スタンドバイミー@水道筋「あの頃ぼくらはアホでした」③ 安富信

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水道筋商店街は一大テーマパーク

 阪急電車王子公園駅は昭和40年ごろ、「西灘駅」という駅名だった(昭和59年に改称された)。改札口を出て東に5分ほど歩くと、アーケードが見えて来る。そこから450m、雨に降られない屋内パラダイスが続く。八百屋、魚屋、惣菜屋、パン屋、うどんなどの飲食店、居酒屋、スポーツ用品店、パチンコ店、なんでもあった。10歳のアホガキにとって、一大テーマパークである。本来の帰宅路からわざわざ遠回りした。

㊧灘中央市場の西口 ㊨かなり店舗が減ったが、八百屋や総菜屋、魚屋さんらが健在

「学校帰りに水道筋で買い食いしたら、あきません」
 小学校では何度も注意報が出た。でも、商店街の中に親たちの店があり、店舗兼住宅も多かったので友だちが多く住んでいた。同級生だけでも、漬物屋の南ちょん、洋品店の青木くん、布団屋のSさん、八百屋の宮野くん、クリーニング屋のいっちゃんら。だから、そんな注意はどこ吹く風だ。「友だち家に遊びに行く」と言って毎日、水道筋を抜けて帰る。
 思い出深いのは、「月光レコード店」(かなり以前に閉店)。初めてレコードを買った店だ。ザ・タイガースのSPレコード「モナリザの微笑」。330円だったように記憶する。隣の帽子屋でも野球帽を買った。もちろん、阪神タイガースだ。運動用品店で現在も健在な「赤玉スポーツ」では初めて野球のグローブを買った。メイン通りから奥の「灘中央市場」に入る。薄暗く雰囲気があった。南ちょんの漬物屋に挨拶して、魚屋さん前で油を売り、惣菜屋さんでは大好きなポテトサラダを「おカンが買って帰らないかな?」と期待しながらショーケースを覗き込んだ。
 水道筋6丁目から3丁目まで300mくらいを1時間もかけて歩いた。東畑原市場には、宮野くんの八百屋があった。彼には兄が3人いた。商売を継いだ長兄に挨拶して、豆腐屋で一休み。喉が渇いたのでソップという名の豆乳を飲む。15円だったかな? 表通りに戻るとおもちゃ屋があって、アーケードの最後に悪ガキたちのソウルフード「シンガポール精肉店」があった。コロッケ(1個10円だったかな?)を2個買って頬張る。至福の喜びだった。

㊧ザ・タイガースの「モナリザの微笑」 ㊨今もある「赤玉スポーツ店」
㊤メイン通りのエルナード水道筋(現在) ㊦昔の水道筋市場(昭和40年8月) 懐かしい店がいっぱい

 アーケードを出てさらに東へ。すぐ左に鳥屋があった。焼き鳥屋ではない。ペットの鳥を売る店だ。やっさんは小学校1年の時、おカンにせがんでベニスズメを数十匹買ってもらった。この後、文鳥、セキセイインコなどを次々と飼ったが、なぜかセキセイインコはよく逃げた。モルモットも飼った。
 さらに東へ、親父が行きつけの居酒屋の名店「高田屋旭店一色屋」が見えてくるが、夕方4時頃にはまだ、親父はいなかった。銭湯なのだが、なぜか温泉を名乗る「灘温泉」(後述するが、阪神・淡路大震災後にボーリングしたら温泉が出た)がある。向かいのお寺の前に小さな屋台があった。ギリギリ詰めて7人座れるかどうか。ここが、後にこの辺りのガキたちにとってもう一つのソウルフードとなる「串カツ船越」だ。今でも串カツの基本だと信じているいもが、確か1本5円(現在90円)で、必ず2本10円で買って食べた。

 
①アーケード東口。右手にシンガポール精肉店があった ②左手のオレンジのテント辺りに鳥屋があった 
③左に灘温泉。その奥に高田屋旭店一色屋、右に串カツ船越、大人のパラダイス ④船越の串カツ。芋が基本

 これで、「水道筋買い食いの旅」が終了する。しかし場合によっては、木村屋のクリームパンが加わることもある。とにかく、よく食べた。これだけ食べても晩ごはんをしっかり食べてたから、大したものである。しかし、悪いことは出来ないものだ。コロッケ食べた日の夕食には、シンガポールのコロッケが出たり、串カツが並んだりする。
 この商店街には夏になると、もう一つ楽しみが加わる。7月末から8月いっぱい4と7の付く日に「夜店」が出る。アホガキたちにはホントに楽しくって仕方ないイベント。神社の縁日が週に2回、商店街にズラッと現れるのだ。金魚すくいにスーパーボールすくい、りんご飴、的当て、もちろん、大好物の駄菓子屋さんがいっぱい並ぶ。夜9時か10時くらいまでだったかな?この日ばかりは夜遊びが許された。この楽しいイベントは最近復活したようだ。年に数回、実施されているらしい。

最近復活した水道筋の夜店。夏の楽しい思い出だ

 1か月以上もある夏休みは、遊び放題だった。当時、稗田小学校にはプールがなかったので、夏休みに入ると必ず1週間、5キロ離れた六甲小学校のプールに歩いて行く。それが済むと、自分たちで勝手にプール通いが始まる。王子動物園の裏にある市立王子公園プールだ。1960年に出来た夏期限定(7月1日〜8月31日)プールとあるから、やっさんが4歳の時から営業されていた訳だ。今でも中学生以下150円。無茶苦茶安い。やっさんが通っていた頃は時間制で、朝9時から夕方5時までで1時間10円か20円だった。8時間目一杯遊んで150円ほどだったから、ほぼ毎日行った。

神戸市立王子公園プール やっさんの脳裏に残っている風景は右の写真だ

 夕方5時を過ぎて帰路に付くが、真っすぐ帰らない。市電通りまで出て右折した所にあったイカ焼きを食う。15円だったかな。真っ黒に日焼けした顔でほうばりながら東に向かう。まだ帰らない。アーケードの300mくらい手前にあったたこ焼き屋さんに入る。ここは、東神戸でこの頃に育った人には記憶にあると思うが、だし付きのたこ焼き。明石焼きは卵焼きだが、ここはたこ焼きにトンカツソースを付けてだしに浸して食べる。今でもアーケード内にあるたこ焼き屋田中でこんな食べ方をするとびっくりされる。10個250円、だし50円だ。たこ焼きは値上がりしてるかも?

 田中のたこ焼き。だしを付けて食べる。10個250円、だし50円。うまいよ

もう一つ思い出がある。ラジオ体操だ。当時は、夏休みの40日間、ずっと朝6時からやっていた。歩いて5分の都賀川児童公園に通った。出席カードを首からぶら下げ、ハンコを押してもらい、皆勤したら、何かご褒美を貰えたものだから必死に通ったものだ。小川明夫くん(69)も毎日来ていた。そして、近所の判子屋のおじさんが台の上に立ってボランティアで体操指導をしていたのだが、「あのおっさんの体操、変やな〜」などと陰口をたたいていた。恩知らずだった。プールに行かない雨の日は、自宅の軒先で朝から晩まで人生ゲームをしていた。同じ地区に住む1年下のうえやま君とうちだ君の3人で。同じ顔と1日10時間以上やったのに飽きなかった。不思議やなぁ。宿題は要領が良かったから早目に済ませていた。(つづく)

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