟の真二くんと。 (1965年頃)

丸坊主の少年が安富さん。中学生1年生の頃、近所のおばさんと友だちと。(1968年頃)

そんな少年の夢が、新聞記者になりたいだった。当然、幼いころ、たぶん10歳ごろ、NHKドラマでやっていた「事件記者」を見たからだ。しかし、サッカー少年を終えた高校卒業時は、弁護士に夢が変わり、1浪後、同志社大学法学部法律学科に入学した。しかし、入学後数日で弁護士の夢を捨てた。司法試験の合格者の発表掲示板を見たから。合格者は確か数人で、卒業後10年を経た先輩ばかりだった。以降、大学では、いわゆるノンポリ学生、いやもっと言えば、サークル活動(ヨット愛好会)を中心に、麻雀とパチンコに明け暮れ、喫茶店に入り浸り、漫画雑誌のジャンプやチャンピオンに夢中になる遊び人の大学生だった。大宅壮一氏が「1億総白痴化」と1960年代の日本人を揶揄していたが、私たちは当時の周囲の学生を文字って「1億総白痴大学」と呼んだ。

右から2人目が安富さん。大学2年生のとき、ヨット愛好会メンバーらと。

そんな不良学生にも4回になると、就職の壁が近づいて来た。1979年に卒業した当時の就職活動は10月1日が解禁だった。わが同志社大学は大学の移転闘争(京都と奈良の境に造成した田辺キャンパスへの一部移転)で4年間、すべて前期・後期試験時は反対する過激派学生たちのせい(おかげ?)でバリケード封鎖され、試験はなくすべてレポート提出だった。比較的要領の良い筆者は成績は上位だった。そこで、4年の夏休みごろに進路を定めた。マスコミ、それも、新聞記者に。

新聞記者志望のきっかけはテレビドラマ

これも単純ながら、当時のテレビドラマの影響だった。竹脇無我主演の新聞記者を主人公にしたドラマ「いろはのい」だ。タイトルバックがかっこいい。今でもよく覚えている。竹脇無我が公衆電話から原稿を送っている(専門用語でいえば、勧進帳で吹いている。勧進帳については後に説明する)。後方で爆発音が起き、猛煙が上がっている。「現場は喫茶イグレッタ。エじゃない。いろはのイだっ!」。そう叫ぶ記者。なんて、かっこいいんだ。事件現場では血相を変えて他社との競争に明け暮れる記者たちだが、何もなければ、記者クラブでタバコを吸いながら麻雀に興じている。それもかっこいい、と思った。

とは言っても、マスコミ業界は当時も今も狭き門だ。本当はテレビの方が好きなのだが、当時、放送記者になるには、「コネ」がなければなれない、と巷間伝えられていた。新聞社もある程度「コネ」がいるが、テレビほどでもないと聞き、新聞記者に焦点を定めた。筆者も、叔母さんが大阪読売の元社会部記者が高校時代の同級生だと聞いて、一度お会いしたが、「何の役にも立たないよ、と助言してくれただけで、合格する可能性は極めて低い。当時の大阪読売の記者採用の倍率は約500倍だったと聞く。それで、当時、新聞社の採用試験(筆記試験)が押しなべて11月1日以降、他の民間会社の面接開始が10月1日だったため、新聞記者になることは半ばあきらめながら、10月中旬までに民間会社の内定を取った。

そのあとに挑んだのが、地元紙神戸新聞と大阪読売新聞だった。当時は、全国紙と言えば、朝日だったが、最も現実的に筆記の試験日が同じだった神戸新聞を選んだ。確か11月1日だったかな? 大阪読売は11月3日だった。なぜ、読売を選んだか? 神戸に生まれ育ち、家で取ったことのある新聞は、神戸新聞か産経新聞だけだった。新聞社を目指してからは、朝日新聞も一時期読んだ。しかし、読売新聞は読んだこともなかったし、夏ごろまでは受ける気もなかった。

初めて読んだ読売新聞に衝撃!

しかし、ある日、大学の図書館で試しに読んでみた、びっくりした。「こんな新聞、今まで読んだことないわ」「なにこれ?不思議な新聞やな」。

朝刊の社会面にドーンと連載記事が載っている。タイトルは「男と女」。ある日の夕刊の一面トップ記事は、「大きな自転車どけてちょうだい」。大阪市内の歩道を駐輪自転車がふさぎ、障がいのある人たちが歩けないという記事。そして、一番面白かったのが、夕刊の第2社会面で連載されている追跡シリーズ。鹿児島県の喜界島から大阪に就職した女性の殺人事件を追った「あるOLの死」。中学生の自殺を追った「ある中学生の死」では、最終回にデスクが自らの自殺未遂体験を告白した衝撃のラストだった。ああ、こんな記事を書きたい! 痛切に読売新聞に入りたいと思った。あとから考えれば、名物社会部長・黒田清さんが擁する「黒田軍団」の記事だった。

筆記試験や論文作成をなんとか合格した。当時の大阪読売新聞の論文、記事作成はユニークだった。確か、前年がリヤカーを引いた青年がアフリカ大陸を横断した「田吾作、アフリカを行く」が話題になったころで、1枚の写真を見て、記事を作成しろ、だったし、筆者の時は、「君は新聞記者として、日本最大の広域暴力団のトップと単独会見に成功した。その模様を書け」だった。神戸市灘区に生まれ、暴力団山口組本部にアルバイトをしていた寿司屋の出前で本部内を少し覗いたことがある筆者は思わず、心の中で叫んだ。「ラッキー!」と。

迎えた最終面接。20数人がいた。中には昨年の最終面接で落ちたという2人もいて、親切に心得えなどを教えてくれた。2人共同期となったが。当時の会社面接では、今ほど、思想信条や個人情報などを守秘することは全くなく、志望動機書などには、平気で支持政党、好きな球団、相撲取り、家で取っている新聞などを書かされた。後で聞いたのだが、最終面接前後に、近所で筆者本人や家族のことなどを聞きこむ変な人も来たそうだ。(のちに、先輩記者が『俺、お前の家に行ったよ』と告白する人もいて驚いたものだ)。

とにかく、そんな雰囲気で面接を受けた。面接官は、巨人ファンで有名なS社長と、F編集局長と黒田さん、あとI人事部長がいたかな? 質問で覚えているのはS社長の一言。「君は阪神ファンで社会党支持と書いているが、読売が巨人軍って知っているよな」だった。あちゃあ、あかんかと思ったので、多分、こう答えたと思う。なにしろ40年以上前なもんで。「父が阪神ファンで、私も5歳からファンです。読売新聞に入りたいと思ったのは今年の夏からです。あと、柏戸関、社会党が好きなのは、判官贔屓だからです」。えらそうに。大好きな黒田さんからは、質問してもらえなかったと記憶する。落ちたと確信したが、数日後、内定の電話をいただき、腰を抜かした。ついでに言えば、神戸新聞からも内定をいただいたが、読売の方が数10分早く電話をいただいたし、大阪読売に惚れ込んでいたので、読売を選んだ。母は嘆いたが。(つづく)

やすとみ・まこと
神戸学院大現代社会学部社会防災学科教授
社団法人・日本避難所支援機構代表理事

 

 

 

 

 

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