
映像作家が全く想定しなかった事態、被写体の状況が、監督の当初の制作意図を離れてキャメラに記録されるというのは、ドキュメンタリー映画の大きな魅力でしょう。
映画『選挙と鬱』は、お笑い芸人・水道橋博士が参院選に出馬し当選するまでを描く選挙ドキュメンタリー映画になるはずだったのが、当選から数か月後、本人が鬱症状を発症し議員辞職にまで至る顛末が記録された、当初の意図とは別の映画になった作品だと言えます。そういう意味では、途中描かれるコロナ禍のようすや安倍晋三元総理狙撃事件の衝撃も含めて、監督が恐らく構想していたであろう「面白い選挙!」を記録する映画にはならず、作品がより陰影濃く、重層的になって、ドキュメンタリー映画として「より深く、面白くなった」と言えるのではないでしょうか。

主人公の鬱発症を「晴天の霹靂」だと監督は語っていますが、博士の夫人・千枝さんは彼の躁うつ病を過去にも数回経験し、再発の不安を持っていたと言うし、選挙スタッフの原田専門家も選挙期間中、いつか鬱状態になるのではと思っていたと言います。そういう意味では「晴天の霹靂」だったのは、博士の過去をよく知らなかった青柳監督だけだったのかもしれませんが。

ここでひとつの疑問が映画の観客として頭に浮かびます。勝手な想像をお許しいただきたいと思いますが、水道橋博士はある種の躁状態で参院選に立候補し選挙を戦っていたのではないのだろうかという疑問です。そのように受け取れる選挙期間中の場面カットもあったのではないでしょうか。
さらにそれは博士の個人的事情だけではなく、そもそも現代日本の選挙なるものが、権力闘争や支持者拡大を巡って、過剰なポピュリズム、匿名のSNSの影響力増大など、候補者とその支援者がある種の精神的高揚状態になければ乗り切れないものなのではとの疑念に観客を誘います。
そして博士が辞職にまで至った「政治家という職業」自体が、そのような選挙の延長上にあって、慢性的に気分の高揚した状態でしか続けられないものなのでは、という疑念にまで行きつきます。「職業としての政治家」の思考様式や発言や行為が、一般の有権者の意識・内面との相当な隔たりがそこにありはしないのかと考えさせられてしまいます。

一方で国政選挙にせよ地方選挙にせよ、有権者のほぼ二人に一人は行かない「無関心」という現実はどのように相関しているのでしょうか。
太平洋戦争の敗戦から80年、お笑い芸人・水道橋博士の選挙戦とその後の「鬱」を見つめることで、現代の日本に生きる私たちにあらためて「職業としての政治」とはなにか、政治を職業にしようとする人たちを選ぶ選挙とは何なのか、私たち自身の思考回路や心の在り様と重ねて思い巡らす、そんな貴重な機会をくれる、まさに今観られるべき「現代日本の心のドラマ」と言えるドキュメンタリー映画の逸品ではないでしょうか。
●毎日新聞大阪開発株式会社エグゼクティブ・プロデューサー 園崎明夫
〇ドキュメンタリー映画『選挙と鬱』 6月28日より東京・ユーロスペース、関西では7月5日より大阪・第七藝術劇場、7月4日より京都シネマ、7月12日よる神戸・元町映画館で上映開始

なお、冒頭の写真のコピーライトはノンデライコ/水口屋フィルム
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