<アメリカの対中国戦略のために日本の国土と軍隊が使われている。戦雲が全国に広がる>  ドキュメンタリー映画『戦雲』三上智恵監督トークイベント 

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ドキュメンタリー映画『戦雲』。三上智恵監督が2015年から8年かけ沖縄の南の島々をめぐり取材し続け、軍事要塞化がすすむ島々とそこに暮らす人たちを描く。『戦雲』というタイトルは、石垣島の山里節子さんが「また戦雲(いくさふむ)が湧き出してくるよ、恐ろしくて眠れない」と歌う石垣島の抒情詩とぅばらーまの歌詞からつけた。3月29日、大阪・十三の第七藝術劇場での上映後、三上監督が登壇、トークイベントが行われました。

三上智恵監督
目次

どんどん造られる弾薬庫、軍事利用される港湾・空港 全国に広がる軍事化

「今、対中国戦略、つまり覇権争いを優位にアメリカが戦うために、アメリカ軍の2軍として日本の国土と日本の軍隊が使われていく、このことをきちんと日本国民が理解しないと何も分からない、ということです」

「戦雲に包まれているのは、沖縄だけではありません。ここ近畿の頭上も、もう真っ暗に覆われています。みなさん、知っていますか?京都・祝園の自衛隊分屯地に巨大な弾薬庫が新たに造られるのを。弾薬庫が8棟もできてしまいます。大分に長距離ミサイルが置かれる弾薬庫が、沖縄より先に確実に造られます。日本中で弾薬庫が造られていきます。今の戦争のセオリーから弾薬庫は真っ先に攻撃対象になります。もう一つ、軍事優先で使うために日本中の港湾と空港が「特定重要拠点」にリニューアルされます。この映画が完成した後、「特定利用港湾」「特定利用空港」という言い方に変わりました。「特定重要拠点」というと、戦争拠点に使うという臭いがするからでしょう。政府が名称を変える時は、相当腹黒い時です。このリニューアル工事は公共工事ですから、工事にかかわる人は歓迎しています。しかし、この工事は戦争協力です」

どうして、このような軍事化が進むのか?

「半年から1年、日本列島で戦いを維持しないといけないという防衛省の方針があるからです。「台湾有事」というストーリーで始まるのか、わかりませんが、中国が日本を攻撃するような事態になった時、アメリカ軍が本気で対応するため、世界中のアメリカ軍を対中国戦略に配置するまでに少なくとも半年から1年かかります。つまり、アメリカ軍が来るまでの長い間、日本で戦うため、軍事化が進んでいるんです」

(C)2024『戦雲』製作委員会
C)2024『戦雲』製作委員会
陸上自衛隊 祝園分屯地

沖縄の基地問題は、沖縄で暮らす人たちの人権問題だ!

「大阪にある毎日放送を辞めて、琉球朝日放送に移って19年間ずっと、ニュースを伝え続け、ドキュメンタリー番組をたくさん作りました。どうして劇場用のドキュメンタリーの世界に入ったのか、とよく聞かれます。沖縄のテレビのローカルニュースは、トップニュース3本ぐらいが基地問題です。5本の日もあります。日々、アメリカ軍が事故や事件を起こします。夜子どもを歩かせることができないとか、騒音がひどいとか、レイプであるとか、ひどいものもあります。今はPFASといって、水の中に有害物質が入っていて水が飲めないとか、こういうアメリカ軍基地から派生してくる問題を日々、報道していると、どうやら敵はアメリカ軍だというようになっていきます。でも、早く気付くべきだったのは、アメリカ軍が敵だと思っているうちは、問題は解決できないということです。それを許している日本政府を問わねばならない。そして日本の防衛省の「国防」がまた沖縄の犠牲を前提にしていることを暴かなければならない。自衛隊を取材しないと、もう沖縄が戦場になってしまう、このことに明らかに気が付きました。宮古や石垣、与那国に自衛隊が入ってくる、それも、ミサイルを持って入ってくる、これがどういうことなのか、私も即座にわかりませんでした。アメリカ軍基地問題だと、全国の平和団体は連帯すると言ってくれますが、自衛隊となると、「それは考えが分かれる」「自然災害が発生した時にがんばってくれる」と引いてしまう。もちろん、自然災害の被害に対する活動に感謝しない人は、沖縄にもいないと思います。でも、戦争をする準備として、宮古や石垣、与那国の島を使うという話になってくると、アメリカ軍であろうと、自衛隊であろうと、同じです。日本国が、国防の名の元に、すべての沖縄の人たちが持っている人権を奪い続けているという問題だと読み解かないといけません。映画の中で、宮古の楚南有香子さんが自衛隊基地に向かって「<多少>の犠牲は仕方ない、この<多少>の中には、私たちが入っているよね。ふざけるな!」と言います。何度聞いても刺さる言葉です」

「哺乳動物である人間は群れの生き物です。<多少>の犠牲があったとしても群れ本体が生き延びればよし、という感覚がある。<多少>の犠牲は仕方ないという残酷さが、人間の潜在意識の中に存在していると思います。でも、常に<多少>の犠牲に入れられている沖縄に暮らす側からしたら、この残酷さにまで分け入らないと、基地問題は解けないと思います」

楚南有香子さん (C)2024『戦雲』製作委員会

全国ニュースにならない沖縄の基地問題

「沖縄の放送局は多くの基地がらみのニュースを放送していますが、全国のニュースにならないんです。東京にあるキー局、私が所属していた琉球朝日放送で言えば、キー局はテレビ朝日です。テレビ朝日のネットワーク担当デスクが、全国ネットのメニューを決めます。琉球朝日放送から毎日、基地問題のニュースが項目として上がりますが、特別なことがない限り放送されません。基地「反対運動」を取り上げるニュースは、「賛成運動」「賛成側」がないからバランスが取れていない、と公正中立論を持ち出して放送できないと言われたりしました。だから、基地問題が全国に伝わっていかない」

「放送局を辞めて今年で10年になります。最初の5年で4本の映画をつくりました。その後の5年で1本もつくらないで、2023年を迎えました。「三上さんは何をやっているのだろう?!」と言われながらも、どうしても映画をつくる気持ちにはなれませんでした」

どうして、そういう気持ちになったのか?

「各地で行われる自主上映会はとても強いんです。自主上映会にかかわる人たちは、「沖縄の問題は日本全体の問題だ」「沖縄で起こっていることは日本に来る」「沖縄が戦前になっているということは日本が戦前だ」と考え、動いてくれる人たちです。だから、そこにかけた、でも、辺野古も止められない、高江も米軍基地ができてしまいました」

「映画はつくるのにお金もかかります。時間もかかります。映画をつくっている間に島々が、人が住めないところになったらどうするの?!と焦って、だから、映画じゃないと思いました。映画をつくって上映しても、辺野古や高江の基地建設を止められなかった。自衛隊の島々への配備も止められないし、ドキュメンタリー作っても駄目じゃない、とやさぐれた時期が結構、ありました。なのに、どうして私が、映画に戻って来たのか。昨年、映画『戦雲』に先だって、スピンオフという番外編の上映会をするという、ちょっと社会実験みたいなことをしてみました」

「ここで、この5、6年を振り返りたいと思います。沖縄は、オール沖縄が盛り上がって、翁長知事が誕生し、野党共闘につながっていく、そういううねりがありました。その後、翁長知事が亡くなり、オール沖縄から保守の人たちが離れていきました。国政では、いわゆる戦争法案が通り、野党共闘がダメで、野党もダメになっていく、労働組合も弱くなっていきました。政権や権力の暴走を止めるために、がんばるべき団体がどれも、がんばれなくなってきました。これもダメ、あれもダメと文句を言っている場合ではない、というのがこの5、6年でした。だから、<出会い直し>するしかないと思います。みなさん一人一人でブレーキを踏むしかない、一人でブレーキを踏むより隣の人と一緒に踏んだ方がいいですよね。そういう個人の単位から<出会い直し>をするしかないと思います。そう考えていた時に、私が、この5、6年、泣きながら撮影した宮古や石垣、与那国の映像の自主上映をしてください、無料で使ってください、と呼びかけました。これが映画のスピンオフ、番外編です」

「映画は、フルコース料理にようにつくらないとダメだと思っています。食前酒に始まり、メインディッシュを食して、最後はスィーツとコーヒーでしめる、そういう順番で食事をするように、映画も順番に映像を流して、理解できるように編集する。だけれど、スピンオフは映画にする前の素材でした。鑑賞用ではなくて、先に走ってもらうための素材です。主催する人は来た人に説明する必要があるんです。「上映会をやってください」と呼びかけ、「5人とか、10人とか、誰が誰だかわかる人数にしぼって、上映会を開いてほしい」と言いました。これまで全国をまわって映画のキャンペーンをしてきて、スピンオフをやってくれるのは、100件ぐらいだと想定していました。ふたを開けると、去年3月から10月まで、全国1300か所で開かれました。1300か所からすごい熱のあるメッセージが毎日毎日、届きました。「三上さん、ちゃんと伝えてよ!だれもやってないんだから、あんたがやんなさい!」とたくさんの応援が来ました」

三上智恵監督

「起きている現実を把握するためにはドキュメンタリー映画を観るしかない」

「『マガジン9』というサイトで、私は10年、情報を発信しています。2日前の3月27日、沖縄県中部のうるま市で起こっている問題を取り上げました。自衛隊勝連分屯地が奄美から与那国までのミサイル戦略司令塔の場所になってしまいました。さらに、うるま市の住宅地近くのゴルフ場跡に陸上自衛隊の訓練場を建設するという計画が立てられました。これに反対する集会が行われ、1200人の市民が集まりました。今、こうしたすごい動きがあるんです。みなさん、知っていますか?本土で報道されていますか?伝える人がいないんです。どうして報道してくれないのか!だから、伝えられる人が伝えるしかない。ネットに流れるニュースには嘘が多くあります。現場に行っていない記者がネットで検索されるワードを散りばめ原稿を書き、そのニュースが検索されて、どんどん読まれて、ヤフーニュースに上がってきます。それが、多くの人に読まれるニュースなんです。長年、報道取材をしてきた立場からすると、権力に対抗するためには、正面からだけではなく、あの手この手を使って、ウラグチから入って、情報を取って来ないといけないんです。ジャーナリスト界で「伝説」と語り継がれる報道写真家の福島菊次郎さんは、ドキュメンタリー映画『ニッポンの嘘』の中で、「カメラマンは法を犯してもいいんです」と語ります。この言葉は、取材する相手が法律を犯している権力側である場合、報道する側がルールを守りながら取材して嘘を暴けますか?という気概を言っているんです。名言だと思います。でも昔はそうやって、嘘を暴いたジャーナリストは評価されましたが、今の記者たちは、「コンプライアンスを守れ」と言われてしまっています。お行儀のいい記者が評価され、飛び跳ねるようなことをすると「〇〇の局員のくせに」など、すぐに炎上します。全体像とは無関係の小さなことを突いて記者を引きずり落とす、そんなことを一生懸命やっている人が増えています。これでは、まともな記者が育っていきません。誰が悪いのか。コンプライアンスを重んじる内向きの会社も悪いと思いますが、コンプライアンスが肥大化していくのは、ニュースを見る側がモンスターになって自ら知る権利を狭めている面もあると思います。もう、ドキュメンタリーしかないと思います。世界で起きている出来事を、フェイクニュースに惑わされずにちゃんと把握したいのであれば、映画館に行って、ドキュメンタリーを観た方がいいと思います」

「どうしようもなくなったら、最後は、歌って生きるしかないよ」 自衛隊基地前で歌うオバー

「宮古と石垣に、どんどん自衛隊基地ができて、自分の敗北感と向き合うことになりました。だから見たくはないですけど、いよいよミサイルが入る、とか、戦車が来る、というときに宮古や石垣に取材しに行くと、島の人たちは、「三上さんが来たということはもう、決定的な日ということね」と落胆されたり。正直、取材しに行くのが、つらかったです。与那国は私が昔から通っていた島です。与那国は元々、自衛隊基地がなかった島です。でも基地を巡って住民投票をするなど分断が進んだ時期に、私は取材していませんでした。そんな自分が「自衛隊と一緒に暮らし始めて6年が経ちましたが、どうですか?」とマイクをもって島に入ってくるのは嫌ですよね。「戦車が走っているのを見て、どうですか?」と聞くのは、私が与那国の人たちの立場だったら、「何を今さら!」と思いますよね。容認した人にとっても、自衛隊基地建設に反対をしてきた人たちにとっても、取材者は歓迎されないです」

「映画の主人公の一人が与那国の川田一正さん、川田のオジーです。自衛隊基地に対して、確固たる思想など持っていません。川田のオジーは、元々は反対でしたけれど、漁協全体で賛成するとなって、「いいこともあるさ」と言って賛成した、けれども、自衛隊基地があるからミサイルが飛んでくる可能性があると知って、「自衛隊基地がない方がいいさ」、だけど港を掃除してくれる、「あった方がいいさ」と揺れ動くんです。自衛隊基地に賛成か反対か、イデオロギー的に立場を決めている人は多くいません。沖縄もそうです。最初、与那国に沿岸監視隊として自衛隊が来ましたが、反対する人たちは、「それでは終わらない。いずれアメリカ軍が来る」「自衛隊がミサイルを持って来ないと言っても、いずれ持ってくる」そういうことがわかっていたから反対しました。けれども、ミサイルもアメリカ軍も来ないという防衛省の言葉を信じた人は、とりあえず人口や税金が増えるのはいいことだ、と受け止めたわけです。息子の友達の父親が自衛隊員だったり、自衛隊員の妻と職場が一緒だったり、そういう中で、ずっと反対し続けるのは、大変なことなんです。そこへ私は取材に行くわけです。川田のオジーはカジキ漁の腕がいいので、たくさんのテレビ取材を受けていて、「NHKにも撮らせたさ。中国のテレビにも撮らせたさ。みんな、オレだなあ」と言って、とってもオープンで明るい人です。だから、私が与那国に行くのがつらい時は、川田のおじいに合うことだけを楽しみに通いました」

  

川田一正さん (C)2024『戦雲』製作委員会

「石垣の山里節子さんには、2016年に初めて会いました。その時、節子さんに「祈るだけでは平和は来ないけど、祈りなしには平和はつかめないのよ」と言われました。前半はわかりましたが、どうして祈りがなくては平和まで到達できないのか、わかりませんでした。それから、長い間、石垣と沖縄本島を行き来して、おつきあいをしてきました。節子さんは「いのちと暮らしを守るオバーたちの会」のメンバーです。オバーたちはみんな、素晴らしい人たちで、知恵をたくさん知りました。石垣に自衛隊基地が開設されるその日の朝、私は胸がつぶされるようでしたが、節子さんは笑っていました。「なんで、笑っているんですか」と聞くと、「いてもたってもいられない、泣いても笑っても、どうしようもなくなったら、最後は、歌って生きるしかないよ」と。最後は歌なんです。人頭税の時代に遡ります。人頭税は琉球王府が課した重税です。特に石垣をはじめ離島での取り立てが厳しかったのです。沖縄本島の人たちはこの酷い人頭税に鈍感なままでした。自衛隊問題が宮古、石垣、与那国に襲いかかった時に、沖縄本島のメディアも反対運動も、なかなか動きませんでした。離島のことに関心が薄い。「人頭税の世界と何も変わっていない」という嘆きを何度も聞きました。宮古の国選択無形民俗文化財のマストリャーの祭り、男性は勇壮な棒踊り、女性はたおやかな手踊り、このマストリャーは、人頭税を納め終わったという喜びと、明日から食べものがないくらい収獲を持っていかれてしまう悲しさで、三日三晩、気が狂ったように踊り続けたことが起源といわれます。人頭税の時代からの、抑圧の中でも前を向いて生きる知恵を、オバーたちが今、自衛隊基地反対の現場に届けてくれるわけです。自分たちの気持ちを保つために、歌い、祈る。その歌と祈りは最後まで奪われない。逆に言えば、そこまで危機感が島を襲っているということです」

山里節子さん (C)2024『戦雲』製作委員会

無責任に「怖い、怖い」と言うことが軍事化をすすめている

「怖い、怖いと思わされて、軍事化政策が政府の思い通りにすすめられて、税金を集められる、そういうことに乗せられ放題だったら、まさに戦雲を呼ぶ側になってしまいます。ネット上では「中国が…」「北朝鮮が…」と危機が迫っているとする言説が飛び交い、「自衛隊は能力を上げている」と盛り上げています。テレビでは自衛隊の服を着た女性芸人が人気です。そういう空気の中で、宮古、石垣、与那国の人たちの生活がつぶされていく、そういう構図が出来上がってしまっています。本土の人たちは、他の国が軍事力を増してきていることを知り、ガザやウクライナの現状を見て、どうしよう、どうなるのかと考える、国防を考えるのは当たり前だと思います。しかし、無責任に危機を盛り上げ、軍備増強で安心したいと安易に流れていった結果、武力攻撃事態に備えて島を出ろと言われる人たちが作られた。そんな驚きと悲しみ、くやしさを抱える島があることを知らなくていいわけはありません。この構図がおかしいんです。だから、この構図をまず、壊しましょう。壊すためには、現実を知らないといけないですよね。だから、正しく恐れるために、正しく国防を考えるために、今、島の人たちが、日々どれほど恐れながら生きていかなければならないか、どんな悔しい思いで島を捨てなければいけないか、そういう状況を見届けてほしい。今日、この映画館に来ている人は、何かモヤモヤしたものを抱えて、知らないといけない大事なことが起こっていると思っている人たちだと思います。今日ここで、みなさんは、観客というより目撃者になったと思います。目撃者になったということは、すなわち、当事者になったということだと思います」

(C)2024『戦雲』製作委員会

「住民を守ります」と言った自衛隊長と沖縄戦で生み出された不幸な軍人がだぶって見える

「映画の中で、自衛隊の隊長が「住民を守ります」と言う瞬間があります。住民が説明会で「武力攻撃予測事態だったら、作戦行動が優先なんだから、助けてくれないですよね」と聞くと、この隊長は「住民を守ります」と言いました。この時、私は泣きそうでした」

「ここで、前作『沖縄スパイ戦史』の話をしようと思います。この映画で陸軍中野学校を取り上げました。護郷隊に属する15、16歳の沖縄の少年兵が、日本軍の特務機関「陸軍中野学校」出身青年将校に鍛えられ、1000人もの少年兵が沖縄の北部で沖縄戦を戦いました。「陸軍中野学校」出身者は沖縄戦でどんなことをしたのか。それは秘密戦です。秘密戦とは何か。武力でもって戦う、表の戦争の裏で、ありとあらゆることをやらないと戦争は勝てません。相手だけではなく、自分の国の国民を騙さなければならない、兵隊を騙さなくてはならない、住民を働かせなければなりません。日本軍は、連戦連勝だと住民を騙して沖縄に入って、騙された住民はこれで島は助かったと喜んで軍隊に協力しました。住民に食糧を増産してくださいと命じました。日本ほど補給を怠った軍隊はないと言われています。何の食糧もなく、武器も補充がなく、さらに、沖縄の一つの師団がごっそり台湾に行ってしまって、その後、補充の兵隊は送り込まれませんでした。沖縄の軍隊は見捨てられた軍隊でした。沖縄戦では、兵隊たちは沖縄の人たちを助けないどころか住民を直接殺めてしまいました。しかも何百人単位です。この兵隊さんたちは、性格が悪かったんですか?パニックになったから住民を殺したのですか?そうじゃないですよね。どういう理屈でそうなったのか?日本軍は、飛行場を造らないといけない、飛行機を隠す掩体壕を造らないといけない、ボートを隠さないといけない、しかし労働力が足りない、だから住民に手伝ってもらいました。手伝ってもらったら、住民みんな、軍の情報を知ることになりました。軍の機密を知っている住民は、かりにアメリカ軍に拉致されて「爪を剥がすぞ」と脅され尋問されれば、どこに日本軍の本部があるのか、軍人は何人いるのか、人間だから答えてしまう。その住民がアメリカ軍に捕まれば、日本軍の情報がアメリカ軍に伝わってしまう。だから、生かしておくわけにはいかない。日本軍は、住民に対して、集団自決で消えてもらう、マラリアで死ぬのがわかっているところに行かせる、見せしめのために虐殺する、こういうことで軍機を守り保身を図ろうとした。私は「沖縄スパイ戦史」という映画を2018年に公開した後、『証言 沖縄スパイ戦史』という本を書きました。沖縄の住民と兵の証言集です。沖縄の人を殺めた兵士の一人、井澤曹長を深追いしました。彼は、アメリカ軍の将校を殺すようなすごい武人で、武勇伝がたくさんあります。彼は沖縄の住民を少なくとも6人殺しています。陸軍は、住民をどう扱うのかのマニュアルをつくっていました。彼は住民を殺しましたが、沖縄戦に参加した日本兵の中に、沖縄の人を殺めようと思って島にやってきた兵士は一人もいなかったと思います。彼は沖縄のジャングルで起きた地獄のような状況から生きて、戦後、本土に戻りました。多くの元日本兵が毎年、慰霊の日の6月に沖縄に来ます。おそらく、彼は一回も来なかったと思います。来られないでしょう。かといって平然と生きることができたのか?」

「井澤曹長と、「住民を守ります」と言った自衛隊の隊長さんがだぶるんです。彼が「住民を守ります」と言った言葉に嘘はないと思います。いろいろな島の行事に参加する彼を見ていて、誠心誠意やっている人なんだと思いました。でも、ミサイルが降ってくるような事態になり、彼が島の人たちを守ることが出来なかった場合、彼は、どんな思いで、そこで命を終えるのか、あるいは、生き残って、井澤曹長にように抱えきれない心の負担を持って生きなければならないのか。どちらかです。そう考えた時に、79年前の沖縄戦で生み出された不幸な軍人を、どうして、日本はまた生み出そうとしているのか。アメリカの作戦の一部として、なぜ、自衛隊にそんな仕事をさせるのか。誰の命も、軽んじられていい命があるわけがない。島の人たちの命が軽んじられている状況があるのなら、なんとか変えたい。島の人たちが全員逃げられても、最後までミサイルを抱えて死んでいかなければいけない人をつくっている、今の状況を変えたい、変えなければならない。変えられるのは、選挙権を持っている私たち有権者しかいないんです」

●ドキュメンタリー映画『戦雲』 全国で上映中

〇『戦雲 要塞化する沖縄、島々の記録』(著:三上智恵 集英社新書)

集英社 ― SHUEISHA ―
戦雲 要塞化する沖縄、島々の記録/三上 智恵 | 集英社 ― SHUEISHA ― 戦力配備が進む南西諸島の実態に迫った8年の記録「圧殺されたのは沖縄の声だけではない。いつか助けを求める、あなたの声だ」◆内容◆アメリカと日本政府が主導する、近隣諸...

●『マガジン9』(この中で「三上智恵の沖縄撮影日記」を連載中)

マガジン9
マガジン9 憲法と社会の問題のこと。

〇『ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会』メールマガジン (三上監督はこの会の設立呼びかけ人の一人)

ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会 - ...
ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会 - 「島々を再び戦場にさせない」――皆さまのご賛同を広く呼びかけます。 ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会 - 「島々を再び戦場にさせない」――皆さまのご賛同を広く呼びかけます。

●編集担当:文箭祥人 1987年毎日放送入社、ラジオ局、コンプライアンス室に勤務。2021年早期定年退職。

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