「金の糸」ひとつ屋根の下で展開する国家・民族の確執  映画ヒョーロクダマ(ライター)

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© 3003 film production, 2019

私の父は今年93になるが元気です。頭もかなりはっきりしていて70年以上前の大阪大空襲のことを話します。父は協和造船で働いていてB29に焼夷弾攻撃を受けました。前を走る人間は鉄の欠片で頭蓋骨を割られて、真後ろの人間は身体を真っ二つにされ、命からがら逃げ延びた父も焼夷弾の欠片が肘をかすって今でも左手は多少不自由です。彼は非常に鮮明にそれを記憶しています。そう記憶。
この映画も記憶に関する物語です。大きく二つの記憶が話の根幹になっています。ひとつは、主人公エレネと昔の恋人アルチルとの、愛の日々と別れの記憶。もう一つは、エレネと彼女の娘の姑である元ソ連の女性高官ミランダとの記憶。ひとつの記憶は甘くて苦い。彼女と彼は半世紀以上ぶりに電話で連絡を取り合い思い出話を語り合うが、決して会おうとしません。会わない理由は実ははっきりとしない。この曖昧さが良くて、終盤に響いてきます。
もうひとつの記憶は呪わしく苦しいものです。エレネはかつて母を収容所に送りにされました。反ソ的言説のためです。スターリンの大粛清とその余波は、ソ連が強引に支配下に置いたグルジアにまで及びました。時代的に言うと戦争直前からブレジネフ時代にまでわたる40年近く。エレネの母はソルジェニーツィンの隣で強制労働させられていたのでしょうか。それとも彼女が獄に繋がれていたのはもっと前、私の父が大阪でアメリカ軍に焼き殺されかけていた、あの頃でしょうか。
いずれにしても、母親についてのそんな記憶があるため、ソ連で中央政府に居座っていた娘の姑なんぞ不快極まりない存在です。ところがある事情で、この憎い人物と同居せざるを得なくなります。ミランダのほうは、気位がやたらと高くてソビエト共和国連邦時代の「秩序だった」グルジアの話をして主人公にマウントをかけてくる。
さらに主人公には別の怒りも加わります。彼女は作家で、かつて自分のデビュー作に発禁をくらわしたのが当のミランダだということがわかってきたためです。憤懣やるかたなし。しかしだからといって、この二人が罵り合ってばかりかというと、並んで静かにお茶を飲んだりするから不思議です。二匹の仲の悪い動物が同じ檻に入れられて何とか互いのテリトリーを守って暮らしているような感じ。この少しかわいい感じも、私がこの映画を好きになった大きな理由の一つです。

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忘却への怒りと過去の乗り越え

© 3003 film production, 2019

ところで、そう、記憶です。このミランダは実はアルツハイマーになっていて、記憶がまだらになり始めています。自分の絶頂期、つまり冷戦時代、米国と二大覇権を争っていた頃の記憶にすがっているのです。そしてそんな記憶さえ霞みつつあります。一方で色恋沙汰のナルシスティックな記憶だけが突発的によみがえってきて、これがエレネと昔の恋人の記憶に絡んでくる、というのが面白い展開です。
ミランダのこの記憶の崩落は、「加害国にとって都合の悪い歴史の忘却」を暗揄しているのでしょうか。確かにそういった意味もあるでしょうが、それだけではありません。彼女が隠れてある行動をとっていたことがわかってきて、作者の意図が「歴史の忘却」に対して皮肉や怒りを表明しているだけではないことが見えてきます。ここで、過去を乗り越えること、というシンプルな言葉が、大きな意味を持ってきます。
主人公の元恋人が最後に語る「我々」とは誰と誰なのか。そこには、極東で今現在生きている私たちも入っているのではないか、と思わせるような、セリフや映像の持って行き方が凄いです。日本人がつくった金の糸が、東欧とロシアと世界をつないで、また日本まで帰ってきたのか、と感動します。
ところで、この映画には映されていない、語られてもいないが、まさに「いない」ゆえに想像を働かせるべき重大なことが沢山あります。たとえば、ミランダのそれまでの人生。
封建主義の残骸を抱えたまま一党独裁共産国家となったソビエト連邦で、女性がその党中枢部に昇り詰めるには、どのような辛苦をなめ、何を犠牲にしなければならなかったのか。昔はたいへんな女性的魅力の持ち主であったという彼女の半世紀の人生について、その痛みについてつい考えてしまいます。彼女のボロボロになった脳細胞に残った「あのハンサム男子との思い出」も、それを考えれば、非常に泣けるエピソードです。
さて、話は変わりますがジョージアという呼び名はどうなんだと、と私は思いましたね。アメリカの一部みたいじゃないか。2015年から英語名称Georgiaの日本語発音がジョージアになったらしい。責任者のセンスを疑う。自分の国がアメリカの属国だからって、よその国まで一緒にしてはいけません。グルジア。帝政ロシアの時代から現在まで、主権や言語や文化を蹂躙され、民族間対立を煽られてきた国。グルジアという表記と響き方のほうが断然、合っていると思う。もっとも当事国語では、サカルトヴェロ、らしいですが。
ちなみに私の父はロシアのことをソ聯と書く。怖い。ロシアよりソ連より怖い。

3月18日からシネ・リーブル梅田、京都シネマ
4月2日から元町映画館 にて公開

 

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