10月2日、大阪・十三の第七藝術劇場でドキュメンタリー映画「バビ・ヤール」が上映され、その後、東京大学大学院人文社会系准教授/近現代ソ連史研究の池田嘉郎さんがオンラインで映画の解説を行った。報告します。
映画「バビ・ヤール」のチラシにこう書かれている。
「1941年9月29日、僅か2日間で3万3771名のユダヤ人が殺害された」
「ウクライナのキエフ近郊 バビ・ヤール渓谷」
「異才セルゲイ・ロズニツァが大量虐殺の始まりとその後を描いたホロコースト映画」
映画「バビ・ヤール」はアーカイブで発掘された数多くの記録フィルムを再構成して、バビ・ヤールの虐殺とその忘却の経緯を描く。
ロズニツァ監督<ユダヤ人弾圧にはウクライナ人も関与した>
ここで第2次世界大戦勃発の歴史を簡単に振り返る。
1939年8月、ソ連はドイツと不可侵条約を結ぶ。9月1日、ドイツ軍はポーランドに侵攻し、9月3日、イギリス・フランスはドイツに宣戦し、第2次世界大戦が始まる。ドイツ軍はポーランドの西半分を占領し、ソ連軍も同時にポーランドの東半分を占領した。これは独ソ不可侵条約の秘密協定による。
ソ連軍が占領した地域は現在のウクライナの西部、リヴィウという街がある。池田さんが解説する。
「リヴィウには、ポーランド人が中心でしたが、多くのウクライナ人、ユダヤ人も暮らしていました。ソ連占領下、多くのリヴィウ市民は、ソ連はユダヤ人とつるんでいると見ていました。また、ソ連はポーランド人の地主や企業家などを抑圧しました。ソ連占領下の2年間でリヴィウ市民のユダヤ人に対する恨みがすごく高まります」
1941年、ドイツ軍がソ連に宣戦。リヴィウはドイツに占領される。映画の冒頭部分はドイツ軍がリヴィウの町を占拠し、ナチス・ドイツを歓迎する市民の映像が映し出される。ヒトラーのポスターが張り出されるシーンもある。
「リヴィウでユダヤ人に対する復讐が起こります。ユダヤ人を棒で殴ったり、ユダヤ人女性を虐待したりします。このときのショッキングな映像が映画の最初部分に出てきます」
「ロズニツァ監督が言いたいことは、単にナチス・ドイツがユダヤ人をやっつけただけではなく、ウクライナ人は率先して、ナチス・ドイツと組んだということです」
ナチス・ドイツは侵攻を続ける。1941年9月19日、ついにキエフを占領する。9月24日、多くの市民を巻き込む大規模な爆発が発生。ソ連秘密警察がキエフから撤退する直前に仕掛けた爆弾を遠隔操作で爆破したのだ。しかし、疑いの目はユダヤ人に向けられた。翌日、ナチス・ドイツはキエフに住むユダヤ人の殲滅を決定し、全ユダヤ人に出頭を命じる。
1941年9月29日から30日にかけて、移動虐殺部隊は地元住民の抵抗もなく、キエフ北西部のバビ・ヤール渓谷で多くのユダヤ人を射殺した。女も子どもも老人も皆身ぐるみを剥がされ無慈悲に殺された。
映画でバビ・ヤールでの虐殺の瞬間は映像で示されていない。その代わりにドイツの写真家が撮った翌日の写真が写し出される。映画の字幕にこうある。
「33,771名のユダヤ人が射殺された」
池田さんはこう解説する。
「リヴィウにおいては市民がユダヤ人を狩り立て、キエフにおいてはユダヤ人迫害をとめるものはだれもいませんでした。ロズニツァ監督は<ユダヤ人弾圧にはウクライナ人も関与した>と主張します。」
戦後、冷戦が始まり、米ソの関係が緊迫するなか、バビ・ヤールは埋め立てられる
1943年、ソ連がキエフを奪取する。ソ連軍がキエフを占領するシーンが写し出される。ヒトラーのポスターが剥がされる映像もある。
第2次世界大戦中、ソ連はユダヤ人と協力関係にあった、池田さんの解説。
「第2次世界大戦中、スターリンはユダヤ人を集めて、反ファシズムユダヤ人委員会をつくります。ソ連はユダヤ人を保護している、ユダヤ人の活動家は全員、ソ連の味方だとキャンペーンを張ります。ソ連のユダヤ人はアメリカのユダヤ人と協力して、お金をもらったり情報をもらったりして、連携してファシズムと戦ったんです」
一方で、スターリンはユダヤ人に好意的ではなかった。
「スターリンは元々、ユダヤ人が好きではなかったんです。スターリンのライバルの共産党の幹部はみんなユダヤ系で、頭がよくて、ヨーロッパをよく理解していて、フランス語もドイツ語もできて、スターリンを「フランス語、ドイツ語がしゃべれない、マルクス主義もろくに知らない」と言ってばかにしました」
戦後、冷戦が始まる。ソ連とアメリカとの関係は緊迫する。
「ソ連国内のユダヤ人とアメリカのユダヤ人とのつながりを非常に嫌がるようになり、ソ連国内のユダヤ人はアメリカのスパイだと考えるようになります。そして、スターリンはユダヤ人の迫害を始めます」
映画の最後、第2次世界大戦が終わって7年後のバビ・ヤール渓谷の姿が現れる。字幕にはこうある。
「1952年12月2日 キエフ市執行員会はバビ・ヤールを屋根まで煉瓦工場の産業廃棄物で埋める決議を採択した」
「ユダヤ人だけが迫害されたというのは、民族平等の観点からけしからんという立場をスターリンはとります。近くの工場から排水を流してバビ・ヤールを埋めます」
「バビ・ヤールを埋めることはスターリンのゴーサインがないとできなかったことです。しかし、直接決めたのはウクライナの指導者です。ロズニツァ監督はウクライナの監督です。バビ・ヤールの埋め立ては、ソ連全体の責任ですが、自分の国であるウクライナの責任を強調したいのだと思います。ウクライナはずっと反ユダヤ主義だったと監督は言っているわけです」
ロズニツァ監督より前にバビ・ヤールを表現した人たちがいた。
「ソ連の文化や音楽が好きな人は、バビ・ヤールと言えば、ショスタコーヴィチです。ウクライナ系ソ連人のエフトゥシェンコという詩人が1961年、バビ・ヤールについて詩を書き、翌年、この詩を取り入れて、ショスタコーヴィチは交響曲13番をつくりました。冷戦の時代です。ソ連がユダヤ人に対する抑圧を強めた時代です。つまり、ユダヤ人虐殺の場、バビ・ヤールを語るのはタブーでした。エフトゥシェンコもショスタコーヴィチも、勇気をもってつくったわけです。このラインにつながっているものとして、この映画はあるという気がします」
<普遍的人類の価値観>を追求するロズニツァ監督
2022年2月、ロシアはウクライナに侵攻する。
「この映画は政治的に利用されることが多いと思います。ロシアは、<ウクライナは反ユダヤ主義が激しくて、未だにナチスが強い、だから我々はナチスの体制からロシア人を解放する、あるいは、ウクライナを解放する>として2014年にクリミアを併合し、2022年2月にウクライナに侵攻しました。この映画は、ロシア側の反ウクライナ・プロパガンダと同調しやすいわけです。ウクライナ人はユダヤ人をたくさん、殺したではないかと。だから、ウクライナのメディアでは戦争犯罪協力者として描いているという反発の声があがりました。他方で、ロズニツァ監督の声に耳を傾けるメディアもありました。そうした中、2021年10月、キエフで初公開されました」
「ロズニツァ監督は、ウクライナ全体がナチスだとか反ユダヤだとか言っているわけではなく、基本的に、個人の判断の問題だという立場です。気を付けないといけないのは、ロズニツァ監督はロシアも悪いけれども、ウクライナも問題がある、こういう立場をとっていないことです。とりわけ、今回の戦争に関しては、ウクライナが一方的な被害者であり、ロシアが侵攻してきたという立場です」
ウクライナ映画人同盟はロシアの映画を映画祭から追放した。ロズニツァ監督はこれに抗議して、ウクライナ映画人同盟から除名される。
「除名されたことについて、ロズニツァ監督は<ウクライナ映画人同盟のトップやごく一部が反ロシア主義が強くロシアの映画はすべてだめだと言っているが、全員がそうではない>と話します」
映画にはナレーションがない。字幕でロズニツァ監督は主張する。
「ロズニツァ監督は字幕で自分の主張を伝えます。字幕を読んでいると、ロズニツァ監督の世界観は単純だと思います。とにかく、ソ連は全体主義でいけない国であったと言います。先日、NHKの番組でロズニツァ監督は「ナチスの全体主義は滅びたが、ソ連の全体主義は残ったと、それが今でも残っていて、プーチンは全体主義だ」と話しました。これは単純かなぁという気がします。ソ連は抑圧的でよくなかったけれど、ただ、ソ連が全体主義だと言ってしまうと、冷戦たけなわの1980年代にアメリカの反共産主義者のロナルド・レーガン大統領が‘ソ連は悪の帝国だ’と言ったことを彷彿させて、ちょっと単純な気がします」
「私は、ソ連の抑圧性や暴力性はそうだったと思いますが、ソ連の文化やインテリ、ソ連の福祉や教育を考えると、一概にソ連を全否定できないと思っています。それはロシアについても同じです。プーチンの評価は下がりましたが、そうはいっても独自の文明として個性があることに間違いはないと思います。特に、ソ連はアメリカとか資本主義とかとは違う独自の文明をつくろうと努力してきた、これは事実であって、その中から多くのインテリが出てきました」
ロズニツァ監督が追求する世界は?
「ロズニツァ監督自身がソ連の一番いいところを引き継いでいると思います。ロズニツァ監督は民族的にはベラルーシ人で、育ったのはウクライナで、母語はロシア語です。いろいろ混ざっています。ロシア文化にこだわる、ウクライナ文化にこだわるというより、<普遍的人類の文化>にこだわっています。自由や民主主義が大事だと言っているわけで、<普遍的人類の価値観>を追求します。これはソ連のインテリの一番いいところです。ソ連のインテリやロシアのインテリには、普遍的文明とは別に、ロシアの独自性やスラブ文化の独自性を言う人がたくさんいます。文豪、ドストエフスキーがそうです。ノーベル文学賞のソルジェニーツィンもそうです。ロズニツァ監督はそういう系列ではなくて、やはり、<普遍的文明>は存在するのではないか、そこを目指しています」
「スターリン死後の雪解けの時代の1964年、コージンツェフという映画監督が「ハムレット」を映画にしました。どうしてソ連人がシェークスピアを撮るんだとなります。コージンツェフ監督は、「ドン・キホーテ」も撮りました。これは<普遍的文明>なんです。ソ連人がつくるシャーロック・ホームズはすごく出来がいい、これもある種の<普遍主義>なんです」
●配給会社SUNNY FILM
○ぶんや・よしと 1987年MBS入社。2021年2月早期退職。 ラジオ制作部、ラジオ報道部、コンプライアンス室などに在籍。 福島原発事故発生当時、 小出裕章さんが連日出演した「たねまきジャーナル」の初代プロデューサー
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