スタンドバイミー@水道筋「あの頃ぼくらはアホでした」⑨ 安富信

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そろばん学校大好き「ハナクソ〜」と叫ぶ先生

 授業は楽しいのだが、もっと楽しいのが放課後だった。
 掃除が終わって正門を出ると、物売りのおっちゃんがいた。スーパーボールや型抜き、アイスクリン、変な文房具……なかでも騙されたのが、ヒヨコ売りだ。金タライの中に黄色いヒヨコがびっしりといた。100匹はいたかな? おっちゃんは言う。
「オスかメスかわからんで〜」
「ひょっとしてメスだったら、卵を産むかも?」とアホな小学生は期待する。
 100円くらいだったかな? 1日のお小遣いが10円か20円だったから、かなり高い。おカンに拝み倒して1匹買ってもらった。オスのニワトリに育って困った。「全てオスと識別されたヒヨコだ」と後で聞いた。

今の稗田小学校校門。昔はこんな門扉なかった。この前に怪しげなおっちゃんの出店があった。坂道が多く、何故か、用水路?が流れている

 正門のすぐ前には文房具屋さんがあり、必ず寄った。水道筋3丁目を南に下がった(神戸は坂道の地区が多く、上がる下がると言う。山側、海側とも)ところにも、「高瀬文房具店」さんがあって、優しい夫妻に癒されてガキたちは毎日通った。南隣には「泉貸本屋」があった。街には貸本屋がいっぱいあった。漫画1冊5円だったかな?
 当時の人気漫画は、「巨人の星」に「あしたのジョー」「ハリスの旋風」だった。マガジン、サンデー、キングの3大少年週刊漫画誌が全盛時代だった。マガジン、サンデーは共に昭和34年(1959年)7月創刊。やっさんが3歳だったが、何故か創刊当時を覚えている。創刊サンデーの表紙は、巨人長嶋でマガジンは大相撲の朝潮だったことも覚えているが、これは後付けか?

水道筋3丁目交差点を南に下がったところにある小さな商店街。昔はもっとたくさんあった。右はやっさんの祖父が起こした「高橋米穀店」

 Wikiによると、創刊当時はサンデーが1冊30円でマガジンが40円だったが、5号からマガジンが30円に値下げしたとある。やっさんが毎週買っていた頃は、共に50円だった。マガジン派だった。ちばてつやの「ちかいの魔球」に始まり、「黒い秘密兵器」「8マン」「紫電改のタカ」「丸出だめ夫」、そして「巨人の星」であり、「あしたのジョー」だった。「ハリスの旋風」はサッカー編で狂気したものだ。サンデーには、横山光輝の「伊賀の影丸」、赤塚不二夫の「おそ松くん」「天才バカボン」、その他「サブマリン707」「オバケのQ太郎」「パーマン」などが目白押しだった。やっぱり、みんな読んでいたなぁ! ついでに言うと、キングは4年遅れの創刊で、「少年忍者部隊月光」「柔道一直線」「怪物くん」「ワイルド7」なんかが人気だった。皆読んでたな。
 でも、毎週マガジン、サンデー2冊を買うと、週100円も要る。毎日の小遣いを溜めているが、買い食いなどするものだから、足りない。それを補ってくれたのが、「勉強学校」と呼ばれていた塾と、そろばん学校だ。授業が始まる何時間も前に行って、控え室で壁際の本棚にいっぱい並んだ漫画を貪り読んだ。そんな仲間が何人もいた。そろばん学校はいつもいっぱいだった。

サンデー、マガジンの創刊号(昭和59年7月) 「あしたのジョー」は人生を教えてくれた
「ハリスの旋風」お茶らが大好きだった  「巨人の星」。明子姉さんが好きだった。

 もう一つ節約法は、漫画をいっぱい置いてある友だちの家にお邪魔することだ。小学校低学年の頃は、週刊誌が出る前は、「少年」や「冒険王」を友だち家で読んでいた。高学年になってからは、専ら浦くんの家だ。浦くんのおカンは教育ママだったが、「勉強を一緒にする」という口実でやっさんは気に入られていた。途中で漫画を読んでても叱られなかった。
 漫画を読むときは必ずおやつを食べる。三河そろばん学校は、お菓子屋「秀石」から路地を入った平屋の一軒家にあった。当時、秀石の塩煎餅は1枚5銭で10枚で5円。これを新聞紙で作った袋に入れてくれ、そろばん学校の控え室で食べる。ジュースは安くて量が多い「チェリオ」。中学に入学してから初めて「コーラ」を飲んだが、薬のようだった。後に、一気飲みをするようになるのだが。
 そろばんはやっさんの性格に合っていたのか、ドンドン昇級した。「願いましては」で始まる三河先生の声はリズム良く、暗算は特に得意だった。「ご破算で願いましては」の先生の声に答えを間違えると、「ハナクソ〜っ」と三河先生は怒鳴ったが、みんな爆笑した。勉強学校は竹屋さんの隣だった。貸本屋さんの向かいには、氷屋さんがあった。電気冷蔵庫がまだ普及していない時代、氷屋さんで大きな氷をひと塊り縄袋に入れてもらうお使いをしたものだ。もちろん、かき氷にもなる。あと、八百屋、豆腐屋、果物屋、畳屋、中華屋なんかが、水道筋3丁目下がった地域にたくさんあった。懐かしいなぁ!

水道筋に残っている老舗の店たち

 水道筋商店街に串カツ屋さんが少なくとも3軒あり、その周辺にも10数軒あった。ほとんどが屋台、友だちのおカンがやっていたり、知り合いのおばちゃんが串カツを揚げていたりした。イモが5円だった。先日、串カツ船越で聞いたら、創業は昭和30年で今年70周年とか。今はやりの「町中華」もあちこちにあったが、やっさんらが中学帰りに通った阪神大石駅近くの「大石一貫楼 」や高校帰りに行った王子動物園近くの「原田一貫桜」は今はもうない。水道筋5丁目にあるうどん屋さんの「ちから餅」は今も営業している。国道2号線を挟んでかっちゃん家の前にある、おはぎや安倍川餅で有名な「ナダシン」では、昔店内でうどんが食べた。
 学校で給食をしっかり食べていたのに、お腹が空いていたのだろう。給食は、低学年の頃は脱脂粉乳だったが、次第に牛乳になり、鯨の竜田揚げが大好きだった。硬いコッペパンは嫌いだった。なぜか給食当番をした記憶がない。
 秋になると、不思議に学芸会を思いだす。出番がくるまで、何故か教室に待機していた。そのワクワク感とドキドキ感を。4年か5年だったか、学芸会のだしもの・浦島太郎の影絵が、当時毎朝放送されていた「おはよう子どもショー」に出演することになった。影絵の使い手、親友の藤本くんら数人だけが東京のテレビ局に行った。やっさんらは声の出演だった。悔しかった。(つづく)

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